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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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北里と抗菌剤(スルファニルアミド)

北里柴三郎とスルファニルアミドは何の関係もありません(正史)。ここでは北里は独国から日本に帰国せず、それが彼をスルファニルアミドと巡り合わせるのです(IF歴史)。そしてそれが彼をノーベル賞受賞へと導きます。そしてこのクスリが1人の少年の命を救うのです。

実際の歴史で1907年発見のスルファニルアミドは1935年にゲルハルト・ドーマクが別ルートで発見するまで30年近くほったらかしでした。そしてこの時すでにペニシリンが発見されており、スルファニルアミドは忘れられていったのです。

第二次世界大戦から約200年前。


1797年ガス灯が英国で発明される。

ガス精製で出る廃棄物コールタール。


このコールタールには「静菌作用」があり、防腐剤に使われた。

独ホフマンはこの廃棄物の研究を繰り返していた。


1856年英国青年パーキンは独ホフマンに弟子入りする。

彼もまたコールタールに魅せられた者の1人だった。


彼はコールタールを他の薬剤と反応させ、加熱や冷却を繰り返した。

それはC20H24N2O2(キニーネ)を造る実験だった。


コールタールの「静菌作用」成分だけを分離する。

そうすれば薬効成分だけが残るという目論見であった。


だがフラスコの底に残ったのは濃紺な物質だった。

偶然の産物「人工色素アニリン紫」の誕生であった。


これ以降、次々と合成染料が生み出されていく。

1878年1人の天才細菌学者がこれに目を付けた。


彼の名はエーリッヒ。

組織染色に魅せられた異能者であった。


この石炭由来の染料が細胞を染める事を発見した。

染料の組み合わせで特定の細胞を染める事が出来る。


それは細菌の細胞壁、内部構造にまで至った。

つまりこれはこういう事だった。


特定の染料は特定の細菌を染色する事が出来る。

その場合、人間の細胞壁は染色されないのだ。


それまで細菌を殺し、人間を殺さない薬品はなかった。

強酸、真っ赤に焼けた鉄、煮立った油。


どれも考えるのもおぞましい消毒法だった。

選択は出来ず、両者もろともに駆逐した。


なら染料由来の薬剤は細菌のみを殺すのではないか?

これ以降染料から薬剤を得る長い研究が始まった。

1908年オーストリアのウイーン工科大学である卒論が提出される。

アミド染料からスルホンアミドを構成する方法を記述したものだ。


そこには最終的にスルファニルアミドの化学式が示唆されていた。

染色から無色の化学反応が出来る方法の論文だ。


染め付けの出来ない染料の可能性を示したものだ。

実用性皆無として誰の目にも止まらなかった。


1907年北里は結核予防会議名誉通信会員(オーストリア)だった。

北里より若年のドクターが彼の滞在するホテルにやってきた。


アラン「結核予防会議のアラン・ミルズ、呼吸器内科医です」

「今日は見せたい論文があり、参上致しました」


<今日あった結核予防会議に出席していた後輩だな>

まさかナイチンゲールの長男とは知らず、北里は気軽に応じた。


北里「ほう、どんな内容のどんな分野の論文だい」


日本に帰国しなかった北里柴三郎。

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1892年北里は独医学界の勧誘を断って帰国する筈だった。

なぜ北里がまだ独国にいるのだろうか?


当時の日本医学界では東大医学部が絶大な権力を誇り君臨していた。

権力と人脈という魑魅魍魎が跋扈する日本医学界。


彼はそういう儒教イデオロギーにウンザリしていたのだ。

研究者は東大を敵に回せば研究さえも出来なかった。


日本で自分の研究をするには権威と権力が無いとダメなのだ。

ナイチンゲールと会った北里は日本へ帰るのを躊躇するようになる。


英国元首の女王さえナイチンゲールを認めていた。

同じ島国の日本との余りにも違う気質と風土。


1892年独国は北里にプロフェソールの称号を贈った。

北里はオファーが殺到する独国に残った。


彼はその後も、独国内のみならず海外にも積極的に渡航した。


1894年彼はペスト禍の香港に独国から乗り込む。

その際も日本医学界はだんまりを続けていた。


日本医学界を牛耳る東大にとって、北里は忘恩の(やから)だった。

留学前に北里は東大の緒方正規(医学部講師)に弟子入りしていた。


緒方は脚気は細菌が原因(脚気菌説)を学会に発表した。

北里はそれは間違っていると恩師の説に真っ向から反対した。


脚気はビタミンB1の不足が原因だと21世紀では分かっている。

だが当時は細菌説、蛋白質不足説など各説入り乱れていた。


当時これが儒教イデオロギーの五倫五常の慣例に逆らっていた。

秩序ある社会の構築には上下関係の徹底が必要だという教えだ。


師弟関係の間には「間違っていても正しい」風潮があった。

それに北里は「恩師に仇を返した」と見なされたのだ。


日本の風潮にうんざりしていた彼は帰国を拒絶し続けていた。

彼は調査が終わると日本に寄らず、さっさと独国に戻ってしまった。


独国で研究を続けた北里はエーリッヒの研究にも接する。

北里「魔法の弾丸か、これは面白そうだ」


魔法の弾丸とは細菌のみを殺し、人間に害のない薬のことだ。

北里はオーストリア結核会議に名誉会員として出席していた。

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それは、かのウイーン工科大学の染色に関する論文だった。

アラン「この論文の要はスルファニルアミドです」


「これまでの染料由来の薬剤には無い原子が含まれています」

「これに何か、作用機序に関わる重大なキッカケがあるのでは」


北里はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「日本に帰国しなかった偶然がこの論文に巡り合わせてくれた」


エーリッヒが染料と薬剤の関係性を求めて30年が経過していた。

いまだに抗菌材料の発見には至っていなかった。


多くの薬剤会社が熱狂から覚め、撤退していた。

エーリッヒ自体も袋小路に陥っていた。


それまでの有機化学はC、H、N、Oの原子からなる高分子だ。


塩素やヨウ素,ヒ素やニトロ基を側鎖に導入してもみた。

炭素鎖の長さを変え,側鎖の位置を変えてもみた。


研究は弱い薬効が認められるアゾ色素に辿り着いていた。

これもC、H、N、Oの原子からなる高分子だ。


薬効は不安定で実験結果はまちまちだった。

そこで北里は薬効から離れ、染色学の方向から考えてみた。

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日本でも「藍染め」というタデ藍を発酵させて作るを染料がある。

葛色(褐色)が「勝つ」に通じることから武家の愛好する所となった。


戦国時代に藍染めは静菌作用があるという理由で腹当てに珍重された。

この場合も染料の色成分以外のアルカロイドに薬効が認められている。

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合成染料には硫化染料というS(硫黄)を持つものがある。


空気にさらすと発色し、洗濯、熱湯、日光によく耐える。

また木綿の染料としてよく流通している。


当時木綿は直染できず、媒染処理をしておく必要があった。

北里「直染できる事になにか意味があるのかもしれない」


北里は破傷風菌が嫌気性だったことに思い当たった。

北里「研究と観察にはどんな所にヒントがあるかわからない」


1908年のスルファニルアミドもS(硫黄)を持つ高分子である。

これを抗菌薬用途に使ってみれば薬効があるのではないか?

<余談だが後のペニシリンにも側鎖にSが入っている>


ビンゴ(的中)!

ついに魔法の弾丸を発見したのだった!


北里はアラン・ミルズに感謝した。

北里「ありがとう、アラン!」


ホテル近くの喫茶店で北里はアランに感謝した。

アラン「貴方は私の母にこうおっしゃいました」


「他人がまさかそんな事は無いという発見を成し遂げてきた」

「直感とインスピレーションが私の全てなのです」


30年間抗生剤を探しても遂に発見出来なかった細菌学会。

あらゆる論文を網羅してキッカケを探ったが見つからない。


アランはその中から統計学的に頻度の低い論文を検索した。

それがスルファニルアミドの論文だったのだ。


アラン「<まさか>と<直感>と貴方はおっしゃった」

「探しても見つからないなら、探していない分野を探せってね」


北里「え?まさかキミは」

アラン「母は偉大な統計家でした」


「私もまた医療統計学を少々やりましてね」

北里はその言葉尻に思い当たる節があってギョッとした。


北里「まさか君は彼女のご子息の」

アラン「そういう推測はご無用に願います」


彼は風のように去って行った。

北里は茫然と喫茶店のテラスに立ち尽くしていた。


北里「彼女との20年前の出会いがここで繋がるとは」

「運命とは不思議な巡り合わせだな」


一方、研究結果はすぐに論文に(したた)められた。

北里+ドーマク+エ-リッヒの連名で署名をした。


これを北里は助手のドーマクと供に独語で論文を発表。

これをパスツール研究所のエルサンが読み仏語に翻訳。


これを野口英世が訳出、日本で大量生産が始まった。

<野口英世はこの時期米国に居た>


折しも第一次世界大戦が勃発(1914年)。


戦闘の最前線や野戦病院で大量に使われ始めた。

日本海軍は地中海派遣の第二特務艦隊に大量に持たせた。


敵も味方もなくスルファニルアミドがまず全欧で流通した。


1918年北里は、独ハーバーを抜いて、ノーベル賞を受賞。

独ドーマクと独エーリッヒとのトリプル受賞だった。


北里は第1回ノーベル賞候補になりながら逃した経験がある。

今度は抗菌剤の発見であり、世紀の偉業であった。


これをもう無下には出来ないのだ。


この時北里は数値一覧表を廃し、すべて図表グラフで説明した。

棒グラフ、円グラフ、レーダーチャート、散布図等々多彩であった。


ナイチンゲールが陸軍将校を説得に使った円クラフ(鶏頭図)。

北里「50年も前に彼女はたった独りでやってのけた」


北里「オレもやるぞ、キタザトがやらねばに誰がやる?」

エーリッヒ「素晴らしい直感とインスピレーションだ」

ドーマック「オレも手伝うぜ、キタザト」


ナイチンゲール看護学校の後援もあった。

ドーマクもエーリッヒも「キタザト」を強く推薦した。


ノーベル賞はロビー活動を厳しく制限している。

取り巻きに出来るのはここまでであった。


これで独国人との共同研究(人脈)、ノーベル賞(権威)を手に入れた。

北里はようやく祖国日本に帰ることを考え始めた。

1924年07月02日。


米国第30代大統領の息子のカルビン・JR。

彼は靴下を履かずに裸足でテニスを楽しんだ。


のちに足にマメが出来て、ヨードチンキを塗った。

だがそのマメに細菌が入り、化膿し始めた。


化膿連鎖球菌は皮膚のどこにでもいる常在菌の一種だ。


JRはすぐに熱を出し始めた。

痛み止め、傷口の洗浄、清潔な包帯。


独国発の抗菌剤はまだ米国では認知されていなかった。

第一次世界大戦の敗戦国の薬という色目もあった。


その間にどんどんJRは体調を崩していく。

全身症状が出始め、寝た切りになってしまった。


07月04日。


状態は悪化の一途を辿っていた。

海軍軍医中将ジョエル・ブーンは手を尽くした。


香油の時間(危篤)が刻々と迫る。


その時彼は北里という日本人を思い出した。

抗菌剤でノーベル賞を取った天才だ。


ブーン「大統領、日本人の北里を頼りましょう」

大統領「誰でもいい、息子を助けてくれ!」


直ちに北里自身が独国からすっ飛んできた。

北里「2日掛かる、スルファニルアミドを作ってくれ」


スルファニルアミドは染料の類いでkg単位で商いされている。

すぐに精製法を駆使して生理食塩水の点滴に混注して投与した。


07月06日。


北里が薬剤をホワイトハウスに着いた時はもう・・・・・・。

体調は良くなり、起き上がれるほどに回復していた。


もう1日遅れていたら7月7日には亡くなっていたかもしれない。

これがきっかけとなり米国でもスルファニルアミドは知名度を得た。

以降、薬学の分野で爆発的に普及するようになった。


カルビン・JRはのちに政治家を目指す。


その彼は後の世で大統領に立候補する。

この事が太平洋戦争の日本と大きく関わってくるのだ。

たった1人の子供の足のマメさえ化膿すれば死んでいた抗菌剤発明以前の世界(正史)。それがIF歴史で覆り、1人の子供が生き延びました。まさかこの事が米国の戦後処理をひっくり返すとは誰が想像したでしょうか?次回は戦争計画オレンジです。

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