満点の「ありがとう」
着ぐるみに入り、劇をしたりするバイトを終えた帰り道。私は、物陰に隠れて再び、マスコットキャラクターになろうとしていた。
「うっ……。私がどうにかしなきゃ」
ハードなバイトをこなし、私が家に帰る道をたどっていると、泣いている女の子を見つけてしまった。子供の笑顔は大好きだが、泣き顔は苦手だ。しかし、この誇り高き天高 遊姫に逃走は許されない。
ちょうど、ここに着ぐるみがある。泣いている子供を笑顔にするのなら、これ以上ないほど心強い物だ。私の羞恥心を除けば……。
だって、バイトで着るのとは訳が違う。バイトは、バイトだから仕方ないとも考えられる。けれど、今から着るのは完全に私自身の意思だ。
迷ってる暇はないね。私のプライドは、自ら着ぐるみを身につけたくらいじゃ崩れない。たぶん……。
私は周りを見渡して、女の子しかいないことを確認すると、素早く物陰に隠れてポンちゃんになった。そして、ダッシュで女の子のもとに向かう。近くで見ると、やっとわかった。この子、私が出る劇に毎回のように見に来てくれる子だ。
あ、やばい。ポンちゃんって喋ったことないじゃん。別に喋れない設定ってわけじゃないんだけど、どうしよう。語尾とか付けなきゃいけないかな?
「大丈夫、ポ、ポンか?」
やってしまった……。これ以上ないほどの安易な語尾だ。仕方ないもん。これしか思いつかなかったし。
「ぽ、ぽんちゃん? 喋れたんだ……」
夢を壊してしまっただろうか? でも、とりあえず泣き止んでくれた。きっと驚きが悲しみを超えたんだろう。
「いつもは、しゃ、喋れないふりをしてるだけ、ポン。それで、なんで泣いていたポンか?」
「ふうせんがね、木に引っかかっちゃったの」
なるほどね。近くの木を見ると赤色のふうせんが、枝と枝とのあいだに挟まってしまっている。そこまで高いところではない。がんばったら届くかな?
「ポンに任せるポン!」
私は木の真下まで行く。背伸びをして、手を伸ばすが、届かない。思っていたよりも私の身長は低かったようだ。
ポスッ ポスッ
ジャンプをしてみるが、本当にギリギリで届かない。着ぐるみが手を伸ばしてピョンピョン跳ねる。きっと、傍から見たらシュールな絵面になっていることだろう。
これがボールとかだったら、何か投げたり、長い物でつつけば取れたかもしれない。でもふうせんだと、間違いなく割れるか、空に飛んで行ってしまうね。
「ぽんちゃん、無理しないで」
「だ、大丈夫だポン」
遥か年下の女の子に心配されてしまった……。それにしても、こんな恥ずかしいところを子供以外に見られたらと思うとぞっとする。本当にいなくて良か――いた……。嘘だといって、神様。
さっきまでいなかったのに、こっちをなんか変な顔で見ている人がいる。とてもガラが悪そうな、長身の男性だ。
そうだ、あの背の高い人なら届くかもしれない。そう思ったけれど、臆病な私には、話しかける勇気は出せなかった。
チラチラ男性の様子を窺っていると、衝撃の事実が発覚する。なんと、あの怖そうな男性が、ポンちゃんのキーホルダを肩にかけた小さなバッグにつけていたのだ。
ポンちゃん好きに悪い人なんていない。そう信じて、私はノッポなお兄さんに、頼んでみることにした。
ポス ポス ポス ポス
私は小走りで、よく見るとイケメンかもしれないお兄さんに近寄る。着ぐるみは走りにくくて少し転びそうになったけど、何とかそうならずにお兄さんの前まで来ることができた。
「あの、その、風船とってください、ポ、ポン」
「喋った……」
おそらくポンちゃんファンであろうお兄さんは、あんぐりと口を開けている。やっぱりマスコットは喋ったらおかしいのかな?
「えと、お願いしますだポン」
「お、おう。あれをとりゃいいんだな? 任せとけ」
そういって、ぎこちない笑みを浮かべたお兄さんは木の方へ向かっていく。もし、私が頼んだことじゃなかったら、木の傍にいる女の子を誘拐でもするのかと思っただろう。
「これは、お嬢ちゃんのか? ほいよ」
背伸びすらせずに、風船を手に取った。それから、女の子に手渡す。やっぱり、見た目は怖いけど、良い人だ。無精髭さえどうにかすれば、かなりモテそうなのに。もったいない。
「ありがとうございます、だポン」
私は頭を下げて感謝した。着ぐるみだとお腹がきついから、ちょっと苦しい。
「――いい……」
「?」
なんて言ったんだろう? ぼそぼそしてて聞こえなかった。
女の子は、少し怖めなお兄さんが近づいてきたときには、かなりビクビクしていた。しかし、風船を取ってもらって、優しいお兄さんだということが分かったみたいだ。それからは、そんな様子は消え去り、嬉しそうにしている。
「おじさんもぽんちゃんも、ありがとう!」
満点の可愛らしい笑顔を浮かべた女の子は、私とお兄さんには、少し眩しかった。
お兄さんは、さっきのような、ぎこちない笑みではなく、自然に笑っていた。私もニヤニヤしてしまっていたけれど、着ぐるみなのでバレていないだろう。だから、女の子に笑顔を見せる代わりに、頭をなでる。
この世界全てを温かくするのは、私のちっぽけな力では、できないだろう。それでも、せめて目の届く範囲では、涙を流す人がいないようにする。それが、私の夢だ。