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2話  金貨のチョコレート

 ―――月日は経つ。やがて季節は春に移る。


 訪れた今日。新たな人生を歩む学生達を迎えるのは青天日和の四月。


 世間では『入学式』が拳行していた。


 埃一つも飾らない新品の制服姿に心を踊らせる新入生。対するのはいつもの感覚で正門を潜り抜けていく先駆者の退屈そうなあくび。互いの視線は交錯することはないが、立派に咲き誇る桜の成せる壮麗さは一層と美しくなる。そして、通り掛かる全ての人達の視線と心を釘付けにしていく。


 門出を祝う。

 様々な想いと願いが込められた記念日だというのに。


 昇降口の手前に設置されていたホワイトボード。

 そこに開示するのは学生達の名前とクラス表。歓楽が染み込んだ贅沢な雰囲気の中で、唯一自分の名前を見付けた瞬間、ため息を溢す者がいた。


 今年で新入生となる不思議な少年、日比谷(ひびや)(わたる)だった。


「なんでだろう。必死に探したのに。結局A組なのか……」


 幻滅していることを包み隠さず。目の前にある事実に愚痴を露呈していく。


 期待と不安を背負った特別な一日にも関わらず、少年少女の初々しい晴れ舞台にも関わらず、人混みが生み出す圧迫と雑音混じりの歓声が苦手という理由で、少しだけ他の学生とは距離を置いていた。


 目が笑っていない。


(蚊帳の外の視線が冷たいのに。迷惑を掛けている側だとは気付かないらしい)


 視界に映る初めての出来事に学生達は釘付けにされる。


 その喧騒の外側では険しい視線が無防備に晒された背中を刺している。学校の関

係者という目上の立場の洗礼を分からず、暗黙の礼儀を知らない自惚れている。案の定。想定通りらしいのか温度差の違いに敏感な彼等の前では、日に当たらぬ陰に興味が湧くこともない。


 効果は覿面だった。


 こちらに話し掛けることは一切無かった。


「うーん。しまったな。別の意味で浮いてしまったような気がする……」


 健やかなぬくもりは掻き消えて。得のしない侘しさだけが募る。


 久し振りに孤独を思わせるような酷い経験をした。

 知人を見付けた学生達は再会に喜び、楽しそうな会話を弾ませる。そんな親しげに愛嬌を振る舞う学生達を航は木陰に身を隠しつつ遠目で眺めてしまう。


 それだけでいい。


 無理に学生達と会話を挟んでも、空気が白けてしまえば印象を悪くしてしまう。声を掛けるよりも相手に配慮した方が賢明な場合だってあるのだ。


 確かに挨拶は大切だ。

 なければ会話は永遠は始まらず成立すらしないだろう。


 だがしかし、波の立たない状況が豹変するような事態を招くのであれば、他人の輪を乱さない方が賢明だったりする。他所から見れば迷惑を掛けていると自覚をしていない人が増えてしまった現代で、わずかな配慮さえあれば、良好な関係を築けると航はそう思っている。


 けれど実際。されど実際。


 厳しい現実は悲しくも遠くはない理想を否定する。何故ならば、モラルを欠けた親友が女子高生を口説いているのを目撃してしまえば。


 開いた口は塞がらなかった―――。


「いや、アイツ、……馬鹿なんじゃないの?」


 馬鹿でした。


 身近にある地獄絵図を目撃し、航は思わず頭を抱えてしまう。まさか知り合いが高校デビューでナンパをしているとは誰も思わないだろう。


 手をジャグリングのように忙しなく動かして、会話の継続を図る。

 なんという哀れな姿なのか。


「うわ……」


 会話の内容に航は無意識に両手で耳を塞いだ。

 気持ち悪い。見てるだけでも不快になるだけであり、聞く価値もない。その一方では口説かれた女子高生は苦笑い。反応にかなり困っている様子だ。周囲に助けを求めようとキョロキョロと見渡す。


 助けを求めた、縋る視線に心は痛くなる。


 けれど今回ばかりは困っている人を助けられず、危惧を悟った航は烏合の群衆に紛れては気配を殺す。更には痕跡を残さず身を潜めていた。


 正直関わりたくはない。

 コイツが知人だと暴露されたら堪ったもんじゃない。


 注目の的相手に止められるワケがない。裏に隠れて噂を流す女子達の視線が刃物のように冷たいのが特徴的であり、最終的に変人扱いで見られていた模様。入学式直前で青春が終了した瞬間を目撃する。


 それでも野郎は諦め切れず、手当たり次第口説く下衆な嫌がらせとなった。


「……哀れな道化師(ピエロ)だな」


 他者から見た評価が最悪になっているのにも関わらず、道化師は躊躇わずに続行していく。化物だ。あまりの奇行に恐怖を感じたが、最も狂って見えたのは男子側から莫大な支持を得たこと。熱狂的にウケているではないか。


 嫌な予感がした。


 このままでは、逸脱した悪ふざけが絶えそうになかった。


 流石に撤退するしかない。


「声を掛けられたら、知らないフリでもしとこう。アイツに気付かれたら高校生活は台無しになるだろうし。……というか、ナンパとか意味が分からない……」


 これが青春の若気だとは思わない。

 はたまた単純にアホなだけなのか、真相は彼等の心にしか分からないものだ。


 そもそも。関わらない方がベストだろう。


「……今回に限って同じクラスにはなりたくない。ロクなことしか起きないし」


 赤の他人を演じる。


 これこそが賢明な打開策だと考えた航は指定された教室へさっさと向かう。


 上級生から下の階を使用している事情で一年は四階となっている。階段を上る度に疲労が蓄積される中で、たとえ上りきっても長い廊下を越えなければ教室に辿り着けない。題ではあるが、ここは嫌な顔をせずに淡々とこなしていく。


(結構、辛いんだな……! でも、あともう少し……!)


 足音を奏でる度に人が成せる活気の讃美歌はどんどん遠くなって。

 この景色が新しい学舎になるのだと気付かされる。


 期待に込められた高揚感が走る。新たな出会いや仲間、これまでになかった経験がこの先に待っているのだろうか。



 ―――答えはきっと、扉の向こうにある。



「……」


 教室でただ一人。


 椅子に腰掛けていた少女がそこにはいた。


 自由な時間を有意義に使う学生達は外出中。校内を詮索してるのだろうか。相変わらず外は騒がしかった。たまに知人の声が聞こえて気分が悪くなるばかりだが、それでも物静かな空間で彼女は教室に居座り、スマホの画面を覗いている。時折画面をタッチしたりして、今時の女子高生らしい仕草をしていた。


 悲観することはないが、こちらには気付いてない様子。


(……とりあえず、邪魔しないでおこう)


 航の方は別に問題はなく。少々骨は折れるが無言のまま自分の席を探す。

 スマホに夢中になっている少女に迷惑を掛けたくはないので、窓側を回れば直ぐにも見付けられるハズだ。


 決して音を立てず。

 ゆっくりとゆっくりと前を通る。


 黒バッグが教卓に当たらないように慎重に前を進む。変な声はアウトだ。ここまで臆病に徹するのは、彼女の第一印象が容姿端麗だったからか。


(見掛けない人だな……。多分他校の生徒なんだろうけど)


 腰まで伸びた金色の髪。

 静かに見据えた瞳は麗しく冷たく冴えている。


 見た目という概念は捨てた方がいい。特に偏見は危ない。彼女の場合はギャップのレベルを越えた嗜みだ。軽率な態度はせず、邪魔する者がいれば、冷厳たる表情で相手は恐怖に痺れることだろう。


 そもそも、謎で溢れた彼女に楯突く人が世界にいるのだろうか。


 居るのであれば。



 ―――その人は紛れもなく愚か者なのだろう。



 なんて適当な思案を巡らせていると、突然携帯端末から通知音が鳴り響いた。

 後戻りはできない。もはや手遅れだった。


「あ……、しまった。通知をオフにするの忘れちゃった」

「ふぇ!?」


 呑気に苦笑いして。思い出しても既に遅い。


 唐突なアクシデントに彼女はビックリして悲鳴を上げてしまう。可愛らしい悲鳴に航もビックリしてしまう。お互いは借りてきたネコみたいに微動だにせず、硬直する二人は時間を忘れて、ひたすら見つめ合ってしまった。


 添う困惑を越えて恥ずかしさが勝る。焦燥によって火照る顔は隠しきれない。

 彼女の方も羞恥を払う為に咳払いをし、落ち着きを取り戻すと、冷酷な眼差しがこちらに睨み付けてきたではないか。


「い、いつの間に……」


 マズイことになった。


 危惧が過った。本能が危険信号を発している。脳裏に映る最悪な結末を回避するべく、変に騒ぎ立てないように航は誤魔化すことを決めた。


「あ、いや、その、俺は現金持ってないんで。クレジット派なんで」

「え?」


 どれほど情けない姿を露呈しようが。水の泡にならない限り。逃げる場所を確保する為ならば、安いプライドさえも捨ててしまえる。


 航はそういう人間だった。


(印象を悪くすればするほど人は自然と寄って来なくなる。効果は抜群だ!)


 面倒なことはしたくない。迷惑を掛けてはいけない。極力会話を避けたい。自分がどんな人物なのか相手に委ねる。気持ち悪がられてもいい。それが有益になる。自己犠牲の省エネ思考を巡らすほど、彼女とは関わりたくはなかった。


(女の子は甘いものに弱いと聞いた! コンビニで買ったお菓子でもくらえ!)


 可愛いとか言ってる場合ではないのだ。

 怖いものは怖い。


 以上。


「……なんか、取り込み中邪魔して悪い。今君に渡せるものがジンバブエドルか、みんな大好きな金貨チョコしかないんだけど。駄目だったか?」


「チョコレート……、私にくれるの!? ありがとう……!」


「……あれ?」


 彼女が踊らされたのではなかった。航本人こそが踊らされていたのだ。


(近寄りにくい見た目に反して、本当にチョコレートに食い付いちゃうのか!?)


 持っても何も使えず、一部のマニアでも鼻で笑う役立たずな紙幣と。

 ただの金紙に包まれたチョコレート。


 誰が見てもカッコ悪い。


 自虐を醸し出す脆弱者を演じている。金目もなければ相手に魅せるセンスも皆無なダメダメの人物像を焼き付けたハズなのに。


 彼女は目を輝かせていた。


 金貨の部分でもなく。お菓子の部分ではない。純粋に心の底から感謝をしていたからこそ、彼女の目に映る人物像は現実へと変わった。本質を隠した航を疑わずに目の前にあるものを純粋に受け入れていた。


 嬉しそうに微笑んだ彼女に。


 彼女の背後に誘う『影』に目の色を変えて。航は後れを取るしか無かった。


(招き手……!!)


 心髄を隠された悪の部分。


 それが彼女に纏わり付こうとしている。


 誘う仕草をする手。腕の先の部分はなく半透明に透けている。何よりも招く仕草は人間に相反した逆手ということ。憎悪を蓄積した呪いは彼女だけではなく航にも取り込もうと迫る。対する航の方は日本刀を抜くような構えで応戦を迎える。その同時に彼女が向ける視線と視線が重なって―――。


 その途端に。



 ―――『招き手』は炎に抗え切れず、燃え盛るように消散していった。



「え……」

「あっ……」


 これまで経験したことがない、気まずい時間が流れた。


 お互いの視線は再び交錯し合う。

 抱き始めた感情がもたらす偶然の産物は何を願うのだろう。

 これがもし、後から訪れる未来が同じ景色であるのならば、この出会いは決して因果の終着点が生じた偶然のトラブルではない。


 彼女だけは。違う。



 ―――千駄木(せんだぎ)幸乃(さちの)は何もかもが違っていた。



「ちょ、チョコレート。……欲しいかも」

「……どうぞ」


 金貨チョコを渡されて、狐につままれたような茫然とした様子で、彼女は航の顔をまじまじと眺めていた。

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