南京事件(4/4)
実際の南京事件は降伏勧告を正午までとし午後1時半まで待ちましたが降伏の使者は現れず、松井石根司令はやむなく前進を命じました。唐生智第一上将最高司令官は蔣介石の撤退命令を受け南京を脱出。しかし一般兵はその命令を知らず、血肉を以て南京を死守せよという前の命令の通りに行動したのです
1937年12月10日正午。
句容街道に軍使が現れた。
それは唐生智第一上将最高司令官だ。
しかしどうもなにか様子がおかしい。
武藤章参謀副長「なんでキョドキョドしとるんだ?」
中山寧人参謀「間違って出てきたみたいな挙動ですなあ」
武藤「唐生智、过来这里!」
日本兵に中国語で呼ばれて唐はビクッとなって硬直した。
武藤「唐生智第一上将最高司令官が軍使とは恐れ入ります」
まだ唐はビクビクしており、参謀長と目線を合わそうとしない。
中山「これはジェスチャーなのではないですか?」
「敗戦の将が無念の情で打ち震えているのですよ」
武藤「降伏の軍使だからやむを得まいのだろう」
「しかしちょっと大げさに過ぎるところがあるな」
唐は逃げ腰だった、なのになぜ降伏という英断を下したのか?
唐は直前まで逃亡を図ろうと躍起になっていた。
実は西の双闸街道から逃げようとして門を誤った説まである。
だが経緯はともあれ、南京は無血開城(1937年12月10日)。
国民軍は全員が降伏、市民はホッと胸をなで下ろした。
日本軍は降伏した兵士を直ちに後送した(14日~17日)。
その数はおよそ13万余人。
貨物を満載したロードトレインは帰路はカラッポだった。
この5200t積載可能な自動貨車で捕虜を後送したのだ。
捕虜たちは舟山諸島にある捕虜収容島に送られた。
ロードトレインが物資を供給する一方、復興も急ピッチで進んだ。
無血開城その日から食料が配給され、市民は難民にならずに済んだ。
南京では、残留の役人が委員会を立ち上げ、行政を開始した。
公共施設の復活(役所、消防、警察、病院等)が急務だ。
すでに江蘇省政府も退去して南京にはおらず、亡命政府である。
いわば無政府状態、国民軍守備隊が治安を仮に取り仕切っていた。
省政府办公厅は遷都したため、もぬけの殻になっていたのだ。
これはいけない。
一方、日本軍は戦勝の宣撫活動に躍起である。
日本軍は国威発揚の為の記念撮影の為、数枚の写真を撮った。
松井石根騎乗による南京入城と挹江門を行進する日本軍。
この他「日本軍万歳」を叫ぶ南京市民の写真だ。
松井「もういいだろう、我々軍人の出番は終わった」
1937年12月21日全日本軍は城内から退出した。
あっけにとられる中国人たち。
「蛮行は?」
悪鬼の如くと中国軍が吹聴した日本軍の極悪非道な行いは?
それよりも中国敗残兵の蛮行のほうが恐ろしかった。
司令官は投降し、蔣介石は重慶に去ってしまった。
中国敗残兵を統率する上級士官は誰もいないのだ。
南京では強盗、略奪、放火、強姦が多発し、人心は乱れた。
戦争で勝者はおごり、敗者は窮鼠猫を噛むの如くである。
軍服を脱ぎ武器を捨てた兵隊が市民に紛れていた。
松井石根司令は大音声で彼らに向かって演説した。
松井「1938年01月01日に軍隊経験者が必要になる」
「それまで日本軍はお前たち便衣兵を見逃しておく」
一方、城外では戦災に乗じて匪賊が多数出現した。
敗残兵と思われる複数人の略奪、強姦が横行した。
日本兵も夜な夜な女を求めて強姦に出る者が後を絶たない。
そこで南京安全区で婦女子を保護してる牧師に日本将校が打診している。
<100人の娼婦の募集を要請し、慰安所設置を許可されたし>。
これは実際に設置され、強姦事件は激減、やがて消滅した。
城外の匪賊撃滅には日本軍が軍備をもって処断を下した。
装甲車vs馬、機関砲vsライフル銃といった塩梅である。
軍人vs民兵では、お話にならず、殲滅戦となり全滅させた。
1938年01月01日。
中華民国維新政府(南京)が3ヶ月前倒しで南京に誕生する。
これは華北の中華民国臨時政府(北京)と同じ傀儡政権だ。
これ以降南京には普通の生活が戻ってきた。
臨時政府は樹立したが、国防軍がまだなかった。
そこで軍隊経験者を高給で募集した。
すると出るわ出るわ、雲霞の如く便衣兵が湧き出してきた。
便衣兵「軍務経験者です、認識票291141M5151」
ご丁寧に認識票だけはどこかに保管していたようだ。
認識票は独軍の分割式認識票だ。
国民軍でもこれを持てるのは独バウアーの軍事教練経験者だ。
こんなエリート兵士が市民に紛れていたのだった。
認識票があれば給与、特別手当、様々な軍人年金が貰える。
維新政府と日本軍がこれを喧伝し保障している。
松井石根司令の懐柔作戦は大成功。
1人の犠牲者も無く、便衣兵全員の抽出に成功した。
陸軍は一般市民と便衣兵の区別がつかない。
あわや大虐殺が起きるところだったのだ。
こうして南京大虐殺は回避された。
20万人いた市民の内、17043人が便衣兵だったのだ。
さらに臨時政府は、10万人の国防軍を必要としていた。
そこで捕虜13万人が南京にまた戻ってきた。
松井石根司令は戻ってきた捕虜に演説した。
「帰農するもよし兵士に戻るもよし」
「お前たちが好きに決めるが良かろう」
日本軍の定着宣撫班が大規模農業を導入し始めている。
農家はかつての貧相な面持ちではなかった。
多くは帰農し、そうでない者は兵に戻った。
こうして国防軍は10万余人の兵力を手に入れた。
かつて武装解除され日本軍が鹵獲した独製兵器が再び手渡された。
江蘇省+浙江省+安徽省、上海と南京の治安維持と自衛が目的だ。
この三州は特別行政(自治)区という。
次回は河豚計画です




