河豚計画
河豚計画は諸刃の剣、河豚は食いたし命は惜ししの例え通り「危険が伴う計画であり、一歩間違うと何もかも破滅する」の意です。実際に計画され正史では失敗しました
江蘇省+浙江省+安徽省、特別行政自治区。
中国軍を武力を持って無視し、かといって日本軍を攻撃もしない。
非武装ではなく、あくまでも武装中立をつらぬく構えである。
武装中立にはスイスが成功し、スウェーデンが追従している。
日本がこういう体制を許したのには国際情勢の動向があった。
張作霖爆殺未遂事件よりこっち、外交は裏の裏を見据えていた。
西欧ではナチスドイツが破竹の勢いで進撃を続けていた。
それに押されてユダヤ人が東洋に脱出してきたのだ。
1938年08月15日最初のユダヤ人難民が上海に上陸する。
中華民国維新政府(南京)は入国審査無しで入国出来た。
これは共同租界及び日本軍管轄下の虹口だけだった。
これに「いちゃもん」を付けてきたのがナチスであった。
東京の在日独国大使館付警察武官マイジンガー親衛隊大佐。
彼は上海市軍政部に赴き、ヒムラー親衛隊上級指導者の密命を伝えた。
「ユダヤ難民を虐殺や強制労働、人体実験の材料に割り当てるように」
要は欧州のナチスによる暴虐を東洋に持ち込もうというのだ。
こういう事態に備えて武装中立3州を密かに擁立していたのだ。
日本軍「南京維新政府が外務省の意向に背き、手に負えません」
日本軍「南京は『兼愛交利』を盾に独国の要求を拒んでおります」
マイジンガー「博愛主義か、厄介な思想を持ち込んだものだ」
彼の冷徹な炎を宿す眼がすうっと細くなった。
<自国の占領地も平定できん極東の猿めが>
日本軍「我々の不祥事に独国を巻き込む訳には・・・・・・」
マイジンガー「まったくだ、善処を求める!」
軍政部独特のうやむやな会話が続いた後、両国代表は別れた。
どちらも都合良く「自分の意向は通じた」と解釈していた。
上海に上陸したユダヤ人第一陣は3000余人。
彼らはオーストリア系であったが、その後も続々とやって来た。
ドイツ系、ポーランド系、ロシア系、バクダット系と様々である。
上海は世界で唯一旅券を見せれば入国出来る渡航先となった。
ロシア系ユダヤ人は上海で莫大な富とロシア系ユダヤ社会を築いた。
バクダット系はカドーリア家とサッスーン家が大富豪となった。
日本政府はかつてユダヤ人5万人移住計画を立ち上げていた。
1934年鮎川義介という異能者によって提唱された。
当時日産コンツェルン総裁にまでのし上がった彼の経歴は異質だ。
2年弱渡米して働き、可鍛鋳鉄の工場で働く。
可鍛鋳鉄は温度と加熱時間の厳しい管理下で白鋳鉄に可鍛製を持たせる。
そのノウハウを鮎川は米国で徹底的に学び、帰国した。
当時は銑鉄に添加物を放りこめば、何とかなるの放任工程しかなかった。
焼成の温度/時間/組織構造は日本国内にノウハウがなかったからだ。
これがなんと1910年(明治43年)のことであった。
この後、次々と事業に成功、三井/三菱財閥を凌ぐ大財閥となった。
三井6万人、三菱7万4千人、日産9万5千人が当時の従業員の数だ。
これを見ても相当な複合コンツェルンである事がうかがえる。
1937年鮎川は満州重工業総裁となった。
満州の軍/官/財界の実力者であった。
彼は「弐キ参スケ」といわれたの実力者の一人である。
これは東條英機、星野直樹、鮎川義介、岸信介、松岡洋右の5人だ。
末字をとって「弐キ参スケ」とした、いわゆる「語呂合わせ」であった。
このメンツでユダヤ人5万人移住計画を出されたら無謀な計画ではない。
1934~1937年にかけて「河豚計画」の名で実行に移された。
①ユダヤ系米国企業の満州への誘致
②満州ユダヤ人の定着をソ連への壁として使う
だが満州はソ連との危険な最前線地帯である。
ユダヤ人を敵と憎むソ連人も多く、物騒な有様だった。
最初は裕福なロシア系ユダヤ人が入植してきた。
ロシア系なら気心が通じ、ソ連とも仲良くやれるだろう。
しかしそれは日本側の甘い考えであった。
1933年03月ロシア系ユダヤ人ピアニスト誘拐殺人事件が起こる。
彼はロシア系ユダヤ人で「比較的安全と思われていたのに」である。
もはやユダヤ人にとって、満州は安住の地ではない。
そこでユダヤ人たちは満州から2000km離れた南京に目を付けた。
武装中立都市を宣言し、ソ連からの干渉もない。
満州在住のユダヤ人たちはぞろぞろ南京に引っ越した。
「河豚計画」は「海豚計画」という呼称に変更となった。
<計画名は東洞庭湖に棲む淡水海豚による>
陸軍大佐の板垣征四郎が総指揮をとった。
ユダヤ人富裕層の財産ごと、大規模輸送が計画された。
輸送と言えば物流の元締め「青幇」が引き受ける事になる。
張嘯林「この時を待っていた」
秘密結社青幇がこの富に近づいたのは必然であった。
ユダヤ人秘密結社フリーメーソンもまた青幇に接近する。
東洋と西洋の秘密結社はここに結託していった。
世界の商業/金融界の双璧を成すユダヤ人と中国人/華僑。
この双璧が一つのコングロマリット(複合大企業)を生み出したら?
そしてそれを仕掛けたのが日本人だったとしたら?
欧州はどの国も決してユダヤ人を受け入れなかった。
<エチオピアなど一部例外を除く>
そして日本だけがアジアの片隅で彼らを受け入れた。
独国の収容所で死ぬ運命から逃れる事が出来たのは日本のおかげだ。
ユダヤ人たちは決してその恩を忘れなかった。
次々と上海に上陸するユダヤ人たちは南京に向かった。
やがて南京は第二のパレスチナと呼ばれるに至る。
だがそれはまた別の物語になる。
河豚は海豚になり、計画は成功(IF歴史)。正史では開封にユダヤ人が7世紀後半から住んでいましたが、ここでは南京に入植です。こうして日本は少しずつ外交手腕を磨く事になるのです。次回はノモンハンの男(1/5)です




