戦時標準設計船(2/2)
日本のブロック工法の草分け的存在の石井利雄が登場します。3年間欧米の大型商船に乗船勤務した所までが正史で、あとはすべてIF歴史になります。
そんな中、1人の麒麟児が造船界に登場する。
石井利雄という造船技師だった。
彼は1935年に三井物産船舶部に入社する。
そして3年間欧米の大型商船に乗船勤務していた。
その頃、米国ではカイザー造船が勃興してきていた。
造船をリベットから溶接に切り替えた革新的技術を持っていた。
フォードの自動車組立工場を参考にしたと言われている。
船体を輪切りにしたようなブロックに分けて最後に繋ぎ合わせる。
このブロック工法を発案したのもカイザー造船であった。
1931年満州事変。
1932年上海事変。
1933年国際連盟脱退。
日本は国際社会の中で孤立化を強めていた。
しかし1933年~1937年までの日米関係は、まだ穏やかであった。
1937年の日中戦争勃発までは日米交流も続いている。
カイザー造船もそんな中、見学にも快く応じてくれた。
撓鉄加工は無理だが組立工程は見学できた。
撓鉄とは、水をかけながら鉄板をあぶって曲げる技術。
艦船の艦首曲面形状は、この技術で作られ、自動機械はない。
職工の腕と技術による手作業だ。
そのノウハウは企業の最高機密である。
渡米中にこの大量生産の現場に接した石井は仰天した。
石井「シロウトの女の子が溶接をやっている!」
聞けば前の仕事はウエイトレスだったそうだ。
石井「そんな溶接で大丈夫か?」
ヘンリー・カイザー「大丈夫だ、問題ない」
この容易な工程と効率的な作業を学んだ石井。
まだ敵性企業ではなかったが、詳細はもちろん社外秘である。
見学は可能、しかし撮影禁止はもちろん、スケッチもメモも禁止だった。
それでもひけらかしたのはカイザーの米国ゆえの高慢だろうか?
石井はただ、目で見て触って覚えて帰るしかなかった。
目で見たモノを頭の中で展開し、自分で考えねばならない。
彼はブツブツ言いながら、港の勤務船に戻っていった。
勤務船の自室で彼はもの凄い勢いで図面を書き始めた。
日本人は発明は下手だが改造は大好きだ。
そしてそれは時として「魔改造」と呼ばれる。
1938年戦時体制となり、造船の効率化が求められる時代となった。
米国はリバティー船なるものを計画して記録に挑んだ。
その結果、起工後4日間15時間29分という圧倒的速度を達成した。
この進水までの速度は2000年代の今も破られていない。
この記事に接した石井はひっくり返った。
同じ艦を造船するには9ヶ月は掛かるからだ。
石井「カイザーの野郎、やりやがった」
「こんな速度に勝てるワケがない」
これこそブロック工法の納期短縮の結果だった。
プラモデルのようにブロックを溶接でひっつけたのだ。
石井は地団駄を踏んで悔しがったが、どうにもなるものでもない。
米国の圧倒的国力、人海戦術、豊富な資源には勝てないのだ。
造船の設計は性能設計、基本設計、詳細設計、生産設計に分かれる。
性能設計は仕様書の速力を出す為に水槽試験で形状を設計する。
艦の形はよほど新型ででない限りおおよそ決まっている。
ここでは推進器や艦首形状などの仕様変更を考察する。
基本設計は形状に基づいて積載量、燃費、安定性を確保する。
詳細設計は実際に部品に展開して、工場で生産できる様にする。
生産設計は部品を一品情報に落とし込む設計だ。
出来た製造図面で必要な部品を内製や外注に注文する。
生産計画は膨大な部品と作業量を立体的に構築してゆく。
流通、仕事量、人員配置を工程に組み込んでゆく。
この組み立て工程が複雑で日本の造船のネックになっていた。
生産技術というものが日本ではスッポ抜けていた。
石井は艦船をおおよそ70~80のパーツに分解した。
設計事務所に関係者を集めて模型で分解組立を披露した。
個々のパーツはブロック工法で地上の工場で組み立てられる。
さらに工場では大組中組ブロックに分けられる。
さらにこれらは小組ブロックに分けられる。
小組ブロックは部品に展開させられる。
この部品を工員が溶接で施工するのだ。
こうしてブロック工法の要目は決まった。
日本でもリバティ船ならぬ戦時標準船を作るのだ。
まず実物大の製造図面を描く。
それに沿って治具を作成する。
その治具の通りに板金で部品を製作する。
部品を溶接で組み立て、ブロック単位で半完成品を造る。
曲面を出来るだけ省いた実に「不格好」な船体部品だった。
曲面は造波抵抗を少しでも減らそうという知恵だ。
それを捨ててまで工程簡略化に拘ったのだ。
出来上がればおそらくは2%ほど船速に影響が出るだろう。
船用内燃機関が専門だった彼は、前述の折衷案の機関を取り入れる。
米国製のエンジンなら2%なら0.7ノット程度落ちるだけだ。
ついにブロック工法の巨大な輪切りがドライドックにやって来た。
これを順に艦首から艦尾まで並べて、あとは溶接でひっつけるだけだ。
これをいざ組み立てようとすると嵌合が合わなかった。
石井「合わない?溶接の反りじゃないのか」
玄人なら反りを予想したり、逆に利用したりして適正に持って行く。
溶接による板金の内部応力による反りが原因ではない。
部品の累積公差で取り付け穴や(最悪)外形が異なって合わないのだ。
石井「組立用治具と標準穴のある部品で合わせよう」
こうした切磋琢磨のおかげでブロック工法は様になってきた。
何しろ初めてのことなので、問題も初めてのモノばかりだ。
ついに完成したのは海防艦という1000トン付近のクラスである。
簡略化を徹底し、小規模な造船所でも建造できるようにした。
日本で必要だったのが、船団保護のこういう海防艦なのだ。
護送船団の護衛役を担う、今でいうコルベット艦が大量に必要だった。
ついに簡素であり大量生産が可能な造船技術をモノにした日本造船界。
この流れは空母にも引き継がれ、量産に王手が掛かった。
一方、カイザー造船は窮地に立っていた。
戦時標準船が突然、脆性破壊を起こして沈没した。
停泊中の船が突然割れて沈むのだからたまらない。
当時原因不明の事故として恐れられた。
これは溶接不良と不適切な板材の使用によるものだ。
剛性にばかり目が行って靭性について見落としていた。
日本ではこういう破壊は見られない。
あらかじめ靭性の高い溶接構造用圧延鋼材|(SM490)を使用したからだ。
こういう所は、細かい神経の日本人だから気付くところか。
靭性は1901年仏国のシャルピー発明のシャルピー試験機で実験可能だ。
この実験機はVノッチの入った試験片をスイングハンマーでぶっ叩く。
それで吹っ飛んだ試験片の破壊状況を観察し靭性を見るのだ。
簡単な試験だが、現物の試験片を破壊するので、実測値が得られる。
石井は様々な組成の試験片を試し、SM490に辿り着いたのだ。
石井「悪いが、カイザー、運が悪かったと思ってあきらめてくれ」
「敵の米国人のキミに、この事実を打ち明ける訳にはいかないんだ」
だがカイザーはいかにも米国らしい方法でコレを解決した。
カイザー「統計的には1000隻の内、5%の50隻が沈んでしまう」
「だったら1050隻造ればいいじゃない!」
なんと50隻は最初から廃棄する目的で造船する事になったのだ。
日本では見られない豪快な解決法だった。
量産には莫大な鉄材とその原料の鉄鉱石が必要だ。
また量産はいいが、燃料の石油がなければただの鉄の箱だ。
日本にはこれまでに備蓄したクズ鉄と石油がある。
これで半年や1年間は充分に製産出来る分量はまかなえる。
資源は全て敵性外地である東南アジアや豪州にある。
計画は完成した、あとは資源である。
ここで冶具と治具について当小説での扱いについてお知らせします。これは英語のJIGの当て字です。同じ音をもつ次という漢字が「にすい」である為、長い間、冶具が歴史的に使われてきました。しかし戦後JIS X0405では「治具」という「さんずい」表記に変わっています(中分類32の7:治具,取付具及び金属加工用具)。この小説の内容は戦前の話ですがIF戦記を書いているのが2021年なので、以降「治具」で統一します。ご了承願います。
ついに海防艦クラスの量産のメドが立ちました。次回は第二次上海事変(1/3)です




