ホーム下のロマンス?
時を遡ること数時間前。
帰宅ラッシュの時間となりただでさえ賑やかな地下鉄のホームは一段と騒がしかった。いつもと違う位置で止まった電車。その上、ドアは開かない。そのほとんどの者が理由も知らずいつもと違うことへの戸惑いを周りと共有しようとし、不幸にも目撃者となり、理由を知る者たちが誰彼構わず目撃したものを叫ぶように話しまくり、やがて、その場にいるもの全員に知れ渡った。その理由とは、
女性が一人、ホームから落ちた。
こう聞かされた人々の反応は一様ではなかった。自殺?事故?誰かに突き落とされたとか?どこ?すぐ復旧するのか?そばに死体があるの?と、十人十色な第一声は好奇や不快、嫌悪、苛立ちと様々な感情で彩られたが、次のリアクションは同じものだった。
えっ、生きてるの?
俄かに信じがたいことであったが、止まっている電車とホームの隙間から聞こえる悲鳴がなによりの証拠だった。
ホームの喧騒を掻き消すような大音量の悲鳴が終わったと思ったら女は泣き出した。それも先程の悲鳴と遜色ないほどの声量で。
「だって、・・・私もう二十九ぅっで、」
「はいはい、それで」
黒衣纏は辟易しながらもまた宥め始めた。
「なのに、なのにー」
「なのに、何?」
先程に比べれば話してくれるだけまだマシかと達観した思いを持ちながらも、訊き方がまずかったか、と黒衣は反省もしていた。
悲鳴が泣き声に変わった原因は彼女ではなく彼が作ってしまったのだ。パニック状態がひと段落し、落ち着いてきた状態を見計らったつもりでいたが、少し性急過ぎたか?でも、間を置くと本音は聞けないだろうしな~と男はひとりごちた。言ってしまった言葉は実に自然でストレート。『自殺の理由は何?』
これを聞いた後の優子の反応はご覧のとおりの有様。とりあえず、黒衣は優子の言っていることを頭の中で整理しながら、適当に相槌を打っていた。
言っていることをまとめると自殺理由は、
① 年齢。
二十九歳でありながら彼氏いない歴が年齢。
しかも、未だに定職には就けずパートタイマーであること。
② 金銭面。
手取りで十二万円、自宅暮らしで貯金もあるが一生安心ではない。
③ 自身の性格。
今までは慎重というか冒険をしない主義の自分の性格を悪いとはあまり思ってはいなかった。だが、その結果が前述の彼氏なしの定職なし。一人暮らし経験も一切なし。の原因だと思うこと。
④ ①、②、③からくる将来への不安。
子供の時の未来予想図では二十五歳には結婚、きちんとしたところに正社員として勤めているはずだったことを急に思い出した。
以上のことが自殺の理由。特別、死ななければいけないような問題は抱えていない様子。問題点は①恋人②就職。この二つさえ満たされれば全て解決される。
「わかった」
そう判断するや黒衣の行動は迅速だった。
「ちょうど求人しているところがあって良い人を探してたんだ。手取り三十万、各種保険、手当付き勤務時間&休日は要相談でいくらでも変更可。こんな条件で良い?」
涙でコーティングされた瞳がきょとんと黒衣を見上げている。
「ああ、もちろん正社員。ボーナスもちゃんと出るし、退職金も有り」
優子が眼をぱちくりさせるとはずみで溜まった涙が本人の意思とは関係なく流れ落ちた。
「それと恋人のことだけど・・・・・俺じゃだめ?」
頬に涙を這わせながら今度は眉根を寄せる。
「とりあえず頷いてよ。嫌でなければ」
優子は言われるがままに頷いた。断る理由が浮かばなかった。受け入れる理由も浮かばなかったが、でも、
「よろしくお願い・・・・いたします」
申し出を了承した。少女漫画みたい。焦点が合っていないボーとした優子からの受け入れに男の顔がにやりと歪み、笑みを形作る。
「こちらこそ。よろしく優子ちゃん」
ここで優子の記憶は途切れた。