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毒舌少女のために帰宅部辞めました  作者: 水埜アテルイ
第6章 あなたを記憶する物語
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自由な蝶の羽ばたき

「平凡だわ」


 元薔薇園でぽつりとアリナが呟いた。


「平和な証拠だ。地球のどこかでは空襲警報に怯える俺たちとそう変わらない年齢の少年少女がいる。俺たちは今ある日常を作り上げてきた先人たちに感謝するべきなんだ」

「相変わらず突拍子のないことを言うわね。面白いわ」

「無表情で言われても嬉しくないぞ」

「さて、再開しましょうか」


 背伸びをしてアリナは再びシャーペンを握った。

 

 春休みは目前まで近づいてきている。

 期末テストはもうとっくに終えており、次は初の模試を来月に控えているので我々は元薔薇園で勉強中というわけだ。来月、つまり三年生になったらすぐ受けることになる。忙しくなりそうだが三年生とはそういうものなのだろう。

 二年生まで高校生活を楽しみ、最後の一年は勝負の一年とする。進学ガチ勢校なら一年生のころから闘いは始まっていることだろうが当校はゆったりスタイルだ。

 

 帰宅部を辞めなさいと言われたあの日から数日が経過して俺たちは一見元通りつるむようになった。勉強ぐらいしかしてないがそれでもアリナとまた接点を持つことができたのは嬉しかった。

 その反面、現実を直視しなければならない心憂い場面が度々あった。話がかみ合わなかったり、改めて自分について説明したり。彼女の中に榊木彗をもう一度書き込む行為は空しかった。思い出してもらうどころか新たな出会いとして会話のキャッチボールをしている気がしてならないのだ。


『榊木彗を思い出さずに、今の榊木彗を記憶し続ける』


 俺という人間を彼女が理解し、毒舌薔薇と変わりない時間が過ぎればコミュニケーションに違和感は生じなくなるだろうし、記憶の齟齬で気を落とすこともなくなるだろう。

 しかし、それはとてつもなく寂しい。

 彼女は俺の目をまっすぐ視る。しかし俺は彼女の瞳をまっすぐ視れない。その瞳の奥で眠る、毒舌薔薇の欠けた記憶を探してしまうのだ。


「ねぇ、彗。余談いいかしら」


 勉強を再開した途端に彼女はシャーペンをまた置き、そういった。


「どうぞどうぞ」

「むかしこんな映画があったわ。恋人を救う為に何度も過去に戻る話よ。疎遠になった恋人を、不幸になった恋人を何度も過去に戻って自分と結ばれるように『蝶の羽ばたき』のような小さな行動をして未来を変えるの。二人が幸せになる未来を選び取るためによ」

「SFか」

「そうね。でも過去に戻るたびに恋人はどんどん離れていって、不幸になってしまうの。まるで世界がそう決めたかのように運命は変わらない。それでも主人公は頑張ったわ。いつか結ばれると信じてね」


 アリナは例の秘密のノートを開いた。彼女の歴史でもあり日記でもあるそのノートを抵抗なく目の前で開いたので少し驚いた。

 開かれたページは榊木彗についてだった。


「二人はどうなったと思う?」

「苦しんだ末のハッピーエンドで結ばれた。って感じか?」

「いいえ。結ばれなかった。恋人の為に最初から出会わなかった道を選んだのよ。二度と会わない選択をして不幸な運命を断ち切った。悲しいハッピーエンドね」

「そりゃまた心にくるものがあるな……」

「これ何かに似てないかしら」

「ん?」

「あなたが私に関わらないと選択したことよ。私の為を想って悲しいハッピーエンドを選ぼうとしたこと」

「ななななな、なぜ俺の話になる。恥ずかしいからやめなさい。誰かブラックコーヒーを持ってきてくれ。500ml摂取すれば即死できる」


 アリナはクスクスと笑った。

 

「主人公は日記の内容を読み返すことで過去に戻れたの。例えば私があなたと出会った日の文章を読み返せば、その過去に記憶を維持したまま戻れる。そんなふうにね。主人公は最後の選択の後、日記を全て燃やして二度と過去に戻らないと決めた」

「あれまぁ。本当に二度と会えないわけだ」

「私のノートもそれに似てるわよね。そして私も、このノートはもう不要なのかもしれないわね。ほとんどの記憶を取り戻したから」

「処分、するのか……?」


 疑問混じりの潜めた声で問うとアリナは顎に手を当て、粘りつくようなジト目になった。


「しないわ。あなたのこと、思い出せなくなるもの」

「みょ」


 俺の脳味噌では処理できず、言葉になりきれなかった音が口から漏れた。重く響いた彼女の台詞で、胸をナイフで突かれた刹那、眼を見開いて死を悟った悪役みたいに俺はフリーズした。あいにくウィンドウズキーも電源ボタンも備わっていない俺は強制シャットダウンもできず、銅像のように不動であり続けた。

 反則です。そんな甘い台詞、まだ慣れてないです。


「ふふ。そこは得意のジョークで返すんじゃないの?」

「馬鹿野郎。甘すぎる台詞で永久歯ぜんぶ溶け落ちたわ」

「あら、ごめんなさい。次は骨を溶かせるよう頑張るわ」

 

 




 

 ふっくらしてきた桜の蕾が春の兆しを教えてくれる。包み込むような暖かさがやっと訪れ、寒さで身を震わせる朝は日を跨ぐごとに減り、人も自然も着実に新年度を迎える準備を進めているようだ。

 

「お前とは長い付き合いだった」


 春休み前日の最後の昼休み。午前中に修了式を終えた我々二年生は欠けることなく三年生へとランクアップを許された。

 そんなわけで真琴と今生の別れをしているわけだ。

 

「ノルマンディー上陸作戦から始まり、月面基地死守戦までお前とは長い間ともに戦った」

「そんな記憶ないけど、うん、長かったね」

「反乱した自律機械群たちへの電磁波兵器の行使は今でも思い出すだけで高揚する」

「そうだね、うん、すごかったと思うよ」

「愛する娘のために――」

「もういいって、彗。お願いだから普通に喋ってくれよ」


 両手をあげて降参する真琴。彼とは一年からの付き合いで、まる二年間を共に同じクラスで過ごした。よくもまぁ俺のような変人の相手をしたものだと思う。彼の寛大な心に祝福あれ。

 

「アマゾン奥地で部族と戦った時は――」

「日本から出たことすらない!」

「まぁなんだ、今までありがとな。三年になってもよろしくな」

「と、突然元に戻るなよ……また一緒だといいな」

「そうだな」


 確率は低いがそうだと俺も嬉しい。新たな出会いは楽しみでもあるが、親しい彼がいなくなるというのは寂しいものだ。

 俺の奇行に慣れていない新たなクラスメイトたちが俺を理解するまで時間が掛かるだろう。トマトジュース中毒の理解も得なければ。


 昼休みは真琴とのやりとりで終わるわけではなく、なんと赤草先生から呼ばれている用もある。しかもアリナ付きで。用件は保健室で話すそうだがきっとアリナがらみだろう。

 指定された時間通りに保健室に着き、ノックして入る。


「先生、来ましたよ」

 

 アリナの後ろ姿が目に入る。彼女は赤草先生と向かい合って座っていた。背中をよじって彼女はこちらを見ると会釈した。俺も片手をあげて「おっす」と応える。


「改めて。昼休みに二人ともごめんね」

「大丈夫です。それで、話とはなんですかね」


 パイプ椅子を取り出して俺も話を聞く準備を整えた。


「実はね。異動が決まりました」

「いどっ。いっいっいっいっ――」

「落ち着いて、彗君。大事なことだから先生の話を――」

「いっいっいっ――」


 噂が現実になった瞬間だ。

 いつだったか赤草先生が異動するという噂が流れた。理由は先生がこの高校に就任して長いからであり、異動するとしたら赤草先生が有力候補だったというだけの話だ。

 なぜだ。

 なぜ当校の花を奪おうとするんだ、お偉いさん。さては赤草先生を篭絡したいがために近くに置きたいんだな? なるほど、そこにお前がいるんだな? よし特定作業の始まりだ。見つけ出したら二度とチョークを握れない指にしてやる。榊木家の恨みは怖いぞ。


「いっいっいっ――」

「静かにしなさいよ」


 アリナに肩を揺さぶられて吐き気がこみ上げてきた。受け入れられぬ現実と揺れで船酔いのような感覚に陥る。ちなみに船に乗ったことはない。海は怖い。

 口元をおさえてトマトジュース七リットルを吐かないよう抵抗しつつ、踏ん張って顔を見上げた。


「……本当なんですか」

「本当です。もうそろそろ新聞にも載ります」

「オォ……ォォオオアア……!」

「だから最後に二人に言いたいことがあって呼んだんです」


 赤草先生は腰を折って頭を下げた。


「本当に、何もしてあげられなくてごめんなさい。先生として失格です」

「およよよよよ先生、やめてください。頭を下げるのは僕の方ですよ。女神の面前で顔を上げている僕の方こそ罪深く、赦しがたいです。あぁあ、早く土に還らなきゃ」

「そうはいきません。アリナさん、彗君、本当にごめんね。あなたたち二人のために私は何もできなかった。特にアリナさん。頼りない私なんかでごめんね」


 赤草先生は声を震わせて謝罪を続けた。泣くまいと耐える姿は俺には目を逸らしたい光景だった。

 誰も悪くない。分かっているはずだ。


「先生は何も悪くないです。寧ろ感謝しています。私の我儘に付き合ってくれたのですから。もし専門医による治療を受けさせられなかったを気に病んでいるのならやめてください。先生に病院を勧められても断ったのは私ですよ?」


 アリナは近づいて、膝に添えられた先生の両手を包み込んだ。


「もう一人の私が要望した『話し相手』。その人を探してくれたのは先生です。本当に沢山の出会いがありました。先生がいなかったら今の私はありません。自分を責めないでください。先生は私にとって恩人です」


 最後の言葉が効いたようで、赤草先生は嗚咽を殺して涙を太腿に落とした。「ごめんね、ごめんね、アリナちゃん」と口ずさみながらアリナの手を握り返す。

 わたくしめに同性愛の性質はないが、二人の美女がセットになるとつい「うむ」と頷いてしまう。うむ、良いじゃん。

 毒舌薔薇だったら俺はチェーンソーでバラバラにされていただろう。サイコロステーキになって動物園のライオンさんの胃袋で分解されていくのがオチだな。

 状況が落ち着くまで俺はその性を問わない美しき人類の愛を観察し続けた。





「えっ、それはどういうこと……?」

 

 アリナが帰った後、残り少ない昼休み時間で俺は簡潔にアリナの容態を先生に伝えた。俺だけを忘れ、全てを思い出したことだ。口調も態度も穏やかになり、当初のアリナ更生プロジェクトは完遂されたといっても過言ではない、とも伝えた。

 先生も合点がいったようで、うんうんと頷く。


「だからあんなに大人しかったのね」

「はい。もう罵倒は久しく無いです。逆に物足りないくらいですよ。もっといじめて」

「でもなぜ彗君だけを忘れたんだろう……」

「不思議ですよね」

「植物状態から回復した人が恋人以外の人を全員忘れた過去の例なら聞いたことがあります。原因はわかりません。彗君の場合は逆のパターンね」

「その例すごいっすね。愛の力ってやつですか」

「どうでしょうね。この人だけは忘れたくないっていう意志がそうさせたのかも。単純に考えたらアリナさんの場合も似たようなことかもしれませんね」

「? よくわかりませんね」

「彗君がアリナさんにとってとても大きな存在だったから。ワイングラスを記憶の貯蔵庫と考えてみるとわかりやすいわ。取り戻した人生の膨大な記憶をグラスに注ぐ為に、溜まり込んだ彗君が邪魔になったとか」

「それひどくないですか。ぼく号泣しそうです」

「ふふふ。根拠のない仮説だから無視して大丈夫よ」


 しかしながら、アリナにとって俺は特別な存在だったことはジョーカーの俺でさえわかっていた。

 そして原因を追求することの無意味さもわかっている。記憶というものは本当に気まぐれで曖昧だ。忘れるのも覚えるのも意識次第で左右される。そんな不安定で不完全なものに完璧な答えを求めても満足するはずがない。

 

 だからアリナが俺を思い出すという宣言も無謀なのもわかっている。在校中に思い出せると決められているわけじゃない。彼女が大人になって社会人として働くようになり、運命の人と出会って家族を作り、孫が産まれる頃の年になって、ふと思い出すかもしれないのだ。

 彼女の例え話のように、世界は俺たちをハッピーエンドにさせる気は毛頭ないのだ。付け加えるならばバッドエンドにさせる気もない。

 すべて自分たちで決めることだ。


 保健室から戻る途中、白奈に会った。

 俺とばったり会った彼女は何かを渋っているように胸に手をあて、目を合わせては逸らした。


「ねぇ、彗。アリナさん、ちょっと変かもよ」

「ちょっとどころじゃないだろ。アレは異質の塊だ」

「違うよ。喧嘩してるの?」


 言わんとしていることはわかる。やっとアリナが俺を忘れていることを違和感として感覚したのだ。しかし記憶喪失とは思ってはいないだろうな。


「ま、そんなところだ」


 そうとしか言えなかった。






 最後の放課後になった。

 クラスで記念撮影をし終えると泣き出す女子が散見された。仲良しさんと別れるかもしれないのが悲しいのだろう。

 俺はというと普段通りジョークを連発するだけだった。


「彗。最初変なやつだと思ったけど今ではすげーいいやつだと思ってるぞ! ありがとな!」


 新聞部の斗真がそういった。


「だろ? 俺以上に素晴らしい人間は数えるほどしかいねぇよ。数日前に数えてみたらたった68億人だったぜ。世界には悪人が多すぎる」


 その次に鶴が羽ばたいて来た。


「なんか寂しいねー。この一年楽しかったよ」

「俺もだ。最初は見た目でお前のことを掛け算もアルファベットもわからないギャルだと思っていたが今では四足歩行できる鶏だと考えを改めたぞ」

「復讐するためにも来年も一緒のクラスだといいな」


 廊下で変態ポニーテール少女・華彩に遭遇した。


「ねぇ知ってる? 興奮すると女の子の胸って大きく――」

「あーはいはいアボリジニアボリジニ。トリニダード・トバゴ」


 いつまでも教室にいては名残惜しさで帰れない。だから俺はいつも通りの放課後を過ごす。別に誰かが転校するわけじゃないんだ。距離が数十メートル離れるか、近くなるかの違いだけだ。

 元薔薇園に行こうともしたが、不思議と行く気にならなかった。こればっかりは説明できない。

 しかしある程度の推論は述べられる。


「あら、一人なの?」


 昇降口で背中を扉にあずけてスマホをいじっていた少女がいた。


「独身貴族だからな」

「国の敵ね。少子化が進むわ」

「この危険な遺伝子は封印されなければならない。それだけだ」


 だから俺は行かなかったのだ。

 彼女がそこにいたから。


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