精密さは人を魅了する
店に入ると、祖父の道雄が革製のカバーをかけた文庫本を読んでいた。
「ただいま、じいちゃん」
「おかえり。おや、いらっしゃい」
「どうも、おじさん」
道雄は笑った。
「わたしはもうおじいさんだよ。でも、その気遣いは素直に受け取っておこう。それで、今日は何をお求めかい?」
「シャーペン一本」
「選り取り見取り。どれでも好きなのを見てくれ」
「ねえ、じいちゃん」
「ん?」
「さっきうちのクラスの女子が二人来たでしょ?」
「妙に貫禄のある子と一人称がボクの剣道女子のことか?」
「うん。あの二人、何か買っていった?」
「買っていったが、それが?」
「何買ったのかなあ、って思ってさ」
「なんだ、気になるのか?」
「まあね」
「あの子たちは教えてくれたのか?」
「教えてくれたら、こんな質問しないでしょ」
「それもそうだ。だが、あの子たちが教えてないのなら、わたしも教えるわけにはいかんな。プライバシーは尊重せねばならん」
「じいちゃん。まさか生理用品じゃないよね?」
「当たり前だろ。うちを何屋だと思ってるんだ。それよりほら、お客さんの相手をしろ」
欧助が立っているのは学生用筆記用具を並べた棚だった。いろいろな種類の鉛筆、シャーペン、ボールペンをダース単位で入れた赤や青の箱が少しのスペースも無駄にすることなくきちんと置かれている。ロングセラーや海外の小さな筆記用具メーカーの廉価品、ウォーターマンの高級シャープペンシル、プラスチック製の軽くて一番安いシャーペン。
「なあ、センタロー。テストでいい点取れるシャーペンってあるのか?」
「あったら、おれが真っ先に使ってる」
「じゃあ、女にモテるシャーペンは?」
「どうやってシャーペンから女子にモテるなんて発想をつなげるんだよ」
「おれはいつも可能性を探ってるんだよ。いいか、センタロー。可能性は無限大だ。空を渡る星の動き一つをとっても、そこには女子にモテるための十の可能性が秘められている。それはシャーペンだって同じだ。分かるか?」
「全然分からん」
「一人の人間が世界全体に影響を及ぼすように、ちょっとした小物が一人の人間全体に及ぼす影響のことも考えるんだ」
「そんなこと言っても、欧助、もし、お前が最高にかっこいいシャーペン持ってても、全裸で靴下しか着けてなけりゃ、一が全に及ぼす影響もヘチマもないだろ?」
「おれがいつ靴下だけの全裸に――あ、なってたわ。まあ、それはいいんだ。過去のことだ。それよりいいシャーペン見繕ってくれよな」
「まあ、商売を考えれば、ラミー2000を勧めるところだけど、今度の三者面談で小遣い減るのは間違いないだろ? ここはおとなしく定価四八三円の三菱の〇・五ミリにしとけ」
「なんだ、その、ラミーってのはいいのか?」
「モノはいいよ。最高と言ってもいい。握り心地も重さもちょうどいい。ちょっと握ってみ?」
「なして?」
「なして、って、そりゃ、お前、たまには右手にも自分のチンポコ以外のものを握らせてやらなきゃ。そのうち、ストライキ起こされるぜ、右手に」
欧助はラミーのペンを握った。まずシルエットの樹脂製ボディから流れるように先端部へと行き着く芯先をじっくり眺めた。次に感触を確かめるようにしばらくペン先を宙に浮かせた。そのうち、試し書き用に置いてあるノートに『鵜殿欧助参上』とさらさら書いてみて、まるでペンが自分の右手の延長線上にあるかのような感覚を得た。
仙太郎が横で説明を続けた。
「そいつで芯をカチカチ出すときなんて、精密機械使ってるなあって感触がある。ほんと、いいペンだよ。でも、やめとけ」
「なんでだよ?」
「高い」
「高いって言っても、たかがシャーペンだろ?」
「一万プラス消費税」
「は?」
「値段だよ」
「一万ジンバブエ・ドル?」
「円だよ。エン、YEN、圓」
「一万八〇〇円もするのかよ、このシャーペン!」
「メカニカル・ペンシルだ。シャーペンってのはどこかの会社の宣伝ロゴがでかでかと入ってて、ご自由にお持ち帰りできるペンのことだ。このラミーはまさにメカニカル・ペンシルと呼ばれるにふさわしい。これでも高級品のなかじゃ安いほうだ。ファーバーカステルなんか四万もするんだから。な? だから、言っただろ? やめとけって」
「こいつは……」
「わかってるさ。馬鹿げてるって言いたいんだろ? でも――」
「こいつは最高にモテモテのアイテムだ!」
「は?」
「ちょっと待ってろ! 一度家に戻ってカネ持ってくるから。そのシャーペ――じゃなくて、メカニカル・ペンシル、売るんじゃねーぞ!」
バタバタと走り去っていく欧助の背中を見つめながら、仙太郎は信じられないといった様子で自分の頬をつねった。
「いてっ」
「夢じゃないぞ、仙太郎」
「ねえ、じいちゃん。おれ、止めたよね?」
「ああ、止めた」
「でも、あいつ、買うって」
「見事なセールストークだったな」




