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毒舌少女のために帰宅部辞めました  作者: 水埜アテルイ
第6章 あなたを記憶する物語
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世界一の君に捧ぐ

 

 あなたを見つめている。私を見つめている。


 彼女と目が合い、俺が逸らすまでの数秒間。お互いの意識がお互いを認め合っていた。一ヶ月間の他人のフリなんか無かったかのように。

 神秘的に輝く琥珀のような瞳に吸い込まれそうになる前に俺は目を逸らした。危うく一声かけてしまうところだった。


「アリナ? どうしてここに?」


 鶴が立ち上がってアリナの元へ近寄った。


「なんとなく気になって来たのよ。妙な気分だわ」

「妙な?」

「既視感よ。鶴と私は一緒にここに来たことはあるわよね?」

「うん。多分、彗に連れてこられたときかな?」


 鶴がアリナにお礼を言うために鶴を誘拐した時のことだ。

 彼女が一年生の時。冬の季節、凍結した路面で転び、ケガをして困っているところをアリナが助けて学校までおんぶしたという怪力伝説のことである。お礼をしたかった鶴に俺が場を設けた際、利用したのがここだ。

 

「やっぱり。現実なのね」

「もちろん。私、アリナにありがとうって言ったじゃん!」

「そうね。今更だけどあなたをおんぶしたのは私よ。ひねくれててごめんなさいね」

「わかってる。彗もこの話おぼえてるでしょ?」


 不意に話を振られて言葉に詰まった。バッグを肩にかけて逃げるすきを窺っていたからだ。アリナが来てしまった以上留まるわけにはいかない。

 少し間をおいてから「さぁな」と短く返事をして立ち上がる。他人から見ればどうしようもなく不貞腐れたクソガキにしか見えない態度だ。こんな自分を殴ってやりたい。アリナの困惑した表情が俺の心をひどく痛めた。

 彼女らの傍を通り過ぎて引き戸に手をかけて出ていこうとしたとき、袖を掴まれた。


「待って」


 アリナが呼び止める。さすがに振り払うほど最低な人間ではないので、仕方なくアリナの方を振り向いた。アリナは上目遣いで俺をじっと見る。気恥ずかしさでまともに正面から向き合えず、顔だけアリナとご対面し、身体は明後日の方向に向ける。

 一歩踏み込んで彼女は接近した。制服が触れそうになるくらいの至近距離だ。反射的に俺は後退したが、背後には引き戸。まさに背水の陣である。

 目で鶴に助けを求めたがニッコリ笑うだけで何もしてくれる様子はなかった。きっと心の中で「ざまぁみろ」とほくそ笑んでいることだろう。


「どうして嘘をつくのよ」

「嘘なんかついていない」

「鶴と何を話していたの? 私のことでしょう? 鶴、そうなんでしょ」


 鶴は頷いて傍観を続ける。


「私はあなたのことを嫌ったりなんかしていなかった。否定できる?」

「お前は俺のことが嫌いだったよ」

「私の目を見て言って!」


 顎を掴まれ、強制的にアイコンタクトをさせられる。その強引さが懐かしく感じた。

 やっぱり彼女は毒舌薔薇だ。天使アリナでもない、新しい人格でもない。俺がよく知る日羽アリナだ。彼女はどこまでも気高く、誰からも束縛されない自由の体現者だ。


「……わからない」

「はい?」

「記憶の有無は関係ない。お前が何を考え、何を感じ、俺をどう想っていたかなんてお前にしかわからないことだ」

「ならどうしてあなたはあんなこと言ったのかしら。私があなたのことを大嫌いだと断言したのはなぜ?」


 アリナの為。そう、アリナの今後を考えた結果なのだ。


「放課後を共に過ごした人を嫌いになる?」


 薔薇園にいた頃のことだ。


「文化祭で肩を並べて歩いた人を嫌いになる?」


 臨時風紀委員を務めた時だ。

 

「一緒に水族館に行った人を嫌いになる?」


 真琴と流歌のデートを追跡した時のことだ。


「嫌いな人の自宅に行ったりする?」


 初詣の帰りで家に寄った時のことだ。


「嫌いな人のためにチョコを手作りする?」


 バレンタインデー。彼女が俺を忘れたであろう節目の日だ。


「嫌いな人のために――」

「やめてくれ」


 もうたくさんだった。

 思い出すだけで辛い。彼女が述べたそのすべてはきっとノートから引っ張り出してきた文章だろう。だから結局、彼女にとって小説のようなフィクションなのだ。

 この物語は孤独だ。二人で創り、世界で二人しか知らないその物語はもう俺の頭の中にしか存在しない。回顧して心を色づける人は俺だけだ。言葉にして伝えても俺が虚しさで溢れかえるだけだと彼女は理解しているのだろうか。ただただ俺がひとりぼっちの物語に苦しむだけじゃないか。


「私のため。『アリナのため』って言い聞かせているんでしょ? あなたが私のためにしてくれたように、今回も私のために耐えているんでしょう?」


 呼吸が止まる。

 何もかも見透かされているような、公衆の面前で丸裸にされたような。そんな羞恥心が驚嘆とともに溶け合って俺を黙らせた。


「私はバカじゃないの。記憶喪失、二重人格、虐待の過去。こんな不安定な私を治療するだなんて無謀にもほどがある。私と過ごして来てそれを痛感したはずよ。まるで暗闇の中の迷路だわ。そんな中、私は父の死をキッカケに記憶を取り戻した。あなたのこと、榊木彗という私の大切だった人と引き換えに」


 鶴は「ん? ンンッ!? えっ? えっえっえっ!?」と平仮名量産機になった。淡々と流れた事実に鶴は混乱の極みとなっている。

 アリナは鶴になら明かしていいと判断したのだろう。惜しみなく秘密を口にするのでその決意を俺は汲み取り、アリナの言葉に耳を傾ける。もう無視するわけにはいかなかった。

 

「今の私は、もう一人の私、赤草先生、そしてあなたが描いた日羽アリナに最も近いのかもしれないわね。だからあなたはこう考えた。『下手に搔き乱したら台無しだ』。ただえさえ不安定な私に、自分のことを思い出させようとしたら私はまた人格が入れ替わったり、健忘したり、傷つくんじゃないかって。優しいあなたはそう考えて、私に嘘をついた」


 アリナは俺と鶴の袖を掴んで引っ張り、椅子に座らせた。

 鶴は両手を挙げて「えっ!? はい!?」と未だに平仮名量産機として体内の栄養を音エネルギーに変換し続けている。少し黙りなさいと言いたいところだが鶴の立場だったら俺もあわてふためいて品性に欠ける卑猥な単語を連呼していただろう。

 アリナは仁王立ちになって再び口を開いた。


「二人は私のことを話し合っていたんでしょう? 鶴、どんなこと?」

「えと、その、アリナが彗のことを忘れてるっぽいから彗にそれでいいのかーっと説教していたというか、うん、つまり怒ってました。彗はこのままでいいとか根性無しなこと言って必死に何かを隠して嘘つくし、突然怒鳴るし、つまり、うん、怒ってました」

「そう。なるほどね」

「でもでもっ。今言ったことって、その――」

「事実よ。私、今まで中学三年生以前の記憶が全て無かったの。それに二重人格の解離性同一性障害。原因は元父親の虐待よ」

「えっ――」


 鶴は絶句して俺を見る。眉をひそめて見る見るうちに表情を曇らせる鶴が気の毒で、俺は鶴の緊張を解すためにピースした。が、ビンタされた。


「彗が嘘をついていたのは、私に知られないためだったってこと?」

「そうだ」

「アリナの、その、過去の――いや、身体と心を守る意味合いで関わらないと決めたってこと?」

「アリナのため、と言ったのはそういうことだ。俺を思い出そうすれば絶対に精神的負担になる。それが原因でアリナの身に何か良からぬことが引き起こると思った。事情を話せなくてすまん、鶴」

「そんな……なんでそんな……ぐすっ」


 涙目になり、また泣きだしそうになる鶴を見て俺は「泣くなー! 耐えろー! 干からびるぞー!」と茶化した。もうこれ以上泣いてほしくなかった。


「だってっ! そんな悲しいハッピーエンドなんて、なっ、納得できない! ご、ごめんねぇ~ずい~ゆるじで~! ありなもずいの、ずいっ、のこと避けないであげで~」

「泣くな泣くな。カルピスこぼすなよ。もっと乳酸菌を大切にしろ」

「ガルビズじゃないぃ~」

「お前が言ったんだろうが。ああーもう一生泣いてろ。人類を想うなら砂漠で泣き続けろ」

「人類のみなざんごめんなじゃいぃ~」


 鶴が落ち着くまで待とう。アリナに目で伝えると困ったような笑みを浮かべて「そうね」と呟いた。






「これからどうすればいい」


 泣き疲れている鶴を放っておいてアリナに一言訊いた。

 もう彼女と無関係でいる目論見は崩れ去った。それが正解だったかどうかはこれからわかることだが、目的を失ってしまった。アリナ更生プロジェクトは完遂されたといっても過言ではないだろう。俺を忘却した以上、アリナと関わる理由がない。

 どうすればいい、じゃない。おかしいじゃないか。まだこれからすることがあるような言いぶりだ。幼児の身勝手な願望のようで、自分の矮小さに呆れた。


「プロの帰宅部員」


 アリナは人差し指を立てて得意げにそう言った。


「あなたはそう自称していたようね」

「自称じゃない。事実だ」

「ノートには中々痛々しいことが書かれていたけど本当のようね。あなた、変わっているわ」

「お前もな」

「そう、私も。あなたと同じ変人」


 その不名誉なレッテルを誇示するかのように微笑み、長机を撫でる。その白くて長い指を目で追い、そしてぴたっと机上で止まり、俺を指さす。顔を上げると彼女は微笑んでいた。

 それは俺が見てきた数々のアリナの表情の中で一番麗しく、可愛げがあり、そして世界一完璧な笑顔だった。きっと彼女より魅力のある女性はどこを探してもいない。

 俺にとって彼女はそういう人だと初めて気づいた。おそらく俺が死ぬまで記憶に残り続け、走馬燈がやってきたときにはとても色濃く映ることだろう。その死に際に誰がいるかはわからない。独身貴族を掲げる俺が何を血迷ったことを、と以前の榊木彗なら笑い飛ばしていただろうが俺にも春が来たらしい。

 あわよくば、その死に際に彼女がいればいいなと心に思った。


「私のために帰宅部を辞めなさい」


 帰宅部員にとって宣戦布告の台詞を彼女はまっすぐな瞳で言った。


「あなたを思い出すためにあなたと放課後を過ごすわ。それがあなたの最後の仕事。また、助けてくれる?」


 俺は思わず笑った。帰宅部員に辞めるもクソもないのだ。入部届も退部届もないのだから当然辞める概念がない。言ってしまえば自称することによって成立するステータスなのだ。

 だから自称しなければいい話。しかしながら俺はまだ帰宅部員としての誇りを捨てきれない。全国の帰宅部員たちは仲間が減ることを一番恐れている。彼らを裏切るのは心苦しいことではあるが、アリナの為なら辞めてやろう。毒舌少女のために辞めてやろうじゃないか。


「いいだろう」


 全国の帰宅部員に告ぐ。

 俺は一時的に帰宅部員を辞める。


 しばらくの間、地球は頼んだぞ。

 

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【リメイク版・毒舌少女のために帰宅部辞めました】
わたしの愛した彗星

【書籍化作品】
JKマンガ家の津布楽さんは俺がいないとラブコメが描けない

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