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ワルツ文具堂飄奇譚  作者: 実茂 譲
墨ドル銀貨のカード立て
40/52

ジャズに気をつけろ

 大友町商店街のスミダ肉店とノストラダムス・ベーカリーのあいだの路地は寂しい谷間のように薄暗かった。両脇の店が二階建てでさらに路地全体を傷だらけのプラスチックのアーケードがかかっていたからだ。ただでさえ狭い路地にブンブン唸る室外機や錆びた自転車、ビールの空き瓶を入れた黄色いプラスチックの籠が無計画に置かれた結果、その路地は余計に陰気に見えた。

 いかに自分をつまらない優等生タイプと思っていえども、高校生なのだから、前途ある若者に違いない。そして、前途ある若者はこうした陰気な路地には見向きもしないものだ。

 車田模型店はその路地の奥にあった。間取りが路地の広さであり、その店が狭いことは外から見ても分かった。戦車や戦闘機のプラモデルの箱が両側に聳え立ち、褪せた薄青の悲しさにドジョウ色の錆びを浮かせていたのだ。

 浩平はもう一度、冷凍庫にあったカードを見た。

『大友町商店街のスミダ肉店とノストラダムス・ベーカリーのあいだの路地の奥』

 間違いなくこの店のことだった。

 ガラス戸を引いて、すみませーんと声をかけてみたが、返事はなかった。奥にもう一つ部屋があり、さらにその奥には生活スペースにつながっているらしい部屋がガラス障子で閉ざされていた。

 よく耳を澄ませると、ジャズがきこえてきた。音楽というよりはサックスを使った口喧嘩のようなものだったが、それが奥のガラス障子をビリビリ震わせていた。

 プラモデルの箱をかき分けて、奥に進むと、少し開けた部屋に出た。ガラス障子の手前の部屋には部屋いっぱいの大きさの鉄道模型があった。緑色の電車が楕円形につながった線路の上を走っていた。トンネルを出て、田畑を横切り、町を通り抜け、海沿いの道を通り、そして山に開けたトンネルへと戻っていく。そのあいだに踏切があり、カシャカシャ、カンカン、と騒々しかった。

 浩平はどういうわけかその町が長崎のどこかにあるような気がしたが、たぶんパセリを散らしたような丘の上に白い教会があったからだろう。

 常識で考えると、ここが行き止まりだった。

 もちろん、ガラス障子の向こうの生活スペースがあるにはあったが、入る気が起きなかった。曇りガラスの向こうからジャズがきこえてくるが、どうやらそれはイヤホンをして大音量でかけているようなのだ。それでは浩平がいくら呼びかけても、聞こえるはずはなかった。

 もちろん、ガラス障子を開けて、目に見えるところですいませんと声をかけてもいい。ただ、こんな路地の奥のプラモデルの箱の谷の奥に鉄道模型の町を置く人がフレンドリーとは思えない。

 いや、でもジャズをかけているじゃないか。ジャズというと大人の雰囲気だ。確かにシックなバーでかけるタイプのジャズではないが、ジャズには変わりない。コーヒーは豆から選ぶような大人がきっと向こうの部屋にいる。

 いや、待てよ。そういえば、このあいだ世界的に有名なジャズ・トランペット奏者が中学生に往復ビンタをくらわせたというニュースを見た。中学生向けビッグバンドでその荒々しさなら、ガラスの向こうの狂った鉄砲水みたいなジャズをきいている人物はどのくらい荒々しいだろう?

 浩平は知る由もなかったが、ジャズ=シックな大人はジャズに興味のない人々がつくったイメージなのだ。実際のジャズ――それもサックス同士を気が済むまで戦わせるようなジャズには、ヘロイン中毒、借金、過度の飲酒、行き過ぎた喧嘩で取り出されるジャックナイフのイメージが付きまとっている。浩平がガラス障子を開けて、ジャズの鑑賞タイムを邪魔しなかったのは正解だった。

 とはいっても、例のカード立ては見つからない。

 電車の走るリズムや踏切の音に一定のルールがあることに気づくと、これらの音は気にならなくなった。

 そうやって十分くらい模型の真ん前に立っていた。はたから見ると、この巨大な模型を買おうかどうか迷っているようにも見えた。

 そのうち、ガラスの向こうのジャズも気にならなくなり始めた途端、ぴぃーっ! と甲高い音がなった。

 部屋を支配していたリズムを叩き潰したその音は二つあるトンネルのうちの一つからきこえてきた。そこから一度も電車が出てこないので、浩平はてっきりそれが飾りものだと思っていた。

 今、そのトンネルからは鮮やかなブルーの機関車が走ってきた。機関車は無蓋貨車を曳いていた。そのまま浩平のすぐそば、手の届く位置に止まる。見ると、無蓋貨車には例のカード立てが――。

 浩平はカードを取り上げ、字を読んでみた。

『第三産業道路と県道八号線の十字路のスイカ畑』

「スイカ畑? スイカ畑だって?」

 浩平は呆れて言った。

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