インパール(15/17):ベンガル進攻
英国人とインド人の区別はハッキリしていた。
「御主人様」と「下男」の関係だ。
その英国支配を日本軍がひっくり返すのだ。
もともと全インドが(英国は出て行け運動)に染まっていた。
大英帝国の構成要素としてのインドは開戦を強いられていた。
英国総督府のリンリスゴーは民族主義者に協議をしなかった。
日本の調略と英国の奸佞が真っ向から対立する。
常に英国に裏切られ、隷属を強いられてきたインド。
密偵の言葉にインド兵は心を動かされた。
だが支配階級の将校は全員白人の英国人だ。
CRPFが固守する将校専用の司令部は誰も近づけない。
CRPFはインド人を統率する為の秘密警察である。
牟田口「なに?英国人が恐くて反抗できない?」
「よしよし、今、一掃してやるからな」
数日後、高度1万mを高高度戦術偵察機が飛行していた。
帝大航研設計+立川飛行機製作の「研二」にあたる。
「特秘」扱いのため試作機のキ番号がない秘密機だ。
高度2万mをグライダーのように飛び、爆弾をディマプールに投下した。
赤外線誘導の対艦徹甲爆弾(ケ号爆弾)だ。
将校司令部の対爆コンクリートは周囲より温度が低い。
そこに向かって誘導弾は真っ直ぐに突っ込んでいった。
ヒュウウウ~ン、ドズンッ!
コンクリートバンカーの天井を突き破ってきた。
成形炸薬弾がバンカー内にジェット噴流をまき散らした。
ドッグワアア~ンッ、パリーン!
粉々になって吹き飛ぶコンクリートバンカー。
将校クラスの殆どがその司令部に詰めていた。
手足が吹き飛び、胴体が裂け、内臓が飛び散った。
瀕死の重傷者にインド兵が駆けつける。
インド兵「旦那様、しっかりしてくだせえ」
インド兵「衛生兵!衛生兵!」
インド兵「来ましたよ!」
衛生兵は日本人だった。
指令系統がズタズタになった英印軍は大混乱。
そこへ一気呵成に日本軍が進撃してきた。
インド人兵たちは一斉に蜂起した。
あっという間に飛行場と通信施設になだれ込む。
飛行場には英軍機464機、米軍機271機がいた。
この内、貨物機は600機、戦闘機は135機であった。
その135機は細工されて飛び立てない。
昨夜の内に奇数番点火プラグを抜かれていた。
野砲は給弾輸送兵のインド人が逃げてしまい弾薬がない。
M3中戦車は履帯のピンを抜かれて動けない。
内部呼応が上手く行ってディマプールは陥落した。
あろうことか、無血開城である。
牟田口「戦略は戦う前から勝っている」
「兵法三十六計の内三十三計の反間計よ」
言うは易し行うは難し、である。
牟田口は言うだけで、実行するのは現場なのだが今回は成功した。
これもF機関の扇動のおかげと牟田口の「仲間」発現の影響だ。
牟田口司令は気付かずに言ったろうが、効果は抜群だった。
こうして中国奥地の崑崙にいる蒋介石への補給路も断たれた。
600機の貨物機、135機の戦闘機は日本軍に鹵獲された。
牟田口司令の「敵の鹵獲兵器、弾薬糧秣共に得る」は成功した。
共闘したインド国民軍は感極まって泣き出す者もいた。
インド兵「カマール・カル・ディヤー」
インド兵「インディア・ズィンダーバード!」
インド兵「イェ・フイー・ナ・バート」
日本兵「なに言ってるのか分からん」
日本兵「まあ、嬉しそうなのはわかる」
日本兵「祖国解放なんだよ、そりゃ嬉しいだろ」
英国人捕虜とCRPF残党は海南島送りとなった。
「ディマプール陥落!」インド国内にニュースが飛び交った。
インド人は大喝采、英国人は意気消沈だ。
1510年ポルトガルがインド南部ゴアを制服。
以降デンマーク、オランダ、ポルトガル、フランス、英国。
今こそ400年に渡り欧州に蹂躙された祖国を取り戻すのだ。
ディマプールはその嚆矢となる軍事拠点である。
司令官はモーハン・シン、捕虜となった英印軍インド人だ。
彼は大尉という下位将校だった為、統率が困難になると予想された。
革命家ラース・ビハーリー・ボースが首長として指揮権を行使した。
日本がインド北部に進出した事を英総督府は重く受け止めた。
ヴィクター・ホープ総督「焦土作戦しかない」
英印軍はいままでの戦闘で多くの物資を鹵獲された。
日本軍は敵から大量の物資を鹵獲して補給している。
次の進攻地となるインド東北地方でも同じ事が起こるだろう。
インド東北のベンガル・アッサム地方を焦土と化す。
焦土作戦でこの地方から食料・流通手段を先に巻き上げる。
ベンガル・アッサム地方はビルマに米を輸出して生計を立てていた。
日本軍ビルマ侵攻によりビルマは敵国となり輸出は停止。
英総督府は(日本侵攻を恐れて)ベンガルの米と牛を剥奪したのだ。
日本軍の鹵獲物資となる事を恐れての事だった。
食料の米と牛車の流通を失ったベンガル地方。
食べるモノもなく交通の手段もない。
さらにビルマ移民だったインド系住民50万人が難民となって押し寄せた。
難民はマラリア、赤痢、天然痘、コレラをインドに持ち込んだ。
米不足になり米価格は高騰、争奪戦が始まった。
英総督府はベンガル飢饉に対して何の手も打たなかった。
日本軍ベンガル進攻を恐れた英総督府は次の手を打った。
ベンガル南部は扶翼なデルタ地帯で河川に橋はない。
住民は小舟を自動車代わりにして流通を支えていた。
この河川交通の要、ボート・カヌーの強制没収と破壊である。
その数は4万5千艘にも及んでいた。
陸路も水路も流通手段が絶えたのだ。
これにすぐ手を打ったのは日本軍とインド国民軍だ。
600機の貨物機が手元にあり、ビルマには物資がある。
長期にわたる兵站継続のために貯め込んだ軍事物資だ。
ディマプール無血開城の為、この物資は当面必要ない。
ベンガルに空中補給する案が牟田口司令に提出された。
次回はインパール(16/17):新兵器キ98です




