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8話  令聞令望の裏側

 夢は空気よりも儚い。


 現実逃避という名の妄想の産物だと理解していても。

 過信なのは十分に承知している。


 夢を現実として形を成す為に努力を怠らず積み重ねても、未来が見えない現実は誰よりも厳しくて。どんなに頑張ろうと見据えた世界は違っていたり、彼との距離は近くとも、同じ時間はきっと過ごせない。


 今も彼に憧れ続けている、大切な理由。


 幸乃自身がまだ未熟で、外見を変えても、中身は弱虫なままだから。

 いつか同じ景色を眺めたい。彼が描く世界を共に歩みたい。誰かを救えるような心優しい人に幸乃はなりたいのだ。


 ―――そう。彼のように強くなりたい。


 背中を追う内に、ふと気付けば好意を抱いていたなんて。人前なんて言えない。


 考えるだけで恥ずかしい。

 意中の少年が同じ空間にいることが、どんなに嬉しいか。


 けれど不安の一面は拭えない。


 もし聞き耳をしてしまえばどのような反応を示すのか怖気付いてしまう。身勝手で乱暴な素振りを見せてしまった以上、嫌われるのは当たり前。偏見な態度で嫌味を言われるのが怖かった。


 特に。下衆を蔑む冷ややかな眼差しは、息を殺してしまうほど。

 美しくて。心が震える。


 ―――きっと、こう言われてしまうのだろうか。


『……だから、なんだ』


 ああ。

 やっぱり、自分はその程度の人間だったんだ。


 そんな終わり方は辛すぎる。努力が全て水の泡となって消えていく。


 自分が一生懸命追い掛けていたものが。

 一瞬のワガママによって壊されてしまう。詰まらない物で終わってしまう。努力の意味を簡単に壊す衝動の暴走に駆られてはいけない。


 空っぽになるのは、孤独よりも辛い。


 いつか期待は裏切る。


 人はそうして生きてきた。信頼が諸刃の剣になるプレッシャーを。神経を逆撫でする無関心の言葉が、気持ちを沈ませる毒となる。挫折を知る幸乃は散々体験してきた。何も失わないで成功してきた人はいない。重圧の中でみんなは苦労してまで『夢』を叶う為に背負ってきたのだから。


 全てが無駄に変わる。


 それだけでも十分に地獄を味わえるだろう。

 憧れていた人を好きになる行為が、自分自身を滅ぼすことを。


 ぬか喜びは禁物だ。過ちを繰り返さない為にも。幸乃は自尊心を鍛えていた。差別を抱かない平等の心が必要な時期で、自分に必要なものを探る。一体何が最善なのか、問い質した結果、幸乃は自惚れることを止めた。


 もっと謙虚に。


 礼儀を払う幸乃は心の有り様を、従容として貫いていく。


「えーと、実は、前から好きな人がいましてね……」

「おー! 充実した高校生活を送れそうね。それでその彼は同じクラスなの?」


 瑠依の表情が一層とにこやかになる。


 あの時喧しい一件を巡る中で。クラスメイトの温度差を感じた中で。


 誰よりも先に対等に接してくれたのは。

 綾瀬瑠依だった。


 噂の波を静める言葉は勘違いを溶かしていく。みんなを震わせる正直な一面は関心を覚えるほどに。場に長けた見事な貫禄と素早い対応はクラスを纏めるリーダー的な存在であり、年相応の性根と笑顔が可愛らしくて。


 そんな真面目な女の子は。

 清らかな心の持ち主であり、誰よりも気に掛けてくれる。



 ―――まるで。クラスのマドンナではないか。



「同じクラスなんだけど、悪い印象を与えちゃって。距離を置かれちゃったんだよね……。前に会ったことがあるんだけど、私イメチェンをしたから、その、彼には別人に見られてるんだよねー。あはは、なんだろう、損した気分だ……」


「う、うーん? 別に損はしてないと思うけど……」


 何事にもうまくいかない。

 失敗の連続に幸乃は髪を払う仕草をしながらため息を吐いた。


「しかも覚えてないみたいなんだよ。自分だけが覚えているなんて、辛いな……。どうしたら気付いてくれるんだろう? 声を掛けたらいい? もっと気まずくなるかもしれない。私の勘違いだったら、……どうしよう」


「うん、……うん! 分かったわ。幸乃の勘違いは、絶対にないわね」


 欠点を補おうとする瑠依は人の不幸を否定的に捉えている。

 何かアドバイスを送ろうと思考を巡らす。物事に対しても真剣に向き合う瑠依の姿勢はどこか昴然的だ。


 満ち溢れた信力に。

 思わず幸乃はどんな反応を示したらいいのか困ってしまう。


 そんな。個人的な悩みに対して。


 親友だとハッキリ言える人物は、苦笑いを余裕のある微笑に変えてみせた。

 不安定な迷信を取り除く強かな助言。否定的だった弱々しい気持ちを綺麗に包み込む革新の言葉は、今までの発想を遥かに越えていく。


 ―――これが、綾瀬瑠依だと言わんばかりの、ストレートな答えが届いた。


「ゼロから始めてもいいんじゃない?」

「……え?」


 正直。幸乃は耳を疑っていた。


「そんなに怖がる必要はないんだよ。たとえ好きな人が別人に見られたとしても、今の幸乃は素敵だわ。きっと、振り向いてくれると思う。そもそもの話よ。あなたが好きになれた人は幸せなの。みんなが嫉妬するほどレベルをあなたは愛を注ぐ。それって、一途っていう証拠なんじゃないかな?」


「わ、私が一途だなんて……」


「大丈夫。あなたの心は『本物』なんだから」


 本当に。瑠依は恋愛の相談を真剣に考えてくれていた。

 これが本場の女子力というものか。


 楽しい日々を送る至極高潔のセンス。自分自信を引き立たせる可憐な手法。理想の女性らしさを表す高貴の象徴。


 それが女子力。


 カリスマ性に長けた瑠依が身に付けるおまじない。こちらに向ける微笑みと気に掛けてくれる柔和な優しさに触れて、幸乃が思い浮かべた瑠依の明るい印象は一層と慈しみの尊敬へと変わっていく。


 些細な詰め寄りでさえも。幸乃は変に意識をしてしまう。


「あはは、実は知らないフリをしてるのかもね。素直に話しちゃえばいいのに!」

「ふえっ!?」


 これは困った。非常に困った。


 視線を逸らす幸乃は驚愕を隠し切れない。ただの恋愛話で済まないと危惧する。恋愛話に熱を傾けてしまった瑠依はちょっと興奮してきて鼻息が荒い。


 そこで幸乃は「あれ?」と疑問を思ってしまった。

 変に方向が変わろうとしている。瀬戸際の引き金を引いてしまったのか。


 話が。一向に。終わらない。


「(あれ? どうしょう。もしかして誘導されちゃってないかな……!?)」

「おーい、心の声漏れてるけどー?」


 現状報告。

 というか悩みを聞いて欲しかった。それだけなのに。

 知り合いは友達が困っているので助ける。これはごく自然な助け合いの精神だ。


(でも、そこまで聞いてないんですけど!?)


 幸乃の悩み事は簡単に解決できるものではなく。どこまでも至難を極めるもの。一方では問題を解消するべく、手段を揃えていそうな瑠依が行き着く答えは、幸乃を怪訝にさせる諸刃の剣であった。


 もはや、一つしか有り得ないだろう。


 実にシンプルイズベスト。

 思い人の名前を晒したその上で真剣に告白することだった。


「ちょっと待って、心の準備が!?」

「うん? 幸乃ってもしかして本当に告白するつもりだったの? 度胸あるわ!」

「あれぇ!?」


 恋愛成就させる秘訣。

 策は単純明快。自分の気持ちを伝えるにしか方法は有り得ない。

 粉砕覚悟の告白。赤面しても遅かった。ふと気付けば思考を巡らせた瑠依がどこか納得した様子を見受けられる。


 頭上で電球が閃いたような。

 画期的なインスピレーションが沸いており、


「流石に違うと思うんだけどさ、まさか日比谷とかじゃないよね?」

「……ど、どうかな~?」


 終始目線が泳ぎっぱなしだった。


 瑠依はふざけて言ってみたに違いない。適当に。一番釣り合わない相手を選ぶ。案の定、図星なのか的確に問い詰めてきたではないか。


 しかも相応しくない相手だと認知されている。ちょっとだけ凹みそう。


 好きな人を暴露したら瑠依は一体どんな反応を見せてくれるのか。多分気が動転して冗談だと躱される。提灯に釣鐘だ。


 これはマズイ。


 相対的に彼が弄られキャラになってしまう。

 それだけは回避しなければ。


 だけど。―――大切な人を想う心は嘘を付けなかった。


 願いは強くなれると知っている。

 それは神様に頼らなくとも。自分を見つめ直せるキッカケをもたらしてくれた。これまで培ってきた努力の成果で問題を解決してみせる。


 今度こそ。揺るがない。


 挽回の機会を得た幸乃は覚悟の志を燃やす。瑠依に嘘は言えない。本当の気持ちを裏切りたくないから。ゼロから始める為には本音をぶつけると決めた。


 たとえ失望されたとしても。


 千駄木幸乃が思いを寄せる人物だと証明したいのだ。


「―――でも、実は……」


 最後まで。言わせて貰えなかった。


「幸乃さーん! 何の話をしてるんですか? えへへ~」

「なにも見えない!」


 いきなり。背後から音もなく気配がして。

 ふとした瞬間に。視界には暗黒の世界が広がっていて。


 華奢な両手をそっと離してみると、澄んだ視界の先で佇んでいたのは。ベージュ色に染まったロングヘアーの少女はニコニコしながら幸乃をおどかしていた。

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