月下酒杯
あれだけ趣味にこだわりを見せるくせに酒ならビールでもワインでも日本酒でも紹興酒でもなんでも飲んだ。
試しに消毒用エタノールをおちょこに入れると、それもうまそうに飲んだ。
文人墨客消しゴムの大きさはおちょこをお風呂みたいに使えるほどの小ささにもかかわらず、いくらでもがぶ飲みした。
ぽわ光は縁側で月を見ている。満月がおちょこのなかのソーダ水に映る。気泡が弾けるたびに震える満月を見つつ、ソーダ水をちびちび飲んだ。
古い石に水を落とす鹿威しがある庭だったが、消しゴムの評価は『俗』だった。
役に立たない消しゴムのくせに辛口批評であるが、晩酌の供にするのはなかなかいい。
といっても、ぽわ光は飲み会があるときしか酒の類は口にしない。だが、消しゴムのほうもいくら笊とは言っても、しょせん小さな消しゴムである。たくさん飲んだようでいて、まだワンカップ酒ほども飲んでいないのである。
「月がきれいだねえ。あ、これは別にきみのことが好きだとか、そういうわけじゃないよ」
消しゴムは、どういう意味だ、と首を傾げた。
「昔、千円札に顔を乗せてたおじさんがね、I Love you を訳すとき、『我、君を愛す』じゃなくて、『月がきれいですね』と訳したんだよ。奥ゆかしいのか、頓珍漢なのか、よく分かんないよね。月がきれいですね、で、あなたを愛してますって意味なら、火星がきれいですね、って言ったら、どういう意味になるんだろう? 土星がきれいですね、って言ったら、やっぱりどういう意味になるんだろう? 気になるねえ。どうでもいいことだけど」
消しゴムがおかわりを催促した。
「はいはい。ほんと、きみはよく飲むねえ。別にそれでぼくが不都合被るわけじゃないけどさ。そうそう、その『月がきれいですね』のおじさんなんだけど、猫が主人公の小説を書いていてね、その猫、最後は酔っぱらって、水瓶にはまって死んじゃうんだ。だから、きみも気をつけるんだね。李白だって、水面の月をすくいとろうとして舟から落ちたのだから。でも――ああ、月がきれいだ」
ぽわ光は日本酒をおちょこに入れて、くいっとやった。
「これも一種の飲み会だ。今日はとことんきみに付き合おう」




