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5話  真髄の証

 東雲うずめ。


 自称探偵を自負する。かつての幼馴染みの名前を告げた。


 一般人を演じる駒込に何かしらの吹聴を仕組んだ犯人であり、彼女は他校に属している。航とは対照的に友好関係を築いた共謀仲間が多く、団結力には敵わない。関係は当然のように杜撰。分かりやすく航だけを排除されている。


 結論付けるものとして。


 日比谷航自体が省かれている。それこそが事実が何よりの証拠だった。


 逃げることも。

 言い逃れする隙さえ与えない。


 ―――遮断する情報網は既に出来上がっている。


「なんだ。図星か。口を閉ざすということは、自分の都合の悪い事情がある訳か」


 視線は合わせず。

 航は携帯端末を制服のポケットに仕舞う。


 駒込は何かを察したようで、気楽に肩の力を抜けては言葉を述べ始めた。そのだらしない態度と拭い切れてない胡散臭さが鼻に付くばかりだ。


「黙っていたのは悪いけどさ、別に日比谷が関係する事柄じゃないんだよね。確かに自分は東雲の指示に乗ってるだけだし、好きでやってるんだわ」


「……扱い方雑くないか。それ」


「むしろ雑の方が都合がいいらしい。ていうか一番の適任なんだとか」


「いや、ナンパの適任ってどう考えてもおかしいだろ!」


 やはり、裏側では彼女が暗躍していることを駒込が暴露した。


 だがしかし、依然として理由が不明が残る。


 疑問なのは一切関係ない駒込が加担するキッカケが生じたのか。どのような意図で起用したのか。ナンパというこじつけの言葉で濁しておきながら、過剰な演出が注目を寄せて、独占的に真実に辿り着こうと企てている。


 そこには確実にヒントが隠されていて。


 今までの発言は航に対する謎解きの挑戦状。紛れもなく挑発の類だろう。

 売られた問題を無視できない。


 ならば、追及するしか他にはないだろう。


「それ以前にあれがナンパに見えるのかよ……。どう考えてもあれは嫌がらせだ」

「やっぱり? 次は気を付けないと」

「やっぱり? じゃねーよ。否定しろ、セクハラ野郎」


 あれは本当に酷い嫌がらせだった。


 引き気味でしかも初対面の女子に口説いている。

 目撃した人達は地獄絵図を体現できたに違いない。喧しいだけなのに傍迷惑だ。人気者を通り越して敵キャラになった駒込は捨てる物がない。


 不死身だ。恐怖を覚える。


 そういう意味では、印象操作が得意とも見受けられるが。


「お前、人生濁してまで楽しいのか? 狂人だな……」


 言ってしまえば待ち望んだ青春を捨ててまで、幼馴染みである東雲の指示を引き受けるような価値が駒込にあるのか。自己を犠牲にするほどの魅惑な糖蜜が、まだ見知らぬ校内の中で蠢いているのであれば。


 大人しく。

 ワザとらしく航は手を引いて油が乗った餌を散蒔く。


 現在巷で議論が二転三転覆す、禁断のブラックボックスとやらを。


 暴く為に語る。


「……お前、あれか。狐耳が合う人探してるのか」

「大正解!」


 あまりにも気に食わない。


 理由があるかと思えば。全部航自身に関わっているという。


「興味ないな」


 捨てるものがない一般人の立場を利用した上で、裏側では詮索をしていたなんて身内ネタにも程がある。女性を口説くと称して、探偵ごっこをする本懐は明らかに有志ではない。口を濁したにも関わらず目の前にいる男は筒抜けなのだ。


 限られた者のみが知り得る極秘情報。


 語ることのない真実の狭間を。

 東雲うずめを含めて一部の人達は乱用を企んでいるのだろう。


 本気で狐耳が似合う女性を探してどうする。



 ―――真の目当ては『妖狐』だ。



「……随分と良い趣味をしてるようでなにより」


 間謀がリークされた途端、これは茶番だと航は気付いた。


 隠れた内訳が明細になり、齟齬がある会話がようやく成立する。これまで断片的だった情報が一つのキーワードを形成され、今回の一件に繋がった。


 それでもヤツは知らないフリをする。


 惚けるのがお好きらしい。ペテン師過ぎて何も笑えない。

 だが、太陽は常に見えている。


「そうか? 東雲が言うには適任になる人がこの高校に居るんだとか。マジで凄いことだよな。詳しい事情とかは直接聞いてはないんだけど、念の為上の学年の方も訪ねてみるわ。お前もさ、やっぱり狐耳が合う女子は好きだろ?」


「酷い解釈を聞いた……」


 語弊を含んだ性癖を暴露して何になる。


 誰か聞き耳を立てていれば確実に誤解を生む。風評被害の何物でもない。言葉をオブラートに包んで賢明に選んでいるのに、懇願していた理想とは程遠くて嫌気が差す。その以前の問題として、公共の場で話す内容じゃない。


「というか……、この場で話す内容じゃないよな。お前は平気なのか?」

「よーし、望みあらば場所を変えようぜ」

「何も考えていなかっただろ!!」


 怒号を振り切り、「でもな」と一言加える駒込は顔色を変えず、対して航に条件付きの交渉を仕向けてきたではないか。


 聞いてみれば肩透かしだった。


「日比谷が牛丼超特盛を奢ってくれたらさ、お前にとって有意義のある情報をくれてやってもいいんだけど。どうかな。別に悪くはないだろ?」


「……ケチ臭い情報屋が。正直に言えよ。そういうところだぞ」


 薄っぺらい条件に航は皮肉を吐き捨てた。


 隠居生活をしてきたつもりなのに。いつまでも課業が終わらない。


 入学式を終えた直後に訪れる職責という恒例行事。

 損得の二択を迫る駒込の民度の低い心理戦が無駄に理不尽で、余計に腹が立って仕方がない。更に姿を眩ました迷い狐の件について興趣が尽きず、一番重要である千駄木に憑こうとしていた『招き手』も看過出来ない。


 周辺に起きている謎があまりにも未知数で。


 噂が飛び交っている。


 強いて言えば。

 茶番劇によって生み出されたデマの数々に騙されていることを。

 最初は虚を突かれたが、懐に潜ませていた本質は可能性について掌握済み。有益に結び付くキッカケを引き寄せる為に、滞りなく偽りを見極めるだけだ。


 選択次第では。

 大切だった何かを捨てなければならない。


 これから始まる高校生活か。今まで築いてきた日常か。それともこの瞬間か。


 ―――後戻りの出来ない駆け引きに乗ろう。


「これで栄養のある食事でも取りな。貸しは無しだ」

「サンキュー! 助かるぜ!」


 千円札を渡して交渉成立。


 駆け引きという鍔迫り合いを掻い潜った先に待ち受ける真実と遺産。戦利品を獲得した末路は何を見据えて行き着くのだろう。今回の件と『招き手』の現状の両方を突き止める重要な鍵があると期待して。


 黄昏の意志を継ぐ者として。


 日比谷航は、今日も記憶の探求は終わらない。


「駒込、狐耳が似合う女性を探すぞ」

「おう!」


 ほんと何言ってるんだろうか。


 冷静に考えてみると、自身には似合わない言葉だった。


 滅茶苦茶恥ずかしくなり、航は叫びたくなりそうになるが衝動を抑える。怪しげに端金のやり取りを教室中で強談を交わすアホが居てたまるか。


 結局、ポーカーフェイスで他人の顔色を受け流した。


 千駄木はどんな反応をしているのか。


 気になって目線が右往左往してしまう。もはや黒歴史だ。評価なんて要らない。カツアゲだと勘違いしてくれた方が救いがあってまだマシである。


 違う景色を見るもの同士。


 何処にも共通点は有りはしなかった。


「……お前さ、なんで東雲の意見に合わせようとしてんの?」


 他人行儀で教室から離れてみせる。


 千円札をヒラヒラさせて退場する駒込はかなり滑稽だった。


 見せしめだと言わんばかりの愚策なアピールに対して、一方ではクラスメイトと談笑に夢中の千駄木はこちらに気付く気配すら無かったが、昇降口に辿り着くまでの間、容赦のない尋問が執り行われている。


 一体、何をやらかしたのかを。


「まさか報酬に目が眩んだ訳じゃないよな。ってなんだその苦そうな顔は」


「うぅ、このチョコレートさ、まさか傷んでる? 味が変だぞ……」


「ハァ?」


 何言ってるんだコイツ。

 と言いたげな航の怪訝そうな表情を浮かべる。


「残念だったな。あれは今日購入した新品だ。それで腹を壊すなんてとんでもない屁理屈だな。……って、おい。お前さ」


「なんか鉄っぽいんだよな~、ん、どうかした?」


「どこでチョコ食いやがった。まさか、チョコがなくなっている!?」


 ポケットに仕舞っていたハズの金貨のチョコレート。


 いつの間にか消失していた。手元が狂いそうになる。

 それでも狼狽を打ち破る航はすぐに猜疑心を払う。そして疑心暗鬼に距離を置こうとする容疑者の首根っこを鷲掴みにして。


「……それも一個限りじゃないらしいな」


 目標を捉えた狩人の鋭利な目に怯え、駒込は堪らず真剣な様子になる。


 厳格を振る舞う姿とは裏腹に。

 悪びれた態度は明らかに反省の色は皆無に等しかった。


「ご飯に乗っけて食べました。なんて、言うのはどうだ?」

「友達辞めるわ」


 右手に持っていた黒バッグを横に振るうようにして駒込にぶつけてみせた。





 一悶着を交えて。両者は昇降口に辿り着いた。


 周囲を見渡してみると、満開に咲き誇る桜並木はこちらを歓迎しており、季節の要は景色を活かす。活力を含んだ風は出会いを運び、暖かな日差しは心を和ませてくれる。新たな仲間と共にスマホの写真で記憶を収める学生達は良い笑顔をする。その画面に映る最高の瞬間は一生の思い出になるに違いない。


 だがしかし。

 思い出を求めていない航はそんなのは興味がないらしく。


 目的地を選ばずにフラフラと行き交う学生とは距離を置いて、腕を組ながら駒込の詰まらない悪ふざけを一蹴していた。 


 冷たい視線がこれでもかとプレッシャーを与える。


「そもそもの話だ。うずめが迷い狐に関心を寄せるのはなんだ? これは多分趣味じゃないよな。もっと重要な何かがあるハズだ」


 付近に設置されていた自動販売機。

 そこで缶ジュースを購入してきた駒込に対して涼しげな振る舞いで尋ねる。


「……お前は何か知ってんだろ。この高校に妖狐が潜んでいることを。その情報を手にしたということは、偽りのない証拠に辿り着いたんだな。ならば俺に教えろ。ただでさえこっちも手詰まりなんだ。っておい……」


 すると急に駒込が缶ジュースを投げてしまったので、苦虫を噛み潰したような顔できっちり受け取ると真面目に返事が来る。


 首を傾げる程度の、単調な姿は掴み所のなさを主張するように。


「俺にもサッパリ。東雲は何も教えてくれなかった。何か気に掛けるような事情があるんだろうけどさ、少なからず趣味ではない感じがした。なんて言うか……」


 考察を立てる為のドーピングという名の糖分、炭酸飲料水。

 喉元に流し込み、記憶した内容の一部を汲み取ろうとする駒込。校舎を惜しむ学生達が生み出す流れを横目で眺める。


 しかし、航はこの時間が無駄でしかなかった。


「物凄く真剣だったよ」

「……そうか。なるほどね。分かったよ」


 全て納得した。

 これ以上何も得られない。会話にならない。直接本人に訪ねなければならない。


 依り代を手放し、本土を彷徨う動物霊。妖狐だった何者は還る場所はないのに。同胞が血眼で捜索している以上、時間の問題だった。


 彼らに依託すれば事が済むのに。

 けれど駒込を利用してまでも迷い狐に固執する意味が、東雲うずめにはある。


 たとえ知り合いだろうが。


 何も語られない直隠しに、『八咫烏』の肩書きを持つ航は暗躍する筋合いを耳にするまでは首を突っ込み、深淵に隠れた底を割ってみせるだけだ。


「結局、うずめに聞かないと駄目だな」


 缶ジュースを飲み切ってみせると底の部分を指先でくるくる回してみる。的確にゴミ箱へ投擲。退屈という病魔が徐々に刺激を飢えていく。自分が知らない所で謎が蠢いているだなんて、素直に静観するワケが無いのだ。


 静観するだけの人間ではないことを。


 彼女は知っているのに。


「……問い質さなければ、煮えた腹は治まらない」

「え」


 面倒臭い性格を理解していた駒込は、思わず苦笑を貫いた。


 数年の間。

 顔を見せないまま時間が過ぎていた。


 関係が拗れた両者は別の道に進む。複雑に距離を置いた両者がかち合った瞬間、険悪な雰囲気が真っ先に迎えるのは容易で。


 それを止めようとしないのが。


 ―――この『道化師』の真骨頂なのだ。


 騒ぎを起こすだけの余計な茶番を。不安を煽るだけの蛇足劇を。

 止めるのは、ただ独り。


「なぜ上層部に黙って迷い狐を探す。個人的な興味だとしても、自分勝手なルールは許されない。相手が見知った間柄だろうとな。分かるよな? 駒込」


「もしかして俺に向かって言ってるんですよねー、あはは……」


「……他に誰がいる?」


 苦し紛れに笑顔を取り繕う剽軽者。


 呆れる航はため息を吐いてしまうのも。全て。今日の出来事が原因だ。


 奇妙な重ね合わせがどうしても気味が悪くて、胡麻を摺る習性にうんざりして、その注意を逸らすような譫言に騙される愚か者ではない。



 偶然は作為的であり、必然的ではないのだ。



「昇降口の近くで注意を引くために道化師を演じたり、千駄木の前ではワザとらしく天邪鬼を演じてみせ、そして親友の俺でさえお茶を濁してきた。全て、アイツが活動しやすくなるための口実だったんだ」


 不意に風が騒ぎ立てていく。


 風向きは変わる。春を伝える暖かい風は冷気を帯びて。

 まるで意思を持っているかのような桜吹雪は航を避けてしまう。決して触れようとしない桜の花弁の渦は延々と舞う。


 ―――なのに、人差し指に桜の花弁は堕ちた。


「触らぬ神に祟りなし。そういうことだろ?」


 映る者にしか認識できない、禍時の刹那が人々に恐怖を与える。虚誕を見透かす真髄の証に、忽ち駒込はお手上げ。無言の苦笑いが精一杯のようだ。


 分かっていた。


 駒込は両方に嘘を付いていることを。


 真実から遠ざける。それが親友の狙いであり、本望なのだと。親しい幼馴染みさえ隙あらば騙そうとする。悪い方向へ誘導する魂胆には二人を会わせてはいけない事情が、少なからず何処かで発生しているのであれば。


 奴等の目的は、単純明快だ。


「さて、会うついでにお祓いでも巡りますか。狐耳が似合う人探すんだろ? 何故一番熱意ある奴が乗り気じゃないんだ。うずめには詳しく聞かせて貰うから。お前はきちんと同行しろよ」


「うわー、憂鬱……」


 一足先に正門を潜る航は弱音すら聞いていない。


 あまり乗り気ではない様子の駒込と共に場所を選ばない目的地へ向かう。だがしかし、機会を伺う彼女の事務所とは別に違った方角へ寄り道していく。


「あれ、探偵事務所には寄らないのかい?」

「話聞いて無かったのか。久しぶりに腕試しをするのさ」


 溢れんばかりの多忙の群衆。

 尽きることのないデマの情報に左右されている。


 煌びやかな世界の影に潜んだ負の感情は隠しきれない。心の奥底に眠る獣が未来にすがる人を狂わせようと喉を鳴らしている。常に眼を光らせ、衰弱した意思の弱さを狙い、心臓を抉り取ろうとして。


 荒れた心境は。

 人ならざるモノを引き寄せる。


「おっと、その様子だと、何か見付けたようですな」

「静かにしろ」


 混雑に埋もれた人集りで航は何かを見付けた。


 呪いを認識できない一般人の駒込はとりあえず一声を掛ける。

 そこには当たり障りのない、いつもの景色が埋め尽くされている中で、航だけは特別に違って見えていた。


「まさか、彼女は……」


 光は失う。影に沈んだシルエット。


 人を寄せ付けず。ましては誰も認識されない。通り過ぎていく群衆を抗う人物は確実に二人の元へと歩み寄る。覚束ない足取りは不安定であり、『招き手』に侵食された彼女は既に本来の姿を失っている。


 『ブランシュ・ノワール』として有名なガールズバンドの一人。


「秋葉月子……!?」





 不気味。


 その言葉が似合う異形の存在。


 着実に距離を詰める人物は群衆の輪を掻い潜り、一般人には見えない黒煙の威圧を放つ。彼女の視線は捉えない中で、数え切れないほどの『招き手』を抱えた姿は人格を保つ正気が失せていた。


 他者が望む悪の部分が弱い心を蝕む。

 人を傷付けることしか救いがない精神の脆さの原因。


 自我を忘れ、破滅を導き、暴走を招く悪意の正体は負の感情。意識が奪われる瞬間、人ならざる者を宿す『歪人』と化する。


 災いを降り注ぐ憎悪の醜態。それが、光ある者に迫ろうとして―――。


「うお!? 急に人が出てきた!」


 目視出来た駒込は驚嘆。言葉の意味を即座に理解する。

 庇う形で航は牽制し、目の色を変えた。


「騒ぐな」


 身構えながら左手を振るうと、金色に輝く霊符が現れた。


「標的がお前に切り替わるぞ。俺が代わりに囮になってやるから、安全な場所でも隠れていいさ」


 俯いた姿勢を維持したまま。ゆっくりと接近する彼女に向けて。

 霊符を投げ飛ばすと共に、航は次の行動を起こした。


 二本指を立てて呪文を唱え。投げた霊符は金色の蝶に変化をもたらす。宙に舞い優雅に羽根をはためかせ周囲に鱗粉を散乱していく。


 一般人には認識されない蝶の存在は。


 歪人という感情の怪物の視線を集める為に金色の蝶は現実世界へと具現化する。本能を呼び起こす場所、路地裏へ誘うように航は親友の逃げ場を確保させた。


 その間、航は私物の黒バッグを駒込に預ける。

 だが難しい顔になってしまう。


 誰にでも嘘を付く男だ。果たしてコイツを信頼してもいいのだろうか。


 止むを得ない。メリットは全く思い付かない。


 だが、それなりの期待を託した。


「……紛失でもしたら、一巡してまでも、お前を必ず呪ってやるからな」

「承知した!」


 影が蔓延る路地裏に、航は自らの意思で闇に隠れようとする。


 互いの視線は合わない。目的が相容れないからだ。進む道も違えば、突き動かす執念さえも違うのだろう。妖狐を巡る迂遠の遊戯が絶え間なく続くように、時間の流れは、いつも同じ一方通行だった。


 最初から。定められた偶然に。


「―――分かってんだよ」


 言葉が続かない。

 あるのは心身を制御する本能だけ。


 暗雲が立ち込める世界の下、雑音を通り越した灰空町に訪れる不和の予兆。

 航は笑わず。逆に駒込は自信のある笑みを浮かべる。両者の差異は温度みたいに擦れ違うこともない。


 何故ならば。


 あくまで目的と表する模擬の建前とは別に。

 想像に相応しい、それぞれの使命が、裏では踊らせているのだから。


 敵になるのが。遅いか早いかの二択だけ。


 たったそれだけの意味だ。


「他人の恨みを買う性格はしてないぜ! またな。日比谷はいい奴だったよ……」

「勝手に殺すな」


 安全な場所を求めて出発する駒込を他所に、こちらに近付いてくる歪人を路地裏に誘導させた航は本格的に行動を起こす。

 まず鎮める為には彼女が抱えた悪意を砕くこと。適度な場所を確保し、いつでも戦えるように警戒は怠らない。


 金色の蝶がいつまで騙せるかの勝負だ。あまり大事にしたくはない。


「……さてと」


 一歩一歩後退していく航はある程度の距離を取りつつ、振り返ってみては確認を繰り返す。自分らしさの欠けた、慎重な配慮に緊張を高めるが、身を案じるほどの身近な脅威の方が随分と危険性があるので、まだ楽なものだ。


 禁忌なる領域に踏み込めば転機となる。大体の脅威は消え去るハズだろう。


 ―――何者かのドス黒い波動が、善良な一般人を巻き込まなければ。


 余計な危機を招くことは無かったのに。


「この波動の持ち主は……」


 感知した航は怪訝した表情を浮かべて、思わず目を細める。


 強い感情が暴走している。風穴が開けられたペットボトルの如く、中身が漏れだした制御しようのない自然界の法則。重力に沿って生じた流れは様々な物が集い、それが濁流となって邪魔なものを押し流す。


 溢れた怒りが相手を選ばずに捩じ伏せようとしていた。


「次々と邪魔が入る……。そのお陰で、台無しじゃないか」


 視線を集める金色の蝶を見向きせず、強き感情に反応した怪物。

 空気中に浮遊する波動の残骸に釣られて。視線は彼方に示す。知らぬ方角の先に衝突する力の波動は恐ろしいものを抱えている。


 純粋な光よりも。邪悪な闇を糧とするか。


「はあ、そうか。どのみち、修羅場は変えられない、ってことか……」


 空騒ぎでコーティングされた街並みに辿り着こうとする怪物。

 空いた背中で隙を見せるほどの無関心が現状を言う。強大なエネルギーを食らい付こうと一歩前進。路地裏を抜ける勢いは止まらない。このままでは地上の世界に千鳥足で彷徨ってしまう。


 何人もの罪なき被害者が呪いで苦しむ。

 すぐにでも食い止めなければ。


「素性がバレるかもしれないけど、やるしかないな」


 その為には簡単な方法がある。とてもシンプルで誰にでも出来る。


 呼吸を整い、感情を平然に保つ。覚悟を決めた時には既に身構えており、その意思は宙に揺蕩う金色の蝶に伝う。地面を削る足の間合いは根強く、鞘に収まる刀を抜く体勢を維持する。


 吹き抜ける風が航を通り越して。

 大気中のエネルギーは生気が失せた路地裏に凝集していく。


 航が今遂行すべき処置。それは。


 ―――邪悪な波動さえも凌駕する、それ以上の莫大な波動を周知させることだ。


 実行する結果、その代償が。



 ―――遭遇してはいけない暗黙の存在を呼び起こす事となる。



 つまり。すなわち。


 混沌の時代を駆け抜けた歴代の修繕師達。彼らの生涯の最期まで呪いを注ぐ者。名前を言ってはいけない、伝説の妖狐の再来を。


「……分かっているさ。これが、背く答えだとしても」


 あの子が聞こえる。あの子が捜している。


 小さな心の灯は簡単に消えそうなのに、抗う術は生きる為にあって。


 不条理だらけの未完成な世界で現実に押し潰されそうになっても、モノクロの夢を諦めずに繋げようと前を向いている。たとえ望む結末が悲劇だとしても、描いたカラフルな夢は決して間違っていなかったと。


 健気な光はこんなにも優しいのに。


 なぜ、心が痛むのか。


「―――アイツを助けなくっちゃ、駄目なんだ」

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