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ワルツ文具堂飄奇譚  作者: 実茂 譲
万年筆〈アナスタシア・ロマノヴァ〉
22/52

直線運動と回転運動

 黒田邸は尖塔に挟まれた門や本館と別館をつなぐ通路、噴水のある中庭、図書館、果樹園、プールから成っていて、あちこちで電球が道を間違えた聖火ランナーみたいに心細げにチカチカしていた。

 地面に落とした光の輪のあいだには鯨の背中のように濃い闇があり、真夜中色の怪盗スーツに身を包んだ七美はその闇のなかをゴーグルのナイトビジョン機能を頼りに走っていく。

 警備の警官は一人も残っていなかった。みな野球場のあるほうへ行ってしまった。

 陽動作戦は成功。

 たぶん家に戻ってから、

「どう? ママのムーンウォーク、かっこよくキマってたでしょ?」

 と、褒めて褒めて攻勢を仕掛けられるだろう。

 まあ、そのくらいは。

 と、そのとき危うくクラスメートの四人組と庭の通路で鉢合わせしそうになった。

 ぽわ光の着る鎖帷子のジャキジャキという音を聞かなかったら、まともにぶつかっていたかもしれない。

 しかし、と七美は不思議に思う。

 ――どうして、佐宗くんは鎖帷子なんか着てるんだろう?

 それは本人も分からないのだから、おそらく彼女が考えても分からない。ぽわ光は三馬鹿のなかで一番得体の知れないところがある。クラスではそれをぽわ光ワールドと呼んでいて、もし正常な人間がその世界をちょっとでも覗いたら発狂すると言われていた。

 ――発狂はちょっとやだな。

 マスクで隠した顔がほんの少し綻ぶ。

 それから七美は万年筆の保管されている部屋に向かっていたのだが、そのあいだ、五回も四人とすれ違った。

 まっすぐ進んでいる七美に対し、カルテット馬鹿はぐるぐる円を描きながら、走っていた。円の中心となる座標を少しずらすことで巡回ルートを変えているようなのだが、そんな器用なことができるなら、万年筆のある部屋くらい簡単に見つけられそうな気がした。

 だが、万年筆保管室には入り口は一つだけ、ダクトは猫の子でも通れそうにないくらい狭い。

 そのため、部屋に行くには黒田氏の肖像画と大理石の柱が並ぶ二十メートルほどの廊下を通らなければいけない。

 そして、と七美はゴーグルの機能を赤外線感知に切り替える。

「おおー、やっぱり」

 怪盗もののお約束でそこには赤外線センサーが失敗したあやとりみたいにごちゃごちゃに張り巡らされていた。

 ふーっ。

 息を吐き、目を閉じ、自分を沈み込ませる。

 そして、沈ませたゴムのボールが一気に浮き上がるような勢いをつけて、センサーの束へと飛び込んだ。センサーは上下、あるいは前後に動くが、七美は無駄のない動きで赤い線をかわす。

 こんな芸当ができるのには理由があった。

「なに?」かつて、この廊下をつくるとき、黒田氏は設計技術者にたずねた。「センサーの配置を毎日ランダムにするのに五千万?」

「はい」設計技術者はうなずいた。「それでセンサーの配置は毎日ランダムになります。警備としてはより厳重になると思います」

「いらんよ、そんなもの。それより侵入者を焼き殺すレーザー兵器はないのか?」

「ありません。それよりランダムシステムのほうが重要です。もし、邸のセキュリティが破られて、センサーの配置が外に流れたら?」

「いらんもんはいらん。これが殺人レーザーに五千万なら分かるがな、たかが光線出すのをランダムにするだけなのに五千万も払っていられるか。お前ら技術屋はいつもそうだ。五千万? 金が空から降ってくるとでも思ってるのか? だいたい――」

 と、いうわけで、七美は事前に警備システムをハッキングし、センサーの配置を勉強して、特訓したのだ。

 数分後には七美は万年筆を乗せた台の前に立っていた。

 ビロードのクッションの上に専用のケースが置かれている。

 それを手に取り、ケースの留め金を外した。

 なかには何も入っていない。

 罠だ、と気づいたときにはダクトだと思われていた丸い管の出口から睡眠ガスが一斉に噴き出していた。

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