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(本編完結)また第二次世界大戦かよ  作者: 登録情報はありません
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金星ゼロ戦(1/3)

ゼロ戦のエンジンを栄から金星にする話です。開発当初は高性能エンジンだったのですが将来的には改造の難しいモノでした。実際に改造ではなく新しいエンジンを作ろうとすると2~3年かかり開発してる内に戦争が終わってしまいます。それを1年に短縮したら故障続出で使いものにならないという始末でした。IF歴史ではコレをひっくり返します。

1903年12月17日米国でライト兄弟が初飛行に成功。

1910年12月19日日本における動力初飛行に成功。


これは飛行ではなくジャンプだという説もある。

1911年臨時軍用気球研究会式一号機が空を飛ぶ。


この研究会は臨時に陸海軍が設置した気球と飛行機の研究会だ。

実質この研究会が陸海軍航空部の嚆矢たる存在であった。


式一号機はまだ手作りの段階だった。

この時、必要な工作機械が日本にはまだ無かった。


そこで製作は手作業によるノコギリを多用している。

機体は木と布張りで出来ていて味がある(おもむき)だ。


当然これは実用機にはならず、試験機止まりであった。


国産機を独自に生産する術を持たなかったからだ。

3年後の1914年07月18日第一次世界大戦勃発。


日本は早急に航空戦力の増強を図るため輸入機を検討。

日英同盟のおかげで英ソッピース社航空機の購入を決定。


そこで英国技師を招請して、ライセンス生産を目指す。

日本での制式名称はソ式3型であった。


空を飛ぶという事はきっとこういうのが似合うのだろう。

軽く曲芸飛行可能で、テニスコートに着陸出来るといわれた。


エンジンは7気筒50馬力であったが9気筒80馬力のもあった。

日本はそのエンジンのライセンス生産権を取って製造した。


これは第一次大戦参戦時に空母に艦載機として採用される筈だった。

だが英ソッピース パップとの開発競争に敗れ、採用は見送られた。


1918年第一次世界大戦終了。

1918年シベリア出兵始まる。


ここでもソッピース1型機が活躍していた。

日本は航空機完全国産化への道を探っていた。


英ソッピース社技師の設計で国産機を製作する。

国産化(?)に成功したエンジンはヒ式三百馬力エンジンであった。


水冷V型8気筒エンジンだがクランクシャフトが難物であった。

1921(大正10)年の機体は一○(ヒトマル)式艦上戦闘機と呼ばれていた。


この後エンジンは水冷V型と空冷星形に開発が分かれていく。

一長一短でどちらが優れているとは当時は言えなかった。

16年後の1937年。

海軍から中島と三菱に「艦上戦闘機計画要求書」が交付された。


1937年05月まず原案が提示され、10月に制式に交付された。

三菱の設計技術者堀越二郎はその内容に(うな)った。


要求は次の通りだ。


航続距離:大。

格闘性能:大。

航行速度:大。


堀越「いやいやいや、ムリムリムリ」

「羽根のように軽く大馬力のエンジンを積み大容量の燃料を積む?」


「レース用航空機に大馬力エンジンと増槽でも付けるつもりか?」

「普通はバランスを取って、どれかを犠牲にするモノだろう?」


堀越二郎が「ないものねだり」と表するほどの無茶ぶりであった。

航続距離は当時の中国戦線では絶対に必要なものだ。


当時中国国民党は戦線を奥地に後退させていた。

奥地の重慶は海岸線より1300kmもあった。


無着陸往復2600kmという長大な航続距離が必要だ。

現場上空で敵機と戦う格闘性能も重要だった。


当時中国は友好国だったソ連から戦闘機群を派遣してもらっていた。

ソ連軍機は出来るだけ中国奥地に日本軍機を引き寄せ攻撃してきた。


帰りの燃料が無くなる前に日本機は引き換えさねばならない。

その瞬間を狙ってソ連機は、空中戦を仕掛けてくるのだった。


日本軍機は帰りの燃料が気掛かりで戦闘どころではない。

中国軍はソ連機を使い、こうやって戦果を挙げていた。


航行速度は言わずもがな、格闘戦を有利に展開する必要がある。

速度は敵機後方に素早く廻り込むためには最速である必要がある。


この無い物ねだりの要求は実戦に沿ったモノなのだ。

中国大陸という広大な地域での戦闘がそれを要求していた。


堀越「言いたい事、要求の骨子は理解出来る」

そう言いながらも堀越は日本軍の戦略戦術に疑問を感じていた。


堀越「1300kmも中間基地が無く補給が出来ない事がおかしい」

戦略上重要な補給基地がなぜないのか?


中国大陸の占領地は都市(点)と鉄道路/道路(線)だけであった。

その他地域は中国軍の遊撃隊のなすがままであった。


その為、中継基地や駐屯地などの補給基地が置けない。

つまり航空基地や燃料貯蔵庫が確保出来ないありさまだった。


こういった事態は第一次世界大戦の欧州でも起きていた。

奪った堡塁をまた奪い返すといった塹壕戦がそうだった。


1915年チャーチルは陸上戦艦委員会を発足。

Pedrail Land Shipという発想で試作もされている。

<Pedrail Land Ship:ペドレールランドシップ>


堡塁(点)と塹壕(線)を陸上戦艦で繋げる案だった。

これが後日「戦車」として受け継がれることになる。


なら陸上戦艦ならぬ陸上空母もイケるんじゃないか?

堀越「いやいやいくらなんでもこれはアホすぎる」


その時、堀越は天啓に打たれたようにビクビクッと痙攣した。

鏡のような水面に浮かぶ空母の姿、海ではなかった。


「中国には湖や池が多い」

「淡水空母がいけるんじゃないか」


米国では実際にウルヴァリン(訓練空母 IX-64)が就航している。

なんと五大湖の遊覧船(外輪式)を改造した淡水湖空母だ。


湖は海のように、波もうねりも(Uボートも)ない。

訓練を受ける初心兵にはうってつけだった。


この意見は陸海軍幹部に一蹴されてしまい実現しなかった。


軍幹部A「所詮は航空機の天才も世間知らずか?」

軍幹部B「浅いし、狭いし、運用が出来ない」

軍幹部C「どこから持ってくるんだ?」


この話を後に海軍航空本部長になる、井上成美が聞いていた。

戦艦無用論と空母大増産を主張する革新派のひとりである。


井上「ふむ、中々面白そうな話じゃあないか?」

航空機の増産に伴ってパイロット育成も急務であった。


その為の練習用空母がどうしても必要だった。

その候補として琵琶湖があがっていたのだ。


琵琶湖には3隻の遊覧船がある。

京阪丸、白鳥丸、弁天丸の3隻である。


伸張して飛行甲板を設置、空母として運用した。

18ノットしか出ないが、離着艦訓練には充分だ。


湖なので波もない、米潜水艦もいない。

訓練には最適だった。


こうして堀越の起案は別の形で海軍が採用した。

やはり天才となにがしは紙一重なのだった。

実際にソ連はノモンハン事件で湖に哨戒艇を浮かべて見張りに使っていました。米国も淡水空母を訓練に使っています。日本も琵琶湖汽船の3隻を練習用空母として運用した事にしています(IF歴史)。次回は金星ゼロ戦(2/3)です

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