救出
「やれ、ラピス」
《いえす、ますたー。【マスターオブアイス】――【ブリザードランス】》
バスの車内に氷雪が吹き荒れて、氷の槍が如月さんと福原さんに襲いかかった無数のスライムを貫き、凍りつかせた。
ぼくは、漆黒の大剣【フォースブリンガー】を握り、外でバスを取り囲んでいたスライムたちを黒き暴風で切り刻む。
スライムは、有効な攻撃手段さえ手にすれば、足の遅い的に過ぎなかった。
数は多いが統率はとれておらず、油断さえしなければ、実践経験がゼロに等しいぼくでも危なげなく戦える。
《ますたー、お二人とも無事ですっ! ラピスは、間に合いましたぁ》
ラピスの思念が送られてくる。
【スライム騎乗】でつながっているぼくらは感覚を共有することも可能であり、その気になれば、車内の様子も見えた。
ぐったりと力なく横たわる如月さん。
福原さんはなにが起こったのかわからずにうろたえている。
《ほめてほめてほめてほめてほめてくださいっっ!》
「とりあえずその車内にいる冷凍スライムを食って、新しい能力を身につけたらな」
《うへぇ……ちめたいです……》
あらかたのスライムを倒すと、残りは地面の中へと撤退していった。
ぼくは大きな剣を肩に担いで、見るも無惨なバスの中へと入る。
「古河くんっ!」
こちらを見て、福原さんが声を上げた。
「如月さんの容態は?」
「え? あ、うん……スキルの使いすぎで、魔力切れを起こしたの。命に別状はないみたい。ちょっと休んだら、動けそう」
「ちょっとっていうのは、どれくらいだろうか?」
「えーっと……三十分くらいかな」
自身のスキルで、確認する福原さん。
「そうか」
今ここで、如月さんをラピスに食わせるべきか、そうせざるか、ぼくは天秤にかけた。
三十分は、かかりすぎる。
悠長に如月さんの回復を待っていたら、またスライムが来るかも知れなかった。
ラピスが如月さんを取りこんで【物質修復】を【吸収】すれば、すぐにバスを修理して出発できる。
しかし……スライムは、対処できることがわかった。
ぼくら以外の人間が死んだ現状、彼女を失うことは、有用な駒の損失になりはしないか?
ここまで粘った如月さんは有能だ。
有能な人間は生きるべきだとぼくは思う。
「古河、くん……」
横たわる如月さんが、うっすらと目をあけた。
「よかった……無事だったんだね」
「当たり前だ。あんな単細胞生物共に、殺されてたまるか」
ぼくを見上げて、彼女は力なく微笑む。
「あたし……古河くんが助けにきてくれるなんて、思わなかった」
「別に、助けにきたわけじゃない。このバスはぼくが占拠するって、いっただろう」
そこで、ラピスからの思念が送られてくる。
《ますたー、冷凍スライム完食しました! 結果は外れです! 一匹もスキルを修得してるのはいませんでした》
「よし、次は外で泥になってる奴だ」
《うへぇ……》
蒼き下僕スライムは、のそのそと外に出ていった。
「あ、あのスライムは……? 古河くんのいうことを聞いてるみたいに見えるけど」
「ぼくの下僕だ、危害は加えない。あいつが外のスライムを食べるまでに回復して、バスを直してくれ。この場所は、一刻も早く離れたい」
「ん……努力します」
「過程はどうでもいい。大事なのは結果だ」
そう言い残して、ぼくもバスの外に出た。
ぼくは、力の入らぬ無防備な姿の女性を見たがるサディスティックな人間ではないし、如月さんだってそうだろう。
外に出ると、乾いた風が吹きつけた。
空は抜けるような青さで、たった今、三十人以上の命が失われたなんてとても信じられない。
きっとこれが、この世界の日常なんだ。
《はむ、にが、まじゅい……》
ラピスは、バスのまわりで山となった紫色の泥をもそもそと食していく。
どこもかしこも、見てて愉快なものではないな……。
「ラピス、【ホーリーホーク召喚】だ。ちょっとまわりを偵察させよう」
《いえす、ますたー》
【ホーリーホーク召喚】は、ウインドホークとサンダーホークという二羽の大鷲を召喚するスキルだ。
偵察に使えるし、人ひとりならば脚につかまらせて運ぶこともできる。
ラピスの身体が薄緑色に輝き、その魔力によって生みだされたウインドホークを、先ほどクラスメイトたちが惨殺された地点へ飛ばした。
ウインドホークの視覚と聴覚はスキル主であるラピスと同調しており、【スライム騎乗】でつながっているぼくにも共有される。
大鷲の視点から黄土の荒野を鳥瞰すると、まだむこうはスライムたちが点在していた。
あいつらは、誰かのスキルを奪ったスライムだろうか?
スキルは強力だ。選択肢の幅が広がる。
可能ならば、一匹でも多くのスライムをラピスに食わせ、【スキル吸収】させたかった。
とはいえ、まだわからないことも多い……ぼくとラピスだけでモンスターの群れの中に斬りこむのも、慎重さに欠ける。なによりも優先すべきなのは、情報だ。
「ん?」
岩場の影になにかが動くのが見えた。
人だ。女子の制服を着ている。
「生き残りがいたのか……鮫島さんだな」
鮫島絵美……狭間のシンパの一人だ。あいつに惚れていて、教室で最大勢力を誇る女子グループの中心人物の一人。
好きか嫌いかと問われたら、間違いなく嫌いだと答える女だった。
「どうする……放っておくか?」
別に、助ける義理は感じない。ぼくに突っかかってきた狭間をいつも援護していて、わざわざ連絡事項を伝えなかったりとか、そういう姑息なことをしてくる女だ。
鮫島さんは青ざめた表情で額に大粒の汗をかき、肩で息をしている。
如月さんと同じ、魔力切れを起こしているんだろう。推測するに、隠密系のスキルでずっと息をひそめていたが、魔力切れを起こして出てこざるを得なくなった、という感じか。
「隠密系のスキルか……あれば便利だな」
スライムが、鮫島さんに気づいた。
じわじわとにじり寄るスライムたちに、彼女は包囲されていく。
このままスライムに取りこまれてしまっては、彼女のスキルをぼくが手に入れることはできなくなるだろう。どのスライムがどのスキルを持っているのか、区別はつかない。
「ラピス」
《いえす、ますたー》
ラピスは紫の泥の取り込みを中断して、ウインドホークを操る。
風をまとった大鷲は、鮫島さんに襲いかかろうとしたスライムに体当たりをして吹っ飛ばした。
全長二メートルにも及ぶ巨大な翼を広げた怪鳥は、そのまま呆けている鮫島さんの腕をつかみ、空へと羽ばたく。
しかし、吹っ飛ばされたスライムはすばやく触手を伸ばして、それを阻んだ。
半透明な粘性の触手は、鮫島さんの脚に巻きつき、そこからさらに身体へと伸びていく。
「い、いやぁっ! 汚い、離してよぉっ」
彼女の恐怖におののく悲鳴が聞こえた。
「やっぱり、ぼくたちもいかなきゃダメか」
虎穴に入らずんば虎児を得ず……これも、彼女のスキルを確保するためだ。
「ラピス、サンダーホークだ」
《いえす、ますたー》
翼に雷をまとった黄色い大鷲が召喚され、ラピスを抱いたぼくの腕をつかんで、飛び上がった。
《えへへえへへ、ますたーに抱っこされちゃいましたぁ》
嬉しそうに、ぼくの胸に身体を擦りつけてくる粘性生物。
弾力のあるやわらかな感触は猫の肉球にも似て不快ではないが、こいつが上機嫌なのはなんかむかつく。
「黙って、これから食べるスライムの料理方法でも考えてろ」
鮫島さんの危機は、依然続いていた。
ウインドホークはその羽ばたきで風の刃をつくりだしてスライムの触手を切断するも、そうしているうちにさらに他のスライムが集まってきて、鮫島さんの肌に触手を絡みつかせる。
彼女の制服はところどころ破けたり溶けたりして、白い肌やレースの下着が見えてしまっていた。
恐怖と羞恥で顔を真っ赤にして、瞳に涙を浮かべている。
「おまえらスライムっていうのは、女性を暴行したりもするのか」
《発情中の一部のスライムだけですっ! ら、ラピスまだ生まれたばっかりですので、そ、そんなあだるてぃーなことは……》
「するのかよ……本当に単細胞生物だな」
《で、でも、ますたーがお望みとあらば、ひだひだとろーしょんたっぷりのえっちなほーるとなって、おもてなしする準備ありますっ》
「望んでない黙れ。ウインドホークに集中してろ」
《多勢に無勢ですよぅ》
鮫島さんを包囲するスライムは、二十匹近くになっていた。
それらの触手は鮫島さんだけではなくウインドホークにも巻きついて締めあげる。
とうとう滞空することも困難になって、一人と一羽は地面に落ちてしまった。
鮫島さんは迫るスライムの恐怖に敗れ、瞼を閉じる。
誰が鮫島さんを捕食するか、スライムたちはもめていた。
触手でお互いを威嚇し合い、抜けがけしようとしたものを攻撃する。
愚にもつかない単細胞生物……けど、おかげで間に合った。
「ラピス、【ソードスレイブ】をよこせ」
《いえす、ますたー。【サモンソード】――【ソードスレイブ】》
地面に着地すると同時に、タクトのような細剣をラピスが投げ渡してくる。
指揮者みたいに頭の上でふると、意思を持った十本の魔法剣が、ぼくの周囲に現れる。
とつぜん現れた大きな魔力に、鮫島さんを襲おうとしていたスライムたちがこっちに気づいた。
五匹のスライムのがこちらへむかってくる。
それを見て、鮫島さんもぼくを視界に捉えた。
「古河ッ!?」
「バスに走れ!」
声を張り上げながら、迫り来るスライムの一団にむかって、ぼくは細剣を振りかざした。
十本の剣に念じる――貫けっ!
魔法剣は、雨のごとくスライムたちに降り注いだ。
【異世界勇者】のクラス特性【剣術】は、常人離れした剣さばきを可能にするのに加えて、剣による攻撃の威力を飛躍的に高める効果がある。
つまり、ラピスが使ったときは致命傷にならなかった【ソードスレイブ】も、ぼくが使えば事情が変わる。
スライム一匹に対し、二本ずつ剣が刺さった。
貫かれたスライムたちは、透明な身体の内側に紫色の毒素のようなものが広がっていき、最終的には土塊のような姿となって動かなくなる。
やはり、勝てる……ぼくにとってスライムは、恐怖の対象じゃない。
「そのスキルって――きゃっ!」
ぼくの戦う姿を見ながら走っていた鮫島さんは、足をもつれさせて転んだ。
彼女を追っかけていた残りの粘性生物は、我先にと彼女へ飛びかかる。
「いやぁっ!」
「【ソードスレイブ】ッ!」
地面に突き刺さっていた剣たちは、目に見えぬ使い手によって抜き放たれて、再び空中を走った。
鮫島さんに覆いかぶさらんとしていたスライムたちを、空中で串刺しにして、そのまま吹っ飛ばす。
ぼくは、鮫島さんを庇うように立った。
いまだ、十匹ほどのスライムが群れをなして向かってきている。
「よそ見するな、一目散にバスに逃げろ。生き残りがいる」
「む、むり……」
鮫島さんは尻餅を突いたまま、泣きそうな声で首を横に振った。
「腰、抜けちゃって、立てない……おぶって」
「ああ? ふざけるな」
今ぼくの隣にラピスがいたら、迷わずにエサにしていただろう。
しかし、ぼくの下僕は地面から出てきた新手のスライム阻まれて、それを処理していた。
まずいな……ぼくらが来て力を使ったら、ますますスライムが集まってきている気がする。
スキルを発動するのに使う魔力に引き寄せられているんだろうか?
けれど、バスでは撤退していったやつもいる。
おそらく、勝ち目のない戦いと理解するまではむかってくるんだ。
地面から、触手が伸びてくる。
下からの攻撃は、警戒していた。
紙一重でかわすと鋭い太刀風がぼくの前髪を切り裂いた。
地面から姿を現したスライムは、薄緑色の輝きを帯びている。
「触手を刀のように……おまえ、狭間を食った奴だな?」
当然、スライムは答えない。居合抜きのように鋭く触手を伸ばしてぼくに斬りかかってくる。
あの男は、【斬鉄】は触れればなんでも切り裂くスキルだと自慢していた。
ぼくは大きく後ろに跳んでかわしながら、【ソードスレイブ】の一本でその触手を受けた。
案の定、意思を持つ魔法剣はバターのようにたやすく両断されてしまう。
「あ、あいつ、狭間くんのスキルを……」
「下がってろ!」
身を乗り出そうとした鮫島さんを後ろに蹴飛ばして、ぼくはスライムと対峙した。
たとえ一撃必殺の強力なスキルを持っていようと、当たらなければ意味がない。
剣の扱いも手数も、ぼくのほうに分がある。
「踊れ、【ソードスレイブ】」
細剣をふると、九本になった剣は空中で回転しながら飛びまわって相手を翻弄した。
スライムはスキル【斬鉄】をこめた触手を振りまわすが、その動きは闇雲で、こっちを捉えることはできない。
「単細胞生物が――」
乱舞する【ソードスレイブ】の刃が時間差で閃いた。
敵スライムは少しずつ身体を削り取られ、傷口から紫色ににごっていく。
「これで、とどめだ」
最後の一刀で真っ二つとなると、力尽きて泥となった。
「ウソ……」
スライムをあっさりと倒したぼくを、鮫島さんは目を丸くして見つめる。
《ますたー、おわりましたーっ!》
周囲のスライムたちを蹴散らしたラピスが合流すると、もはや言葉を発することもできなくなった。
「掃除しろ」
《はいぃ》
ラピスが、スライムの死骸を取りこんでいくと、新たなスキルがぼくの右腕に刻まれる。
スキル
【サモン・ソード】
【マスター・オブ・アイス】
【超怪力】
【察知】
【分析】
【ホーリーホーク召喚】
【スキル付与】
【マスターオブファイア】
【斬鉄】
「ハハッ――ちょろいなぁ」
新たに並ぶスキルに、ぼくは乾いた笑いをこぼした。
頭の中を駆け巡る、溢れんばかりのスキルの情報。
今この一瞬でぼくは、どれだけのことができるようになってしまったのか。
一生をかかっても使い切れぬ富を手にしたかのうような、全能感と虚無。
まだなお、こちらにむかってくるスライムがいた。
そいつは、薄緑色の光を帯びて、巨大な漆黒のドラゴンへと変身する。
スキル【ドラゴン変身】――鈴木を食ったスライムだ。
全長二十メートルに及ぶ巨竜の出現に、鮫島さんが怯えた声を出す。
一歩前に進んだだけで、地面が揺れた。
咆吼は全方位に放たれる衝撃波であり、大気をビリビリと震わせる。
空を仰ぐように見上げねばならぬ敵――にもかかわらず、ぼくの心には微塵も恐れはなく、冷静を保っていた。
「ラピス、ドラゴンスレイヤーだ」
蒼きスライムは【サモンソード】でぼくの身の丈ほどもある巨大な両刃の剣を召喚する。
受け取るとずっしりと重く、【異世界勇者】となったぼくでも肩に担がねばならぬほどの重量であった。
「【スキル付与】――【超怪力】【斬鉄】」
《いえす、ますたー》
蒼いスライムの触手が伸びてぼくに【超怪力】と【斬鉄】が付与される。
身の丈ほどもある鋼鉄の塊が、羽根のように軽くなる。
いや、剣だけじゃない……身体もだ。
ぼくは大地を蹴った。
【超怪力】によって強化された脚力で、一気に敵の頭上へと跳躍する。
巨竜は目でぼくを追いかけながら、剣のような牙がずらりとならんだ大きな顎を開く。
上顎の先の鼻から息を吸いこむ瞬間に、火の粉が散る。
「ブレスを撃つ気か」
超高熱の息吹が、真っ赤な炎の塊となって、吐きだされた。
「【斬鉄】が、なんでも斬れるスキルなら――」
迫りくる火球に、刃を振り下ろす。
炎は真っ二つに割れて、ぼくに道を譲った。
「おおおおっ!」
そのまま、ドラゴンスレイヤーの剣尖を下に向けて、落下していく。
竜殺しの剣は、ドラゴンの眉間を貫いた。
巨竜は、苦悶の断末魔を響かせる。
ラピスがウインドホークを召喚して、こちらに飛ばした。
ぼくは突き立てたドラゴンスレイヤーをそのままに、大鷲の脚につかまる。
ドラゴンは地響きを立ててのたうち回り、やがて元のスライムの姿へと戻った。
「ラピス」
《いえす、ますたー》
死んで、紫の土塊となったスライムを、ラピスは取りこむ。
ぼくの右腕に、ラピスの新たなスキルが刻まれた。
【ドラゴン変身】
古河奏人のスキル……11個