オーヴァー・ザ・レインボー
レインボーが現れる日は決まって、舞打千軒の空に虹がかかった。
これをレインボーと結びつけて考えた思慮の浅い警官数名が虹の根元にレインボーがいるに違いないとメルヘンに断定し、虹の根元目指してパトカーを走らせた。虹の根元にはたいていの場合、古びた倉庫があって、その扉をぶち破ると、違法カジノや覚醒剤の取引現場にぶち当たった。警官たちは目に見えるもの全てを叩き壊して、レインボーを探したが、結局見つからず、手錠をかける相手は名うての博徒や麻薬密売人で妥協しなければいけなかった。
今日もまた警官数名が虹の根元目指してパトカーを走らせた。パトカーは城址公園の敷地の外に沿って走り、丘町の小さな洋館の前を通り過ぎた。
その洋館の地下室には怪盗レインボーこと桐島七美が、これから忍び込む黒田邸の見取り図を作業用テーブルの上に広げて、頬杖をついていた。
壁のラックには怪盗レインボー七つ道具(多機能精密ゴーグル、腕につける薄型多機能コンピューター、腕時計型ハッキング・ツール、小型偵察用ネコ型ドローン、睡眠ガス・ピストル、ぴったりした怪盗スーツ、母親特製ハム&チーズのフレンチトースト・サンドイッチ)がかかっていた。
とはいっても、フレンチトースト・サンドイッチはまだフライパンのなかだったのだが。
侵入経路、警報装置の無効化など、ほとんど計画は決まっていたが、万全を期すには一つ足りない。それも怪盗風のやり方がなかった。
出発は日が落ち、残照がおんぶ山の縁から消えたらすぐだが、七美は頬杖をついて、邸の見取り図を見つめて動かなかった。
「七美、おまたせー」
母親がフレンチトースト・サンドイッチを乗せたフライパンを片手に地下に降りてきた。娘が見取り図を前に頬杖をついているのとみると、そのまま集中させておこうと、サンドイッチを青い紙に包み、七つ道具のそばにそっと置いた。サンドイッチは他の六つの道具から浮いていたが、そのかわり、六つの道具のなかで一番うまいのは自分なのだという自負があった。おまけにサンドイッチはただのサンドイッチではなく、卵と牛乳にしっかりつけ込み、たっぷりのバターで焼いたフレンチトースト・サンドイッチなのだ。世の怪盗でフレンチトースト・サンドイッチを持参するのはおそらくレインボーただ一人だと思うが、それでもフレンチトースト・サンドイッチは自分が時代の先端を走っているというプライドがあった。
「あ」
おいしそうな匂いで母親が来ていたことに気づくと、七美は階段に駆け寄って、上を向いて、
「ママ、ありがとー」
と、呼びかけた。
そうやってまた見取り図のあるテーブルに頬杖をつくと、今度は七つ下の妹の詠がやってきて、七美のまわりを毬のように跳ね回った。
姉がまったく気にしない様子を見ていた妹は姉の持ち物を攻撃対象にした。
「あ、詠」
気づいたころにはゴーグルの調整値がずれ、ハッキング・ツールはフォーマット寸前で、偵察用ネコ型ドローンは不機嫌に尻尾で床を打っていた。
「もう、詠ったら」
道具を元にきちんと戻しているあいだ、詠は七美の学生用バッグを襲撃し、文庫本から押し花のしおりを引っこ抜き、ケタケタ笑いながら去っていった。
予備のしおりをバッグのなかから出し、読んだところを探してぺらぺらページをめくる。
すると、第一次ホテル・ニューハンプシャーの一斉点灯のシーンに行き当たり、そこにしおりを入れる。
本をバッグに戻す。
そして、また座ろうとすると、ふと思いついた。
そして、舞打千軒全体の地図帳を古い本棚から出し、黒田邸の隣にナイター設備のある野球場があるのを確認した。試しにハッキング・ツールを起動させ、照明装置を遠隔操作できるかやってみると、簡単に待機状態にすることができた。
これで七美はどこにいようが、必要と思ったら、すぐ野球場を光らせることができる。
七美は階段を駆け上がると、居間でテレビを見ていた詠に抱き着き、頭を何度も撫でてやった。
「詠のおかげでいいこと思いついたわ」
「あたしのおかげ?」
「そうよ」
七美はキッチンでチキン・ソテーにかけるオレンジ・ソースを作っている母親のもとに行くと、お願いがあるんだけど、と恥ずかしそうに切り出した。
「あら。ママ、現役復帰しちゃう?」
「そうじゃなくて……」
七美は母親に耳打ちした。




