大人の忘れもの
ときおり自分の死を簡単に受容する子どもがいる。
大人たちのあいだでは、死というものがいろいろな形で話され、書かれ、哲学の対象にされ、分析されるが、そうやって死について考えれば考えるほど、死から遠ざかっていき、死に対する理解ができなくなっていく。
逆に子どものほうが死を簡単に理解できた。
「死ぬってことはね、パパ、天国に行くとか、雲の上の世界から見守るってこととは違うの」
市民病院のベッドに横になる十歳のなつみは半年前に余命三か月と診断された。少女はそれを三か月得したと考えた。彼女の両親は自分たちの娘がわずか十歳で死ななければいけないことを七十年の損なのだと思っていたのだが。
「説明するのが難しいんだけど、んーと、まず生きてることを考えてね、それでそこを切り取って、大切にとっておくの」
「心のなかに取っておくのかい?」
「別に場所は決まってないわ。頭でも心臓でもお尻でも、好きなところにとっておける。もし、とっておくなら、去年、あたしがリレーでアンカーをしたときのことを切り取ってね。それで、わたし、ずっと生きていられるんだから」
「アルバムみたいだね」
「アルバムとはちょっと違うの。つまり、とっておいたものはどんなときもそのままでとっておけるの。歌みたいに。きりとったとき、ちょっとだけ温かくなるの」
「パパには分からないよ」
娘は少しやつれているが、頬が真っ赤に上気していて、自然に笑うこともできた。痛みや無気力にとらわれることもない。彼には娘が死ぬ理由がさっぱり分からなかった。だが、血液検査やCTスキャンの結果は、この少女が間もなく死ぬことを示していた。
市民病院の窓から夕暮れの町が見える。路面電車の走る大通り、並木道、ショッピング・モール、学校。どこにも死など存在しない。あるのは生活だった。
こうして窓から町を見ていると、娘と一緒に自分も死んでしまうのだという気持ちが強くなった。思い出だけを糧に抜け殻のように生きるのは間違いなかった。
「そうだ、なつみ。ほら、ノートを買ってきたんだ」
「ノート?」
「うん。不思議なノートでね。書いたものがふわふわ浮かび上がるんだ。このあいだ買ってきた色鉛筆と一緒に使うといい」
「うん。ありがと、パパ」
お金でできること、愛情でできることの全てをやりつくしてもなお、娘がもうじき死ぬという事実は変わらなかった。だが、残りの時間が少なくなればなるほど、少女の魂は輝き、まるで靄のかかった地平から解放された銀色の月のように高々と舞い上がる。
納得するつもりもないし、理解など到底できない死が、どうしてこんなに美しく息づくのか。絶望し、ただ戸惑うなか、娘は確かに輝いていた。
それだけは本当だった。




