プライベート花火大会・オールドファッション
気づくと、じろやんは見たことのない川の土手に立っていた。
人が多い。土手の後ろは瓦屋根の連なる町で櫓が見える。反対、対岸は葦が茂る沼か何かだ。
土手と川原には人が集まっているが、それは現在の人間ではなかった。浴衣を着た壮年の男はカンカン帽をかぶり、黒い丸縁眼鏡に小さな口髭を生やしているし、浴衣も普段から着慣れた様子で祭りのときだけ着るのではなく、銭湯の帰り道や犬を散歩させるときにも着ているようだった。久留米絣の書生風の若者もいたし、紫の袴を穿いた女学生もいる。半纏姿の飴細工屋の老人もいれば、白い夏服を着た軍人らしいのが刀を佩びている。
空で花火が上がるたびに「玉屋~」「鍵屋~」の声が上がるが、その声は本当はもっと遠くからきこえるべき声なのだというのが、じろやんには何となく分かっていた。
自分たちがここにいてはいけないということも。
「柳を探さないと」
じろやんはそばにいた紳士風の男に警官はどこにいるのかたずねた。すると、男が指さしたのは帯刀している白服の軍人風の男だった。
じろやんは、左右をひねり上げた大きな口髭の警官に柳についてたずねた。
「すいません。迷子を探しているんですが」
「名前と年齢は?」
警官は胸ポケットから鉛筆と手帳を取り出した。
「名前は柳晴香。十六歳です」
警官は気難しそうな顔をして、
「十六歳と言ったら、きみ、立派な大人だよ」
「でも、まだ学生ですよ」
「迷子というのは尋常小学校までのことを言うんだ」
「とにかく、アナウンスしていただけますか?」
「アナウンス?」
「柳に聞こえるように放送してほしいんです」
「あのねえ、きみ」
警官はあきれ返り、愚かなのはともかく、ものを知らないのは参ったものだという顔で、
「東京の花火大会なら放送機械もあるかもしれないけど、ここは舞打千軒の花火大会だよ? そんな高価なものあるわけないじゃないか。さあ、行った行った。本官は忙しいんだ。掏摸のやつめを警戒しているんだ」
どこかで喧嘩が起こった。腹巻股引姿の二人の男が殴り合っていた。二人の座っていた床几のそばには将棋の駒が散らばっていた。警官は呼子笛を鳴らしながら、そっちのほうへ行ってしまった。
一人残された――と言っても人ごみのなかだが――じろやんは途方に暮れた。突然、迷い込んだ不思議な世界で当てもなく、幼馴染を探すというのはそうそう簡単なことではない。
そのとき、花火が上がり、あたりが青い光に包まれた。
「や~なぎぃ~」「は~るかぁ~」
観客から上がった声に驚いて、空を見た。柳はお腹の上に組んだ指を置いて寝そべるような姿で、花火の火花が飛び交う夜空に浮かびながら右へ左へ行ったり来たりしていた。
じろやんは土手を降りて、川原を過ぎ、浅い川を渡って、花火師たちのいる中州へやってきた。
三つ子の花火師たちは筒に花火玉を放り込んではマッチを擦って、新しい花火を柳のために打ち上げてやっていた。
「あ、あの! すいません!」
じろやんが話しかけた。
「なんだ、じろやんじゃねえか」
三つ子の一人が言った。
「え? どうして、おれの名前を?」
「どうしてもなにも、おれたちを三九八〇円で買ったのはお前さんじゃないか」
「じゃあ、あんたたちはガラスのなかの水花火?」
「そういうこと」
「じゃ、じゃあ、柳を返してください」
「べつにいいけど、本人が帰りたがるか分からねえしなあ」
「そこを何とか」
「じゃ、自分で説得するこった」
三つ子はじろやんをつかまえると、一番大きな花火筒にじろやんを押し込み、点火した。
じろやんは空へ向かって吹っ飛ばされ、バーンと弾けた。七色の光を散らした後、じろやんは柳と同じように空を浮いた。
「や~なぎぃ~」「じろ~まるぅ~」
観客の声がきこえる。じろやんは空中で泳ぐように手をかき、柳に近づこうとした。花火がボーンボーンと爆発するなかで柳は宙返りをしたり、コマみたいにくるくるまわったりして、笑っていた。
「柳! 元の世界に戻るぞ!」
「お、じろやん! 戻るってどこへ?」
「舞打千軒だよ」
「ここも舞打千軒だよ、じろやん」
「いや、ここは、なんていうか、違う。ここにずっといちゃいけない気がする」
「どうして? ここは楽しいよ」
「でも、ダメなんだ」
「だから、どうして?」
「どうしてって――おれにもうまく言えないし、よく分からないけど、ここは幻か夢のなかなんだ。あのガラスが関係してる。でも、おれたちは夢ばかり見て暮らせない。そんなことすると人間が人間でなくなる。そのうちきっとそうなる。そんな気がするんだ」
「じろやんは心配性だなあ。どうしても帰らなきゃダメ?」
「ああ、どうしてもだ」
「じゃあ、しょうがないかあ」
そのとき、二人のあいだに導火線をチリチリさせた十号玉が割り込んだ。
爆発は全てを割り、そして全ては吸い込まれるように元の場所へ戻っていく。
全てが再構築されたとき、二人は柳の部屋でずぶ濡れの浴衣を着て、座っていた。