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ワルツ文具堂飄奇譚  作者: 実茂 譲
MUDABONE NOTEBOOK
27/52

人はなぜバカと書くのか?

『最新技術によって誕生したインク乖離繊維をパルプに組み込み製造したMUDABONE NOTEBOOKは書いた文字を一切受け付けません。インク、鉛筆、墨汁、プリンター用トナー、クレパス、ダーマトグラフ、血まみれダイイングメッセージ。どんな文字でも浮かせて見せます。弊社の紙はお客様が苦労して書いた宿題も恋文も会議資料も全部パーにする自信があります。パーにならなかったら、お代はお返しします』

 これ考えたやつの頭がパーなんじゃないか? こんなの誰が買うんだよ?

 いったい、どこの会社がつくったのか。見てみると、『日本非能率協会』とあった。

 きいたことのないメーカーだ。

 ワルツ文具堂のカウンターで仙太郎は一冊のノートをまじまじと見る。また行商人から売れそうにないものを買ってしまった。よしときゃいいのに、カデットグレーにレモンイエローの斜線が入ったレトロなデザインの表紙に負けたのだ。

 しかし、――。

 本当に書いたものがパーになるのか? ならなかったら、返品するとある。でも、パーにならなかったら、普通のレトロなノートとして売れるので返品は必要ない。

 このあたり、やや複雑だが、ともあれ試してみよう。

 仙太郎はシャーペンをカチカチ鳴らして、ノートの帳面に『バカ』と書いた。罫線を無視するように斜めに書きなぐった『バカ』はしばらくのあいだ、おとなしく紙の上に乗っていた。だが、しばらくすると、小刻みに震え出し、そして、本当に字が浮いてしまった。

 仙太郎の書いた『バカ』はふわふわと宙に浮かんだ。ほんのわずかな風に『バカ』はゆらゆらと揺れる。

「こりゃ、面白い」

 仙太郎は万年筆を取り出すと、『おケツ』『パンツ』『ハゲ』と立て続けに綴り、文字たちは『バカ』に続けと、宙を舞った。

 最初は面白がっていた仙太郎だが、すぐ過ちに気づいた。

 この文字はどうやって消すのか?

 店のなかを悠々と浮かぶ『バカ』『おケツ』『パンツ』『ハゲ』を見て、仙太郎は愕然とした。どうせ書くなら、『一期一会』とか『森羅万象』とかかっこいい言葉にすればよかった。それなのに自分ときたら、まるで小学生みたいにはしゃいで――。

「あれ?」

 仙太郎は目を凝らした。そして、宙に浮いている言葉たちを数えた。

 三つしかない。

『おケツ』がどこかに消えていた。

「まさか――」

 店の外に出ると。『おケツ』が水路の上をふわふわ飛んでいた。

 仙太郎は何百年も前に絶滅したはずの蝶をいつ見つけてもいいように、カウンターに虫取り網を用意していた。その虫取り網片手に真夏の日差しをもろに受けながら、一時間の悪戦苦闘の末、『おケツ』を捕まえて、店に戻った。扇風機を『強』にして、体の熱をせっせと逃がしながら、仙太郎は『おケツ』を小さな箱のなかに閉じ込めた。

 残るは『バカ』『パンツ』『ハゲ』の三つだ。どうも空飛ぶ文字たちには捕まりたくないという本能があるらしく、網を見ると、するりと逃げる。

 もう夕方だし、明日にまわしたいという気分ではある。

 だが、これ以上、『バカ』『パンツ』『ハゲ』に店のなかを飛ばれたら、ワルツ文具堂の品位に関わる。

「さあ、覚悟しやがれ、『バカ』『パンツ』『ハゲ』!」

 と、叫んで、虫取り網を高く掲げた瞬間、客が来た。

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