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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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アシカ作戦(1/4)

IF歴史ではダンケルク撤退は成功しません。カレーで包囲されていた英軍共々独軍の捕虜になってしまいます。英国首相チャーチルのダイナモ作戦は失敗し、チャーチル政権は危機に立たされます。

1940年06月04日。


ダンケルク撤退は失敗した。

奇跡は起きなかった。


英軍19万2千余名、仏軍13万9千名。

合計33万1千余名は捕虜となった。


独国総統ヒトラーは「進軍/停止命令」を下したのは事実だ。

独陸軍はたしかにダンケルクで進軍/停止した、


独エヴァルト・フォン・クライストは命令を自分なりに理解した。

「海岸に追い詰められた連合軍をどうするか」


「進軍/停止の総統命令は絶対で覆す事は出来ない」

そこで彼らに降伏を勧告することにした。


クライスト「連合軍諸君!降伏せよ、返答を待つ」

浜辺に逃げ、埠頭に追い詰められた連合軍兵士たち。


英ジョン・ヴェレカー司令「援軍はまだか!」

仏マキシム・ウェイガン司令「降伏しかない」


クライスト「降伏しないならするように仕向けるまでだ」

「全軍、海岸線の連合軍を保護せよ」


独クライストは進撃/停止ではなく、保護/留置を命じた。

発砲は禁じており、これは「進撃」ではないという「解釈」だ。


ダンケルクの街に入った独軍は町を破壊せず素通りした。

港になだれ込んだ独軍は、あっという間に波止場を占領。


浜辺や埠頭に追い詰められた英米兵は一網打尽となった。

抵抗する間もなく、連合軍は武装解除された。


そうとは知らない英国首相チャーチル。

彼は即日、海軍中将ラムゼイにダイナモ作戦を指示。


英国のありったけの艦艇をダンケルクに救援に差し向けた。

漁船、はしけ、個人用ヨットに至るまで700隻近くが集まった。


2日の間にダンケルクに着いた時、浜には誰もいなかった。

現地からの報告にラムゼイは愕然とした。


ラムゼイ「誰もいないとはなんだ、1人もいないのか?」


それどころか遺棄車両が1台も見当たらない。

戦車455輛、車両8万輛、6万8千トンの弾薬、14万8千トンの燃料。


その全てが独軍によって奪取された跡であった。

30万人以上の捕虜は、リビア東部キレナイカに送られた。


ここには枢軸国イタリアの強制収容所がある。

リビアの反抗的民間人10万人が押し込められていた。


リビア砂漠のオアシスにポツンとある収容所である。

コンクリートの高い塀も鉄条網も存在しない。


砂漠自体が脱出を不可能にしているのだ。

こうしてダンケルクの脱出は大失敗に終わった。


クライスト上級大将は総統命令無視で拘束された。

だが誰が彼を責める事が出来ようか?


しかしヒトラーは彼を厳罰に処す考えでいた。

上官のルントシュテットはこの処断に気を揉んでいた。


総統命令にはルントシュテットも賛同していたからだ。

慎重派の彼はアラスの戦いでの英国のような猛反撃を恐れていた。


ルンテシュテット「窮鼠猫を噛むというのが日本の諺もある」

「アラスの戦いでの英国軍には手痛い目に合ったのがイカン」


アラスでは追い詰められた英軍が最後の猛反撃に出た。

ルンテシュテットはアラスで手痛い目に合っていたのだ。


ここでダンケルクに連合軍が追い詰められた報が入る。

総統は殲滅作戦という言葉が大好きだった。


ルンテシュテット「今回もどんな犠牲を払っても殲滅だろうなあ」

それが進軍停止となりルントシュテットは思わず賛同したのだった。


ところが今回は間違っていた。

クライストが正しかったのだ。


こうしてルントシュテットは総統官邸に赴いて助命を嘆願した。

ルントシュテット「総統、私が間違っておりました」


「クライストが正しいのは結果を見れば明らかです」

「進言し賛同した私を懲罰に掛けて下さい」


ヒトラー「ううむ」

「自分の失敗を認めるのだな」


彼は自分の失敗を指摘されるのは大嫌いだ。

だが他人の失敗をいびるのは大好きだ。


ヒトラー「ルントシュテット君、キミは疲れている」

「しばらくプローラにでも行って休暇を取りたまえ」


プローラは親衛隊戦用の療養所だった。

周りは安全の為、24時間監視が置かれる(軟禁)。


クライストも休暇の命令が下ったが場所が違った。

彼の場合はケールシュタインの山小屋だった(軟禁)。


彼が独断専行しなかったらダンケルク撤退は成功していただろう。

それを阻止した功績は認めねばならないだろう。


ヒトラー「経過はどうあれ結末が肝心であるという事だ」


命令無視と捕虜/物資確保を相殺して不問に付した。

捕虜は英国への降伏勧告カードにも使えるのだ。


ヒトラーはイーグルネスト山荘に籠もって国策を練った。

いっぽう英国国民の士気は精神的にどん底に陥っていた。


英国民「もうダメだ、おしまいだ」

英国民「奇跡はやはり起きなかった」

英国民「独国に屈従しかない」


もう英国にドイツに抵抗する力は残っていなかった。


この時とばかりに英国では政治闘争が始まった。

和平派による独国との講和についての模索だ。


チャーチルは対独強硬派、英国外相ハリファックスは和平派だ。

前首相チェンバレン、元首相ジョージはハリファックスを支持。


閣内は対独強硬派より、和平派の交渉案に傾いていた。

だがチャーチルは徹底抗戦の姿勢を崩さなかった。


06月22日。


仏国はヴィシー政権が発足し、独国は仏国と休戦協定を結ぶ。

仏シャルル・ド・ゴールは英国に亡命、自由フランスを名乗る。


英国はド・ゴール共々、対独抗戦の路線を貫く構えである。

独ヒトラーは英国とも講和し、欧州の戦争を終わらせようとした。


厄介なのは英国が独国と徹底抗戦の構えを見せている事だ。

チャーチルは徹底抗戦を決意し、全然交渉に応じない。


総統ヒトラーはイタリアを介して休戦協定を画策していた。

英ハリファックス伯はイタリアを介して独国に接近した経緯がある。


独ゲーリングとは狩猟展覧会に招待されて面識がある。

独国は英国和平派を取り込んでチャーチルを失脚させる目論見だ。


英国の前首相チェンバレンは宥和政策派である。

元首相ロイド・ジョージは親独派で知名度抜群の政治家。

外相ハリファックス伯はゲーリング、ヒトラーとも面識がある。


チャーチルはダイナモ作戦に失敗し、40万近い兵力が失われた。

絶望した英国民には厭戦気分が広がっている。

ロンドンではデモ隊がシュプレヒコールを揚げていたた。


英国民A「民兵はご免だ」

英国民B「戦争より講和を」

英国民C「我々には植民地がある」


民兵とは「ホーム・ガード(義勇隊)」のことだ。

子供から老人まで総動員で自警団を形成する。


警察に登録義務があり、一応はゲリラではない正規軍扱いだ。

武装は鉄パイプ槍から水道管改造迫撃砲まで様々だ。


鉄パイプ槍は銃剣を鉄パイプの先に付けたものだ。

極東の島国が本土決戦で使う予定だった竹ヤリみたいなもんだ。


水道管迫撃砲は普通の水道管に黒色火薬を詰めた急造品だ。

チャーチルは独機械化部隊と民兵を本気で戦わせるハラだった。


自家用車に鉄板(装甲鋼板ではない)を貼った臨時装甲車まで現れた。

政府は15万人を見込んだが登録はたった1万人だった。


チャーチル「たったこれだけか」

「だが、わたしはあきらめない(We shall never surrender)」

英国義勇軍の装備はまるで極東の何処かの国の本土決戦の様な有様です。竹ヤリならぬ鉄パイプ銃剣や水道管迫撃砲となんでもアリでした。そしてこれは正史でした。実際にアシカ作戦が実行された時、どうなってしまったか?それは火を見るよりも明らかでしょう。次回はアシカ作戦(2/4)です

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