恥じらいは一人称とともに
欧助につかまされたアルバニア紙は思いのほか売れた。三十箱全部売れた。
そのおかげで舞打千軒市はちょっとした暴動状態になった。
町のあちこちで紙に込められた香りに触発されて、アルバニア式の報復が繰り広げられた。報復の道具にはもっぱらパンパンになるまで水を入れた水風船が使われた。
市は報復者となった市民がさらに凶悪なモヒカンの暴徒にならないため、緊急条例を発し、市内の全ての床屋のバリカンを市の所有する大金庫のなかへと一時的に保管されることになった。
一方、これまで誰かに報復しようと思わずに生きてきた小市民たちはここに来て報復する相手を探して、町をうろついた。
そのうち報復を正当化するための大義名分を売るベンチャー企業が現れた。報復者たちはさっそくその企業が売りに出している大義名分(まあ、それがどんなものであれ)を買い、その場で使った。ベンチャー企業はあっという間に水風船で水浸しになり、大義名分事業から撤退した。
こうした市内での出来事は仙太郎がアルバニア紙を売ったことに端を発していたので、まあ多少責任は感じていた。
だが、武器が水風船のレベルにとどまっているのなら、そこまで自分を責めなくともいい。
所詮、おれはゲス真面目だ。
仙太郎は外が大人しくなるまで外出は控えることにした。食料なら冷凍チャーハン焦がしマー油風がどっさりあるし、外に営業に出る必要もない。どうせアルバニア紙の匂いが紙から抜けてしまえば、この報復キャンペーンも終わるだろう。それまでは冷房をガンガン利かせてこのまま亀みたいに首を引っ込めるわけだ。
と、そのときガラガラとガラス戸が開いた。
「あー、辻岡か。って、なんだ、その恰好?」
辻岡つつじは白の道着に黒袴、剣道用の胴と籠手をつけ、竹刀を握っている。
「外は物騒だからね」
「面はないのか?」
「視界が遮られて不利だから」
ふーん、そうかあ、実戦向きだなあ、と適当なことを言いつつ、仙太郎はいつもの引き出しから、いつもの品――アルメニア紙を出して、ガラスのカウンターに置いた。
置きながら、
「襲われたか?」
「まあ、それなりに。ねえ、この報復狂はあとどれくらい続くと思う?」
「紙から香りが抜けるのは、あと二日ってところかな」
仙太郎はアルメニア紙の箱を昭和四〇年代にプリントされたオレンジと紺のひし形がレトロな紙できれいに包んだ。
代金を払って、つつじが箱を手に取るさまを見ながら、
「もう、すっかり慣れたもんだねえ」
「わたしだって、そんないつまでもどぎまぎしたりしない」
「そういうのは一人称と一緒に置いてきたって?」
「やめて。なかったことにしたいんだから」
「そんなこと言っても、高校時代の連中はみんな知ってるよ。お前が、自分のこと、ボクって言ってたこと――わかった、もう言わないから、竹刀を上段に構えるのやめてくれ」
赤面したつつじは竹刀を下ろして言った。
「まったく。相変わらずゲスなのね」
「ちょっとっ。真面目もつけてくれよ。ゲス真面目」
「わかったよ。ゲス真面目」
「うん。満足だ」
「じゃ、また切れたら買いに来るから」
「ご来店ありがとうございました。道中、気をつけて」
いや、気をつけるのはつつじに襲いかかる報復者のほうか。
もし神さまがいるのなら、報復者たちにはとびきりの慈悲をかけてほしいものだ。辻岡つつじは微塵の慈悲もかけないだろうから。
「めーん!」
と、びりびりした声が表からきこえて、誰かがひっぱたかれる音がした。
アルバニア紙〈了〉




