メキシコのお金はペソじゃなかったっけ?
「夏休みももうじきおしまい。宿題は七月中に終わらせてしまうそんな堅物くんにおすすめなのが、これ」
ワルツ文具堂の店主結月仙太郎が勧めたのは墨ドル銀貨のカード立てだった。
「墨ドル銀貨ってのはね、その昔、世界で最も流通した銀貨なんだ。何せ、昔のメキシコは世界の銀の三分の二を生産していたからねえ。当時のメキシコはスペインの植民地だから、メキシコの銀貨は当然、本国のスペインへ運ばれるわけだけど、その途中、嵐だの海賊の襲撃だので船が沈むことがよくあった。つまり、沈没船の埋蔵金のほとんどがこの墨ドル銀貨の形で海の底に眠っている。墨ドル銀貨は宝さがしたちの憧れ、冒険を約束してくれるものなんだ。そんな墨ドル銀貨を土台にして、カード立て用のクリップをつけたのが、この墨ドル銀貨のカード立て。これに宝の在り処を書いて、その指示に従って動けば、宝物がきみを待っているってわけさ。今なら特価の三千円。どうだい?」
舞打南高校の二年生、相良浩平はその胡散臭いカード立てをなぜか買ってしまった。夏期講習に明け暮れた夏休みが終わりに近づき、何だか虚しさを感じていたからだ。成績がクラス順位トップグループの優等生ならだれでも感じるらしい、その虚しさを三馬鹿と呼ばれた仙太郎が知る由もなかったが、ともあれ浩平はそのカード立てを買った。たまには馬鹿なことをしてみるのもいいかもしれないと思ってのことだ。
「でも、三千円は高すぎだよな」
家に帰り、自分の部屋で手のひらに乗せた墨ドル銀貨のカード立てを見ながら言った。
カード立ては鷲が蛇をくわえている打ち出しがされた面を表にして、銀の針金を安全ピンのように曲げたものが縦に取りつけられていて、その安全ピンに似た部分にカードをつけるらしい。
宝物ってなんだろう?
そう考えたとき、ふと間宮恭子の顔が浮かんだ。
塾の夏期講習のとき、ずっと隣の席だったクラスメートだ。確かにちょっと気にはなっていた。だが、シャーペンが奏でる鶏が床を引っかくような音に満ちた夏期講習クラスの部屋では言葉を交わす機会もなく、ただ日々は過ぎていった。
優等生だよなあ。それにきれいだし。きっと間宮恭子はこんなカード立てなんて買ったりしないだろうなあ。
一瞬でも、カード立てに間宮恭子の住所を書こうとした自分が馬鹿なストーカー野郎に思えてきた。
頭をぶんと一振りすると、浩平はもっと現実的なものの在り処を小さなカードに書いた。一階の冷凍庫、と書いたカードをクリップに挟み、昨日買っておいたアイスのもとへと向かう。夏休み最後の冒険? なんだか自分が馬鹿みたいに思えた。
高校二年の夏休みも、アイス食べて、それで終わり。
そう思って、冷凍庫を開ける。
すると、そこには昨日買っておいたガリガリ君コーラ味のかわりに、浩平が買ったのとそっくり同じ墨ドル銀貨のカード立てが置いてあった。
肌が吸いつくほど冷たくなったカード立てには、
『大友町商店街のスミダ肉店とノストラダムス・ベーカリーのあいだの路地の奥』
と、誰の字か分からないがきれいな文字で書かれていた。




