?の観察日記(1)
観察日記、一周りと四本目、夕刻から夜にかけて。小林の間にて超特記連絡事項あり。
始め。黒衣纏が昼に連れて来た雌、個体識別名・渡辺優子とまた来る。
「何しに?」
怪訝を通り越して珍獣でも見るような透の言葉に
「夕飯。みんなで食べようって優子ちゃんが」
黒衣は手にしたビニール袋を透の鼻先に突きつけた。顔を反らしながら受け取り透は黒衣の背後を一瞥。
「ほんと、あんたって気真面目だね」
「それが優子ちゃんの長所で短所」
黒衣のフォローになっていないフォローを聞きながら優子は苦笑いをした。時刻は夕飯前、事の起こりは喫茶店での話が終わった後から始まる。
疑問も出尽くしたらしく最後に優子が口を開いてからおよそ一分。表情には幾分納得いきませんと書かれてはいるがある程度は納得したと見計らい黒衣は終了を告げた。
「この話はここまで、デートでもしよっか」
「は・ぃ・・・はひい」
唐突な終わりと始まりに素っ頓狂な返事をしてしまい優子は顔を耳まで赤くした。
「オーケーと受け取っていい?それは」
「・・・・一応」
「一応?まだ訊きたいことある?もうそろそろこっちはネタ切れなんだけどな」
「それはもういいです。なんとなくはわかったというか理解したというか・・・・」
「その割にはお顔が優れないようだけど・・・消化不良って感じ?」
コクン。頷き、消化不良の原因を探す。何が引っかかっている?私は何を気にしている?自問自答する優子にひとつの答えが浮かぶ。
「これだけは教えてもらえませんか?」
おずおずとだが優子は最重要事項を黒衣に訊いた。
「あの子たちにとっての地雷はなんですか?」
「地雷?」
怪訝な黒衣に優子は心の内を吐露した。
「怖いんです。―――――私が不用意に言った言葉が大変なことになるかもって思うと・・・・・・・・・・どんなことがあの子たちの地雷になるのか知っておきたいんです」
「踏んだことあるの?地雷」
「あっ、あ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
黒衣の問いに優子は返事が出来ずに固まった。攻撃権が交代する。黒衣が身を乗り出す。いきなり眼前に迫った黒衣の顔に優子は距離を取ろうとするが席は壁に設置されたソファ、体を後ろに反らすことしかできない。
「そんな逃げないでよ。取って喰うわけじゃないんだし、恋人同士だし」
言われて優子も体勢を戻す。昼の透の言葉が頭を過った。
『信用してねーんだ、あいつのこと』
黒衣を一度裏切っている。信じているのかと尋ねられたら信じているとはっきり言えない自分がいることは誰よりも優子は判っていた。そして、そんな自分が嫌だとも。
「気にしなくっていいよ。付き合いだして日も浅いんだし」
心を見透かしたような言葉に優子は体を元に戻し黒衣を受け入れる。言いながら黒衣は優子の前髪を整え、人差し指を優子の額にそっと当てる。
「『この人がどんな人間か』は相手と接しながら知ればいいって。あいつらはもちろん俺のことも」
病室で、地下鉄のホーム下で、聞いたのと同じ声が発せられる。
「喧嘩して、心に傷付けて、そんな感じで解っていくもんでしょ?」
それが出来ないから私には恋人も親友もいない。普段なら沈み込んで行くはずの気持ちが今は沈まない。黒衣の言葉には引力があるようで優子の心を引き寄せて離さない。
「優子ちゃんは地雷を気にしているけど、そんなもん、他人からはわかんないよ。踏んじゃったかどうかは。そんなわからないものにビクつくだけ損だよ」
ここで地雷ぽいものを聞いてもそれが本当にあの子たちの地雷かどうかはわからないってこと?
「だいたい優子ちゃんは気にし過ぎ。そんなに力まずに、言ったでしょ。かーるく考えてくれればいいって、君がこんなことをしたら喜ぶだろうなってこととかをしていってくれたらいい。優子ちゃんには普通の家庭で普通に育てられた立派な経歴がある」
確かに、我が家は中流家庭の一般家庭だ。
「それに言ってるでしょ?君に求めてるのは養育ではなくただの話し相手。深く考えずに気楽にさ、テレビ番組の話とかくだらない世間話とかしてくれればいいだけだから」
本当にそれでいいの?煮え切らない表情の優子に黒衣はダメ押しをする。
「そんなの気にしない。いきなりこんな話されてんだから。納得するまで時間がかかるのは当たり前。暗い顔せずにさ、明るく行こ、明るく。地雷もいっぱい踏んでくれてかまわない」
良いの?踏んでも。
「爆発すれば残るのはさら地だけだよ、明るく行こ。無理して明るくじゃないよ、マイナス思考な未来の計算は捨てるってこと」
優子の瞳には黒衣が映っていた。
「君の好きなようにしてくれていい。間違いではないからそれは」
瞳の中の自分と目が合うと黒衣はすっと優子の額から指を離した。
「自分の親の子育ては全て失敗だと思う?自分は間違った教育を受けてきたと思う?」
優子の首は一瞬だけ間を置き、横に静かに振られる。
「ちょっと迷うとこがあるんだ?」
くすっと笑いを浮かべながらの問いに、迷いながらも優子の首が縦に振られる。
「その判断は正解だね。すべて正解を選んで実行できる人間はいない。そしてその答えが正解か不正解かを判断できる人間も・・・『人間万事塞翁が馬』って言葉もあるくらいだし」
「はい。私の一番好きな言葉です」
「俺も」
にかっと破顔した満面の笑みに優子の表情も綻ぶ。病室の時もそうだった。普段の彼には頼りなさや不信感を感じるがこのときは違う。絶大な信頼感が体を包み込むのを、芯まで染めていくのを優子は感じていた。そしてそれは優子にとってはもっとも至福なときでもあった。
この人の言うことを信じていればいい。迷いは一切消え、あとには決断力だけが残る。
明るく行こう。親がしてくれたことを、自分が親になったとき子供にしてあげたいことをしよう。これでも『女』だ。母親の素養は持っている。はず、多分。難しく考える必要はない。自分だって子供だったんだからわからないわけじゃない。うん、うん。
優子は二回しっかりと自分の思いを確かめるように、信じるように頷く。
「それで、デートだけど、どこ行きたい?」
これで終了と伝票を持って席を立つ黒衣に優子は待ったをかけた。
「小林さんの家。じゃ、だめ?」
そして、現在に至る。