警官全員が刑事になりたがるとは限らない
権藤警部の父は刑事で、祖父も刑事で、妻も刑事で、娘も刑事だった。当の権藤警部は警察の仕事が大嫌いで、特に刑事の仕事が嫌で嫌で仕方なかった。何度も異動願いを出し、交番勤務にしてほしいと懇願したが、彼の出した願いや申請書は警察人事の迷宮に迷い込み、毎日、訪れるはずのない人事異動の報せを待ちわびていた。
これだけやる気のない権藤警部が舞打千軒警察の特別捜査班を任されているのはやはり警察行政の不可思議であった。
特別捜査班主任になって以来、権藤警部の苦労はどんどん増えていく一方だった。まず、黒田武光氏からは税金泥棒とののしられながら、怪盗レインボーの逮捕を約束しなければならなかったが、当の警部は、どうせ捕まるわけなんてねえよ、と気分が乗らなかった。
と、思ったら、刑事第二課の刑事たちが黒田武光には不動産詐欺疑惑があるから、何か見たら、全部報告してくれと頼まれていた。
なんで、そんな面倒なこと頼むんだ?
刑事というのは自分の管轄を侵されたら、殺人コンピューターを埋め込まれたホオジロザメみたいに襲いかかるはずなのに、どうして二課の連中はこうも簡単におれを管轄内に立ち入らせ、しかも情報収集までさせようとするのか?
権藤警部は何が嫌いかと言えば、詐欺の捜査が嫌いで、不動産詐欺ともなれば、いろいろ頭も使うので吐き気を催すほど嫌いだった。その証拠、あるいは家宅捜索令状を取れるだけのものをなると、そんなもの見たくもないし、触りたくもないし、家に戻って、枝豆と第三のビールをかっ食らっていたいのだ。
部下の制服警官たちはまるで手の付けられない悪ガキで今でも黒田邸のなかで金持ちの家でしか見かけないもの、例えばルンバの大群、例えばジャグジーバスを相手にスゲー、スゲーと感心していた。
特にジャグジーバスは四方向からジェットが飛び出す仕組みになっていて、ただ浮いているだけでぐるぐるまわることのできるとびきり面白い代物だった。もう巡査二人、巡査部長一人、私服五人がこのジャグジーに服ごと飛び込み、ぐるぐるまわっていた。
警部は、そうした様々なものを総括して、つい、
「どうせ今度も捕まんねえよ」
と、言ってしまったのが、黒田氏の耳に入り、めちゃくちゃに叱られた。
「お前など、交番勤務に戻してやる!」黒田氏は一般的な警官の尺度で考え、人差し指を警部の胸に突きつけて、すごんだ。「そのくらいのことはできるんだからな」
権藤警部はこの黒田氏のことを、不動産詐欺に手を染めているらしいハゲデブくらいにしか思っていなかったが、コネを総動員して自分を交番勤務にしてくれると言われると、突然好ましいハゲデブに見えてきた。
「それはありがとうございます」
心からの感謝の表明だったが、どうやら皮肉と受け取られたらしく、黒田氏は顔を真っ赤にして青筋立てて、ぴょんぴょん飛び跳ねながら(と、いうのも権藤警部の身長は一九〇センチを超えていた)、刑事相手に『殺す』『バラす』『埋める』のNGワードを連呼した。
権藤警部はこうした言葉を許してやった。自分を交番に戻してくれるのなら、そのくらいどうってことはない。
権藤警部は今、黒田邸の万年筆保管室で自分の生涯俸給よりも高額な万年筆――を収めたケースを眺めていた。
貧乏人には見せてやらないってか。しかし、これに億を出すとは、カネというのはあるところにはあるのだな、と暢気に見ていた。陳列室は五メートル四方の部屋で窓はなく、出入り口は一つだけ。換気用のダクトがあるが、人が入れるような大きさではない。
部屋を出て、赤外線センサーが張り巡らされる前に大急ぎで二十メートルばかりの廊下を走り抜け、廊下の出口で扉を閉めた。
立ち番の警官に愚痴る。
「なんてめんどくせえんだろう」
「仕方ありませんよ、警部」
「万年筆のお守だなんてよ」
「一億以上の品なんでしょう?」
「お前なあ、字書くなら炭でも書ける。何が悲しくて一億もする万年筆買わなきゃいけないんだ?」
「さあ? なにせ金持ちですからね」
「そう、そこなんだよ。おれたちはいつだって何か不可解な出来事にぶち当たると、金持ちのやることだ、お偉いさんのやることだと上に投げちまう。そうじゃなくて、おれたちの尺度で物を知ろうとしなきゃならん」
「なんだか、アナーキーですね」
「おれはアナーキストなんだよ。馬鹿みたいに髭生やして頭つるつるにしてハーレーにまたがって、ヘルとかキルとか言ってるのが性にあってるんだ」
「どうして、警部は警官に?」
「おれの一族はみんな刑事なんだぞ? オセロと同じだ。おれの周りが全部黒いんじゃあ、おれも黒くならなきゃいけない」
そのうち、外の警備を受け持っている宮島警部補から警官が使者として遣わされ、権藤警部は例の連中が来ましたと報告を受ける。
「またか」
やる気のない中年警部は頭を掻きながら玄関のほうへ足を運んだ。




