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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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空母大増産

秋山真之の戦争計画、第一次世界大戦への陸軍の参加、マルタへの海軍空母の参加により日本陸海軍は空母中心に作戦行動に目覚めました。電気溶接とブロック工法は石井利雄造船技師により日本に(もたら)されています。戦時標準設計船の出番が回ってきました。日本版リバティ船の登場です。

かつて米国にはカラーコード戦争計画という模擬訓練(シミュレーション)があった。

日本や英国、独国などの国を仮想敵国(カラーコード)として検討されていた。


その模擬訓練(シミュレーション)に「戦争計画オレンジ」というものがある。

1919年から対日本戦争に絞り、念入りに検討されている。


ただ第一次世界大戦前の部分は航空機について述べていない。

米国の研究者たちは修正を加えながら、戦争計画を進化させた。


そして第一次世界大戦後、航空機の時代が来ようとしていた。

日本でも秋山真之によって戦争計画が練られてきた。


第一次世界大戦への参戦が日本の認識を変えていた。

ソンムの戦いで陸軍は欧米の呆れるほどの人海戦術を体験した。


マルタへの出征は初期の航空機運用と潜水艦の脅威を体験した。

日本では陸海軍で研究した結果、ほぼ同じ結論に達していた。

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陸軍「日本は島国で、島嶼での戦闘が主戦場になる」

上陸作戦は陸軍の担当で、その航空支援も陸軍になるだろう。


航空支援のための空母が必要だ。

陸軍空母が必要になるのは間違いない。

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海軍「日本は島国で大洋での戦闘が主戦場になる」

航空機の爆撃・雷撃が主戦闘となり、艦隊戦は生じない。


艦船はお互い見舞える事なく、航空機が雌雄を決する。

海軍空母が必要になるのは間違いない。

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陸海軍は経過は違えど結果は同じ、空母であった。

理想の空母とは何かを陸海軍は考え始めた。


洋上に滑走路があるのが理想の船体構造だ。

船舶の艦上建造物を取っ払って平らにすれば良い。


1910年日本は史上初の貨物船改造空母を進水させていた。

全通式飛行甲板を持ち、離着艦が可能な空母がいきなりだ。


これに英ソッピー氏を招き、艦載機研究を重ねていった。

ソッピー「離陸の急加速と着艦の急制動をどう操るかが問題だ」


当時の火薬カタパルトは瞬発力は爆発の威力で確かに凄かった。

だが有人航空機の発艦用途としての空母向きではない。


アレスティングワイヤー(制動索)もなく着艦は命がけだった。

この空母は実戦に使われる事無く、研究と実験に使われ続けた。


1912年貨物船若宮丸が水上機母艦に改造される。

こちらは水雷艇を水上機に換えるための方策であった。


同年英ソッピー氏は帰国し、ソッピース社を立ち上げる。

彼が後に艦載機のパイオニアになるのは偶然ではない。


1914年第一次世界大戦が勃発する。

日英同盟に従い、日本も英国側に参戦する。


いわゆる日本海軍の欧州派遣である。

第一特務艦隊はシンガポール、ケープタウンなどに展開した。


第二特務艦隊は地中海のマルタ島に展開した。

この時の船団護衛のノウハウは後世に活かされた。


第三特務艦隊はシドニーに派遣された。

豪新通商航路の護衛が目的であった。

<新はシンガポールの漢字表記>


どの派遣艦隊も空母を引き連れての参戦であった。

ソッピースパップなど英国単座複葉機を搭載した。


これに刺激されて、英国も空母「アーガス」を就航させる。

これには日本海軍関係者も戦後協力している。


英国技術者「凱旋門式艦橋で離着艦を指揮しよう」

日本技術者「ダメです」

英国技術者「十字架式エレベーターを採用しよう」

日本技術者「ダメです」

英国技術者「着艦は縦棒激突式で制動を掛けよう」

日本技術者「ダメです」


結局今の空母と同じような艤装に落ち着いた。

だが煙路を艦尾に導いた為、着艦は煤煙に阻まれた。


黎明期の技術にありがちな技術迷走の時代である。


英技術者A「極東の猿が偉そうな口を叩くんじゃない」

英技術者B「お前らの軍艦はどこの造船所で作ったのか」

英技術者C「おまなんかなー、おまなんかなぁ」


言っても聞かないので自浄作用にまかせる事にした。

海軍はとうとう大艦巨砲主義に終止符を打った。


これからは空母を旗艦とする機動艦隊の時代だ。

第一次大戦に参戦した経験は重要であった。


特に南アフリカのケープタウンまで護衛艦隊を送ったのは良い経験だ。

航続距離と補給基地の相関関係の重要性に目覚めたのだ。


マルタでの船団警備では独Uボートの魚雷攻撃に悩まされた。

空母を中心に輪形陣を組む事が最も有効だと認識した。


航空機が上空からUボートを発見し爆弾を投下した。

これは効果的で、潜水艦の敵も航空機であった。


第一次世界大戦への参戦が刺激となり、視野が大きく開けた。

日本は日露戦争の自惚れと過信から目が覚めていた。


空母、空母、また空母である。


全通甲板を持つ穀物輸送船やタンカーも、空母に改造された。

これは艦載機10機前後の護衛空母として運用された。


商船を改造して空母を作るなら、同じ工法で空母を作ればいい。

すでに海防艦は戦時標準設計船として開発が終わっていた。


そういうわけで1年掛かる造船を同時に80隻作り始めた。

ブロック工法だから、船殻は完成まで地上工場で造る。


それをでっかい400トン積み走行台車でゆっくり運ぶ。

最後に船殻ブロックを造船所でドッキングして完成。


これが竣工から進水まで1週間という驚異的速度だった。

神戸川崎重工造船所と長崎三菱重工業造船所を拡張して対応した。


南方資源確保が大前提のため、空母は出来るだけ多くいる。

初手は民間貨物船団40統につき空母40隻だった。


この護衛空母は正規空母ではなく規模は小さめだ。

艦載機数は商船改造空母なら14機だが、こちらは24機だ。


80隻あれば1920機を積める計算になる。

甲板駐機を含めれば2000機は行ける計算だ。


艦載機のパイロット熟練度は発艦より着艦にある。

陸軍航空本部は機密の陸上操縦訓練機械(フライトシミュレータ)を提供した。


海軍も同様の機械を多数製造して、初年兵を訓練した。

そして実機による訓練ももちろん必要だった。


琵琶湖の3隻の遊覧船は淡水空母として就航している。

ついに練習用空母での発着艦訓練が役に立つ時がきた。


熟練パイロットを多数養成するのだ。

着艦の練度は徐々にアップさせてゆく。


だが練習用空母が足りず、もっともっと必要になった。

水泳客用やスキー客用の内航船まで徴用、淡水空母に改造した。


みどり丸ほか1隻を徴用し、淡水空母5隻の威容である。


練習生A「すげえな、機動艦隊かよコレ」

練習生B「艦隊運用訓練も出来るんじゃね」

練習生C「連携とか言うのもやるらしい」


連携は通信機を活用し、お互いに連携して空中戦を行う。

また九九艦爆とゼロ戦で連携を取る模擬空中戦も行った。


艦爆は6番3号爆弾(空対空兵器)を両翼に懸架している。

これを敵機編隊に軟降下して、投げ込み爆発させる。


当たらなくても敵の編隊飛行を乱す効果がある。

爆破は時限信管で、タイミングは搭乗員の技量による。


この時限信管ゆえに、投擲のタイミングが難しいのだ。

模擬弾はポリエチレンテレフタラート(PET)に黄色の食紅だった。


搭乗員A「あーあ、タイミングが難しいんだよなあ」

搭乗員B「どうしても前か後かで爆発するんだよな」

搭乗員C「ちょうど敵機の近接でドカンといかんか」


阪大物理学教授:浅田常三郎「なんやて?」

「いま、近接と言ったか?」


有眼信管の研究のため、当地を訪れていた彼が口を挟んだ。

有眼信管とは対象物からの反射光を光電管で検出する信管である。


こちらも起爆させるタイミングがやはり難しいのだった。

浅田「近接で爆発させる装置は電子回路で真空管が必要だ」


「高周波を発信して起爆させる装置ならすぐ出来る」

「だがその真空管は検波/ハイパスフィルタ/起爆の最低三本だ」


搭乗員A「その大きさは?」

搭乗員B「もしかしてミカン箱ぐらい?」

搭乗員C「柳行李ぐらい?」


浅田「四尺野郎箪笥ぐらいになる」

搭乗員ABC「爆弾よりでかいッ」


浅田「米粒ぐらいの真空管は無いのでしょうがないな」

搭乗員ABC「う~~んっ」


整備士「あ、あの、超小型真空管ならありますよ」

搭乗員ABC&浅田「なんやて?」


整備士「私は搭乗員を目指していましたが、難聴でダメだったのですが」

彼は集音器(子機)を耳から外しながら言った。


「親機が米国製で、音量増幅に超小型真空管を使っています」

ポケットから小さな増幅器(親機)を取り出して見せた。


「紹介記事は無線雑誌に解説付きで載っています」

彼はさっきまで休憩で読んでいた雑誌を浅田に手渡した。


浅田は震える手で雑誌を取り、記事をくまなく読んだ。

それは「無線と実験」という街で買える雑誌だった。


写真入りで超小型補聴器の紹介が載っている。

Sylvania(シルバニア)社の3/16in(4.8mm)扁平真空管だ。


これだ!こんな一般雑誌にその答えがあったのだ!


浅田は見学もそこそこに阪大にすっ飛んで帰校した。

同時期の米国論文を検索するとそれは「あった」。


日本はついに「近接信管」に辿り着いたのだ。

貨物船団を守る海防艦も曲線のない船体で増産する。

海防艦は駆逐艦を造船しやすいよう簡略化したものだ。


これもブロック工法で速成して200隻を造船した。

これは内航貨物船を受け持つ造船所に製造を分散した。


1600トン級、速度36ノット、長船首楼型から平甲板型に変更。

米国で1939年に始まったフレッチャー級が参考にされている。


海防艦はいくらあっても役に立つ。


これらの材料となる資源はもちろん日本には無い。

すべて南方占領地からの物資輸入に頼る皮算用である。


国内には米国の良質なクズ鉄が1年分貯蔵されている。

それを惜しげも無く、電気炉で精錬した。


資源のない日本は一か八かの賭に出るしかない。

後は南方資源の到着を待つばかりである。


ホ船団のボーキサイト、マ船団のニッケルコバルト。

ミ船団の石油、テ船団の鉄鉱石。


あらゆる資源が鉄壁の護衛とともに日本に(もたら)される。

その予定でシフトを組むしかないのである。


米軍潜水艦は12隻でウルフパック作戦を実地するだろう。

独海軍Uボートがリバティ船にやってきた事だ。


こうして日本貨物船団を波状攻撃で撃沈する攻撃に出るのだ。


日本軍は船団の前後に海防艦を配置していた。

米軍はこれを最初におびき出し、丸裸の貨物船団を雷撃するだろう。


日本の爆雷の調整深度は60~200m。

米軍潜水艦圧壊深度は200m~300m以上。


爆雷の届かない大深度への潜航で逃げられてしまう。

米軍の潜水艦損耗率は圧倒的少数となるだろう。


だがこれは無為無策の場合の話だ。

日本には新兵器の準備があった。


国産初のヘリコプター、試製レ号対潜攻撃機だ。

船団がヘリコプターを運用するすれば話は別である。


米国シコルスキーVS-300の公試を参考に試作された。

エンジンは仏チュルボメカの小型ガスタービンエンジン(400hp)だ。


ライセンスを購入して日本で製造された。

これは後日船舶用ガスタービンエンジン(25000hp)の原型となった。


ヘリから「KMX」という磁気探知機で潜水艦の磁気を探知する。

元々は鉱山機械で鉄鉱脈探査に使われていたモノを流用した。


試製レ号を貨物船に1機搭載して、米潜水艦探知攻撃に使う。


12隻の船団なら12機の対潜ヘリが自衛に使えた。

1機につき誘導魚雷発が1発搭載可能だった。


海防艦も改造が施され、3機のヘリを搭載可能であった。

これらは豪州往復航路で活躍する事になる。

正史では日本に近接信管は無いですが有眼信管はあります。今でいう「光電子誘導爆弾(Electro-Optic Guided Bomb, EOGB)というヤツです。超小型真空管は補聴器用で本当にありました、戦前の無線雑誌に記事も載っていましたが、誰も気付かなかったのでした。KMXは陸上哨戒機東海に搭載されていた潜水艦探知機です(正史)。元々は鉄鉱石の鉱脈探査の為の鉱山で使用する機械です。これを海軍は潜水艦探知に転用した感じです。試製レ号は正史ではモノになりませんでしたが、IF歴史では正規に運用されています。次回はスウェーデンゼロ戦です

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