ソーシャル・ウィンドゥ XYZ
掃き掃除が終わり、あとは各々自由に使う放課後となったので俺は荷物をまとめてアリナのクラスへと赴いた。
アリナは貧乏ゆすり中で、小刻みに両足を動かして机をガタガタと揺らしている。まるでアリナだけ震度三の地震に見舞われているかのようだ。
「おーい、行くぞ」
ドアから一声かけるとアリナはばっと目を見開き素早く鞄を肩に下げて立ち上がった。そしてズカズカと俺の元へ早足で来た。随分やる気だなぁと感心したのだが次の言葉でその感心は霧散した。
「早く行きましょう。暖房が壊れてるから耐えられたものじゃないわ」
なるほど。そういうことですか。確かに若干冷えてるなと思ったら暖房の調子が悪かったのか。冷え性持ちのアリナには堪えるものだったのだろう。
彼女はぶるっと身震いしてまた早足で歩き始める。廊下を走っては行けません、と風紀員にギリギリ咎められない程度の速度を守って歩く姿が申し訳ないが面白かった。中身は真面目なのだ。
新聞部のドアをノックして開ける。室内から暖気が廊下へと漏れて、それを浴びたアリナは「ほわぁ……」と謎の擬音を発し、雀のように跳ねて入室した。ご満悦のようで両手を広げて喜びを表現している。
――いや、違うな。これは俺を部室に入れさせないよう自分自身を壁にしているのだ。
『あんたは廊下で十分でしょう? ここからはプラチナ会員以上でないと入れないわ。ドブネズミは排水溝が住処でしょ? しっしっ』
おおよそこんなことを考えていると思う。もっと酷いかもしれない。
アリナが立つ左手側に身体をねじ込む。俺にも貴族の温室を体験させてくれ。ドブネズミだって毛を乾かして光を目に入れたいのだ。あわよくばチーズを噛ませてくれないだろうか。もちろんネズミ捕りとかいう残虐兵器はナシで。アレ、アクマノドウグ。ユルサレナイ。
しかしアリナも負けじと踏ん張る。俺は彼女の左腕を掴む強硬手段に出た。校内に蔓延るアリナファンを敵に回す行為だが既に敵だらけなのでこの際変態と呼ばれてもいい。俺も寒いのだ。早く新聞部部室に入りたい。アリナをどけようと力を込める。だが岩のように動かない。
「榊木彗が日羽アリナに痴漢……スクープが一つ増えたね、部長」
「おい、そこ。メモるな、写真撮るな」
部員の一人がとんでもないことを書き連ね始めたので忠告する。そんな内容が学校で出回ったら俺の高校生活は確実に終焉だ。アリナファンたちが俺を拉致して拷問しかけない。
小競り合いに飽きたのか、彼女は抵抗をやめてパイプ椅子のもとへと近寄る。
「本人談の欄に『すごくこわかった。ゆるせない』って書き添えてくれない?」
「それ教育委員会で相当問題になるからやめて」
落ち着きを取り戻したところで新聞部部長・麻倉斗真が話を始めた。
「今日君たちを呼んだのは手伝ってほしいからだ!」
だろうな。ただ呼んだだけなら校庭のどこかに埋めてやろうと思っていたところだ。
「来月は何があるでしょうか! はい、彗!」
「えっ、俺かよ。えーっと……バレンタイン?」
「は!?」
いや、は!?っていや。当たってるだろ。責めるような表情するなよ。
「確か……榊木彗の命日だったからしら」
「ぼく、死んでませんから」
「惜しいッ!」
惜しくねえよ。ここにはバカしかいないのだろうか。アリナは余計なボケを投入するな。そして斗真も相手にするな。
「現中学三年生の受験日! そういうことだ!」
「そういえば私たちも二月あたりに受験したわね」
そうか、受験日か。
記憶を二年分巻き戻してみよう。第一志望だったこの学校を受験しに来た日を今でも覚えている。
高校はやはり中学校と違って建物が立派で感動した。試験会場では様々な制服でいっぱいだった。自分以外の全員が天才に見えてしまう現象は十分すぎるほど俺にダメージを与えていて、開始する前から「落ちたな」と負け気分に浸っていた。そんな中、自分と同じ制服を着た白奈や友人たちの姿がとても頼りになっていた。白奈と俺以外は全員落ちたけどな。とても気まずかった。
懐かしい記憶に思考を奪われているとアリナに小突かれた。
「あんた聞いてるの? 鼓膜あるの?」
「あるある。すまん、ぼーっとしてた」
斗真が咳ばらいをして言葉をつづけた。
「生徒会は宣伝チャンスだと思い、受験日に向けて当校の概要をまとめた記事を作ってほしいと頼んできた! 人が足りないのに! 新年度に向けてプロジェクトを進めている段階というタイミングに! 何を考えているんだ生徒会!」
斗真の愚痴がヒートアップし始めたところで部員の一人が彼にペンを手渡した。すると斗真はゆっくりと落ち着き始めた。どうやらペンは彼にとって鎮静剤らしい。アリナにもそういったアイテムを与えてやりたいものだ。
「つまり。君たちの手を貸してほしい……前回の経験で君たちにスキルがあることがわかったんだ。頼れるのは彗とアリナさんしかいないんだよ」
「構わないが」
「マジかぁ! ありがとう!」
断る理由もないし、断ったら彼は泣くだろう。
一方、手を組んでお祈りのように感謝する斗真を見てアリナは含み笑いをしている。人の感謝を嘲笑うなんて、この鬼畜外道畜生女と叱ってやろうとしたが、斗真をもう一度見ると彼の社会の窓が全開だったことに気が付いた。
なんてこった――。
彼はいつでも放水準備ができている。ここは指摘するべきだろうか。でもまずいな。女子部員もいることだし恥は彼の名誉に関わる。女子部員に気づかれていなければある程度救いは……あっ、めっちゃチラチラ見てる。めっちゃ瞬きしてる。すっげー凝視してる。斗真くん、ゲームオーバーだ。たぶんこの空間で気づいていないのは君だけだ。
さりげなくでもいいから隣の男子が指摘してくれることを信じて、俺は「まぁまぁ座れよ。協力するって」と社会の窓を死角に追いやった。
うっわ、誰も教える気配ねー……。
斗真。気づけよー。全開だぞー。
「記事は見開き一ページ! 内容は本校の概要! 施設、部活動、校風、カリキュラム等だね。生徒会の挨拶の欄もあるからスペース配分は気を付けて!」
斗真はすぐ立ち上がってホワイトボードに簡単な構図を描き始めた。超全開っすよ斗真さん……。
当然、彼が立ち上がった時はこの場にいる全員がビクついたよね。男子部員は鬼気迫る顔で「立つな」と言いたそうだったが結局口にはしなかった。アリナの含み笑いは限界に達しているようで何とか俺を叩くことで決壊を防いでいる。クックックと悪役のような声を必死に抑えて俺を叩く。二の腕折れそうなんですけど。
例を描き終えた斗真はバンッとホワイトボードを叩いてフィニッシュを決めた。やめろぉ、中腰になるなぁ。ファスナー千切れそうだぞぉ。
「こんな感じ! ちなみに背面は校舎と君たち二人をモデルにした制服写真を貼るぞ!」
「ん? 制服写真って?」
「モデルだ! よく制服のパンフレットとかにある写真みたいに載せる! 生徒会からの要望だ!」
一気に鶴の関与疑惑が浮上した。写真があまり好きじゃない俺には嫌な話だ。当のアリナは笑わないよう表情筋を強張らせることで大変そうだ。
斗真が再び座り、緊迫した空気が一気に緩んだ。ある者は安堵のため息をした。もう指摘できる雰囲気ではなくなってしまった。
その後、部員が過去の記事を例に、俺たちに見せた。以前俺たちが新聞部に協力したときはネタ提供だけであったので実際に活字を書くのは初めてとなる。それもあって部員たちは気を遣って丁寧に説明してくれた。気を遣うところは別にあると思うが、もう手遅れなので真剣にその説明を耳に入れた。
アリナは斗真が立ち上がるかどうか期待しているようで、ときどき斗真をチラ見する。なんて性格の悪い女子高生なのだろう。男子の急所にくぎ付けになるのはどうかと思うがね。
流石に俺とアリナだけで一からは難しいので斗真と三人で作ることになった。他の部員は今月分の新聞や新年度に向けた記事の作成に回るらしい。机をわけて取り掛かることになったのだがやはり斗真は全開だった。俺は心を無にし、文章を考えた。アリナは集中できていないようでペンが全く走っていない。
結局最後まで斗真は全開だった。もはや清々しいくらいだ。みんな見慣れたようで誰も取り乱す様子は見受けられなかった。アリナを除き。
完全下校時刻が近づいてきたので俺らは下校することになった。明日も新聞部に寄る旨を伝え、別れを告げてアリナと廊下に出る。
しばらく廊下を無言で歩いているとアリナが笑いだした。
「ムリムリ! 笑わないほうがおかしいわよ!」
あはははは、と校内に悪魔の笑い声が響き渡った。すまない斗真。雰囲気がもう手遅れだったんだ。すぐに「チャック開いてるぞ」と言っておけばこんなことにはならなかったはずだ。
「勘弁してやれよ。彼の名誉のためにも他言無用にしてあげなさい」
「言わないけれど彼を見るたびに笑っちゃうかもしれないわ。思い出しちゃって」
「お年頃の女子高生がジロジロ見るのもどうかと思いますが」
「うるさいわね。教えてあげないほうが悪いのよ。あんたたち男子が言うべきでしょ」
「変態女子に何を言っても無駄か……もう宇銀には近づかないでくれよ。教育に悪いから」
「番号知ってるから無駄よ」
「非合法な手段を使っただろ。許せん、わが妹の番号を……」
昇降口に着くと生徒会メンバーと出くわしてしまった。鶴や新生徒会長、副会長などだ。こんな時間まで生徒会は何をしているのだろう。何かを生産するわけでもないのに何をお喋りしていると言うのだ。こっちはそちらの書記係の陰謀でモデル役を担うハメになったのだぞ。
「おやおや。お二人がこんな時間までどうしたの?」
「新聞部の手伝いをすることになった」
「ワオ。ビックリだね〜!」
「記事と制服モデルもやることになった」
「ワオ。アリナにぴったりだね〜!」
計算通り、か――。
見た目は掛け算割り算できない系ギャルのニワトリだがやはり頭脳は侮れない。
アリナをモデルに抜擢したのは良い。だが俺を巻き込まないでくれよ。俺以外にも男はたくさんいるだろ。
「やっぱりモデルは高身長でないとね! あっ、口が滑った。あちゃ〜」
「大体犯人はわかってたから『ミスったー』って顔はしなくていいぞ。腹が立ってくる」
「いいじゃん。新入生の人気者になれるよ!」
「在校生の敵を増やすことになりそうなんだがな。ただえさえ要らん嫉妬で敵視されているのに」
「美しいって罪ね」
「アリナくんは静かにしてて。元凶は君だから自覚して」
ともあれ俺の犠牲心の甲斐あってアリナがこうして会話できるレベルまで社交性を底上げすることに成功したのだ。数ヶ月前の暗殺者のような目付きを思い返せばアリナはガラリと変わった。赤草先生、いや、天使アリナからの願いは半分達成したのではなかろうか。後はどこで区切りというか、任務完了を見極めるかだな。
そんな俺の考えを読んだかのようにアリナは俺を睨んだ。
「あんたは私の保護者じゃないわよ」
「心を読むな。たまにミュータント的な能力を発動するのやめたまえ。悪い研究者に見つかるぞ」
「そ」
アリナは鶴と一緒に帰るそうで昇降口で別れた。
生徒会らもそれぞれ別れて校門へと歩いていく。その光景を見て少し寂しくなった。来年の今頃、彼らの姿は無い。三年生は自主登校となっている。当然俺らも来年自宅で勉強なりして、最後の追い上げをしているはずだ。たった一年。たった一年後には無くなるこの下校風景。
俺は昇降口の階段に座り、トマトジュースを開けた。
「どうなるんだろうなぁ……」
卒業後のビジョンが見えない。曖昧な不安が胸を締め付け、寒さとは別に震えた。何に向かって進めばいいのだろう。周りの友人たちはそれぞれ夢を持っていて、目的がある。俺はこうしてトマトジュースを飲んで毎日が過ぎるのを見続けるだけ。何も生まれず、なにも失わない。だから何もない。不安で仕方がなかった。帰宅部だからだろうか。帰宅部じゃなければ何かを得たのだろうか。今となっては全て神のみぞ知る。
誰かに面白い人だねと褒められたことがある。いつも冗談ばかりを言って周りを笑顔にすると褒めてくれた。嬉しくもあったが痛いところをつかれた気分にもなった。何もないから偽りを口にするんだ。俺はそういうやつだ。
缶の中身が半分くらいになって俺は立った。
「え、彗? こんな時間に?」
振り返るとテニスウェア姿の波木白奈がいた。
他には誰もいなかった。




