文房具屋>古本屋
次に宝の在り処を示した古文書を手に入れるため、古本屋へ向かった。古本屋を見ると、仙太郎はいつだって優越感に浸れる。なぜならば、古本屋はたいていの場合、商売に身の入らないおっさんがラジオをききながら、店の奥に引っ込んでいて、店そのものときたら、売り物の置き方が乱雑でひたすら重ねて重ねて重ねる。自分でもどこに何があるのか分からなくなるまで重ねる。
それに比べて、文房具屋はきちんとしている。まるで閲兵を待つ兵士のように文具が種類ごと、会社ごと、デザインごとに分けられ、それにお客が歩いて見て回るスペースをきちんと確保している。文房具屋の主はブティックの店員みたいにベタベタまとわりついたりしないが、かといって古本屋ほど不愛想でもない。商品を見るための落ち着いた時間を提供しつつ、お客が知りたいことがあれば、丁寧に教える。
そう文房具屋は古本屋よりも一等上なのだ。おそらく、古本屋のほうは文房具屋よりも古本屋のほうが一等上だと思っているが、勝手にすればいい。世間は常に正しいものの味方だ。
「ねえ、きみ」
と、澄花が仙太郎を呼んだ。
「あの本を取って車まで持ってきてくれる? お金は払ってあるから」
あの本というのは店の一番奥にある舞打千軒市の古地図だった。その古地図は天井まで積み重なった本の塔の一番下にある。取るには引っぱり出さなければいけなかった。
「なんで、自分でやらないんだろうなあ」
深い考えもなく、古地図を引き抜く。
澄花がいるはずのほうへ視線を移すと、さっきまで隣にいたはずの澄花が店の表にまわしたイスパノスイザの運転席でエンジンをかけ、ハンドルを握って待っている。
もっとはやい時点で気づくべきだったが、もう手遅れだった。
古本屋が文房具屋よりも自分のほうが一等上だと信じている理由。
それは、この一見乱雑に積み重なった本には積み重ねるに至ってのルールがあり、古本屋はみなこのルールの造り手、古本屋という小宇宙の創造主なのだという自覚が彼らの自尊心となっていたのだ。
では、ルールを知らないものが本の配置をいじくると、どうなるのか?
創造主の怒りを知ることとなる。
仙太郎は古地図を胸に抱えながら、次々と倒れてくる本の山をかろうじてのところで潜り抜け、そのままイスパノスイザの助手席に飛び込んだ。
「なんてことしやがる、このクソガキ!」
崩壊したルールの廃墟から罵声が飛んできた。創造主は日本刀を抜いて、ぐちゃぐちゃになった本の上をよじ登り、仙太郎と澄花をまとめて叩っ切ろうとしていた。
もちろん、澄花は黙って斬られるつもりはなかった。彼女は冒険家である。原住民の怒りを買ったら、身近な内燃機関に燃料を食わせて、すたこらさっさと逃げるのが冒険家である。
そんなわけで、イスパノスイザは仙太郎を助手席に逆さに飛び込んだ状態のまま走り出した。




