月下酒舟
広い河を小さな舟で下っていた。
岸辺には柱に似た岩山が頂に緑樹をかぶって並んでいた。
水面の月姿はただ小舟の舳先に分かたれた水の波紋によってのみ、揺らいでいて、川はとても静かに流れていた。
ぽわ光と文人は舟から月を仰ぎつつ、杯を重ねていった。
都は奇妙な辮髪を強制する異民族によって陥落し、王朝もまた滅ぼされていたが、この小さな舟の上にはまだ王土があった。
文人の『古』なる清趣は新たな異民族の王朝とはそりが合わず、これまでの暮らしを捨てねばならないことは分かっていた。
全ては『俗』のなかに沈む。
ただ、今は浮世の憂さを忘れ、幽玄の地を静かに下る舟にて、友と酒杯を重ねている。
ぽわ光はなぜか、文人が入水すると知っていた。そして、自分はそれを止めるためにここに来たという思いがいつの間にか心のなかに書き込まれていた。
だが、もう入水はしないだろう。
思うに、文人は誰かと酒を酌み交わしたかったのだ。
杯に浮いた月を見る。
月を呑むには酒が一番なのだ。水や茶では駄目で、古い上等の酒に映したときだけ、人は月を呑める。
そして、飲んだ月は誰にも取り上げることができない。
たとえ『古』な家屋敷奇峰古樹家具什器を取り上げられても、文人のなかの『古』を取り上げることは誰にもできないのだ。
辮髪が嫌なら山に籠ってしまえばいいのだ。少し野趣に傾き過ぎているが『古』には違いない。
文人はぽわ光に小さな、だがずっしり重い包みを託した。
そして、最後の別れの挨拶がわりにぽわ光の額にさっと『古』を描いた。




