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ワルツ文具堂飄奇譚  作者: 実茂 譲
万年筆〈アナスタシア・ロマノヴァ〉
20/52

美少女探偵 VS 無気力警部

 黒田邸の正門の前には三馬鹿を従えた一ノ瀬早紀が立っていた。

「南高きっての美少女探偵が捜査に協力してやるって言ってるんだから、ここを通しなさいよ!」

「だから、はやく帰りなさい。うちの警官は服ごとジャグジーに飛び込む馬鹿ばかりだけど、それでも一応仕事してるんだ。ほら、帰った、帰った!」

 三馬鹿はどちらの側とも取れない位置に立って、早紀と宮島警部補の言い合いを黙って見ている。頭のなかでは、この後、早紀を職質して、そのままメキシコの刑務所へしょっぴいてやることを考えていて、仙太郎はスマート・フォンで次のメキシコ行きの便を調べていた。

 権藤警部がやってきた。

「また、きみらか」

「どうも、権藤さん」三馬鹿外交担当のぽわ光がぺこりと頭を下げた。鎖帷子がじゃきじゃき鳴る。「また、ぼくらです」

 権藤警部は責任者として嫌々ながら状況の把握に努めた。

 いつもの自称美少女探偵がやってきて、入れろ入れんの押し問答が始まっていた。

 怪盗レインボーと来ると、必ず始まる風物詩のようなものだ。

「おう、一ノ瀬探偵」権藤警部はよせばいいのに、早紀に対する呼称に探偵という言葉を使った。

「あ、警部。ちょうどよかった。この三下じゃ話にならないから、警部にお願いするわね」

「お願いって何を?」

「なかに入れてほしいのよ」

「なるほど。なかにね、なかってのはいったいどこのなかのことかね?」

「お屋敷のなかに決まってるじゃない!」

「うん、まあ、そうだろうな。この場合、黒田邸ということになる」

「怪盗レインボーがここのボールペン――」

「万年筆」と仙太郎が訂正。

「万年筆を狙って、予告状を出してることは知ってるんだから」

「そりゃあ、知ってる。みんな知ってるさ。新聞にも出てたからな」

「だから、あたしたちをなかに入れてほしいの。だって、警備中にレインボーが電源を切って、突然、あたりが暗闇になったら、お巡りさんたちは慌てるでしょ?」

「そりゃあ、慌てる。誰だっていきなり電気を切られたらいい気分にはならんよなあ」

「そこで、美少女探偵が一人、その混乱のなか、相手のトリックを見破って、レインボーの犯行を阻止するの」

「ほう、そりゃあ、見事な筋書きだ。一ノ瀬探偵。自分で考えたのか?」

「まあ、そんなとこ」

「嘘だぜ。コナンのパクリだ」

「うっさいわね、バカ欧助! とにかく、あたしたちがいれば、全部解決するの。だから、屋敷に入れてってさっきから言ってるのよ!」

 権藤警部はうんうんうなずいた。

「全部解決。いい言葉だな。全部解決。それは静寂なる力を意味しているような気がする。いい響きだ。ゼ・ン・ブ・カ・イ・ケ・ツ。まあ、おれとしても一ノ瀬探偵とゆかいな仲間たちをこの屋敷に入れて、おれたち警察が馬鹿みたいに相手のトリックにだまくらかされてるあいだに、きみらがスマートに事件を解決することはいいことだと思うし、おれ個人としても、このなかにきみらを入れさせるのはやぶさかじゃない。いや、もし可能ならおれの肩書をきみらにくれてやって、全部任せたいくらいだ。でも、物事は思い通りにいかない。これまでだってそうだし、これからだってそうだろう。なぜってそれが人間ってもんだからだ。とびっきり可笑しくてとびっきり哀しい存在であるべきなんだ、人間ってのはな。おれみたいにやる気のないくたびれた中年がレインボー対策本部を指揮していて、きみみたいにやる気と若さにあふれている美少女探偵がなかに入れてもらえず、野良犬みたいに外をうろつくのはなんて人間らしいんだろう! 滑稽さがミソなんだよ、こういうのは。そりゃあ、おれ個人としてはきみたちを招き入れ、合同捜査本部なんか作っちゃって、アハアハしたい。でもな、おれのなかのヒューマニズムがそれを許してくれんのよ。つまり、それをやっちまうと滑稽さ――すなわち人間らしさが足りんわけ。この世の中、何が面倒かといえば、人間らしさ、ヒューマニズムに逆らうことが実に面倒なんだな。なぜって、世界はヒューマニストどものものだからだ。一度、『非人道的』のレッテルを貼られてたら、そいつはもうおしまい。この世界に居場所がなくなっちまう。それはだめだ。それは面倒だ。そして、おれは面倒なことが死ぬほど嫌いだ。だから、きみらを入れられんわけだ」

 早紀の頭のなかはクエスチョン・マークだらけになった。

 容量オーバーなのだ。自分たちが黒田邸に入れないことと人間性にまつわる問題が記憶媒体全部を使い切ってしまい、回路全体を守るためにシャットダウンしている状況だった。

 だが、それは三馬鹿にとって好ましい状況だった。

 これから早紀をメキシコの刑務所に放り込むのだから、手足をふりまわされて暴れられるよりはこうやって分数の割り算ができない小学生みたいな顔して思考停止してもらったほうがずっとメキシコ送りにしやすい。

「すんません、権藤さん」仙太郎がたずねた。「手錠貸してもらえます?」

「構わんが、何に使う?」

「いえ、こいつをメキシコの刑務所にぶち込むんです」

「メキシコの刑務所? またすごいところにコネを持ってるなあ」

「そりゃあ、自称美少女探偵の助手ですからね。そもそもおれたち、自由に職質ができて、気に入らないやつをみんなしょっぴいて、メキシコの刑務所送りにできるっていうから、こいつの助手になってるわけです」

「へえ、そいつはすごいコネを持ってるんだな。一ノ瀬探偵は。そのコネを使って、おれを交番か内勤にまわしたりできるかな?」

「そこまでできるかはちょっと分からないですねえ」

「ま、そうだと思った。そんなにうまくはいかんもんさ」

「すいません。あ、民間人がかけちゃまずいですよね。こいつに手錠かけます?」

 権藤警部は手錠を仙太郎に渡した。

「いや。遠慮しておく。おれは何が嫌いって手錠ワッパを誰かにかけるのが、大嫌いなんだよ。相手の手首にかけたつもりなのに、なぜか自分の足首にかかってたりしてなあ。ほんと、この道具との折り合いは悪くて悪くて――」

 最後のほうは突然の大声に遮られた。

 大声は光とともに現れ、警官たちは騒ぎながら、黒田邸から灌木の並びと道一本へだてたところにある市民球場を指差した。

 ナイター設備が眩い白光を降らせる。

 そして、ピッチャーマウンドにいるのは……。

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