知らないところへ
待ち合わせの書店で宇銀と待っていると遂に奴らが来た。
二渡鶴。見た目は掛け算割り算できない系ギャルだが不動の学年一位を勝ち誇る成績優秀者。(天才)
日羽アリナ。高校生とは思えぬスタイルと美貌を持つが人を寄せ付けない毒舌っぷりを存分に発揮する孤高の美少女。(問題児)
このクセのある二人がとうとう現れて、これからどんな弄られ方をするのだろうかと身に迫る危機を想像した。宇銀が悪い影響を受けないといいが。
「すごい! すごいよ兄ちゃん!」
宇銀は俺の袖を掴んでブンブン振り回しながらそういった。俺は球体関節人形ではないのだから肘関節を乱暴に扱うのはやめていただきたい。そんなにガチャガチャ動かされたらポロッとイキそうだ。本当に壊れる。
興奮が静まらない妹は、異性の裸でも見たかのように頬を紅潮させ、目を泳がせた。
「あ、あ、あの初めましてェッ! 榊木宇銀でふ!」
「宇銀。みっともないから落ち着け。相手はただの有機生命体だ。お前が好きなブロッコリーと変わらないから安心しろ。マヨネーズかけたら美味そうな顔してるだろ? あとそろそろ袖から手を離してくれ。関節外れる。あ、いま小指折れたぞ。聞こえたよね?」
「で、でもでももも、輝きすぎというか……! こ、ここんなのおかしい! 可愛いは罪ッ! 罪だよー!」
「宇銀くん。日本語が壊れてきてるから少し黙りましょうか」
宇銀の絶賛評価に鶴はご満悦のようでくすくす笑っている。アリナも忍び笑いをして嬉しそうだった。遺伝子的に類似点が多い兄妹関係なのにこの扱いの差は理不尽だ。お前たちが微笑ましく見つめるその少女は「一部、榊木彗」なんだぞ。もっと蔑ろに扱うのが道理ではないのか。
「宇銀ちゃん。初めまして、二渡鶴って言います。よろしくね?」
「にわとり、つるさん?」
「にわたり。二つ渡るって書いて二渡」
「あっ、すみません! 覚えました!」
妹が「ニワトリ」と聞き間違えたことに俺は大笑いした。鶏か鶴かはっきりしろってな! わかるぞ
その気持ち! 腹筋が爆散するくらい面白かった。
「いででででで!」
アリナが笑顔で俺の脇腹をつまんだ。分析するに胡桃を指で破砕する力と同等だ。こいつ、普通の女の子じゃない。
俺の叫喚を無視してアリナは妹に向きあった。
「久しぶりね。妹さん」
「はい! アリナさん本当に綺麗ですね! 兄ちゃんにあまり近づかない方がいいですよ! 汚れます!」
「心配しないで、大丈夫よ。彼と接触した後はいつもアルコール消毒しているから」
イジメだろ、もはや。彗ウイルスだー、ってか。消毒するならやってみろ。俺は天然痘のように簡単には絶滅しないぞ。
「なら安心ですね! アリナさんと鶴さんは初詣の帰りですか?」
「ええ。ついさっき。宇銀ちゃんは?」
「私も兄ちゃんと行ってきました!」
「あら、そう?」
意味ありげな瞳で俺を見るアリナ。
「なんだよ。そんなに見つめられても口からお金は吐き出されないぞ」
「あんた、初詣とか行かなそうだから。意外と日本人らしいことするのね」
「実を言うと宇銀に強制的に連れてかれた。一日中寝腐るつもりだったのに」
「あんた保健の教科書に生活習慣病の悪い例として掲載されてるモデルでしょ」
「ははは。いとをかし、いとをかし」
写真付きで載ってるわけがない。男子高校生、いや男子中学生の頃から我々男子は保健の教科書を熟読しているのだ。そんなものが載っていないことくらい一瞬でわかる。お前のような穢れを知らないお嬢様にはわかりっこないだろうがな。
「それはそうと、この後どこか寄るのか? 正月はどこも混んでるぞ」
「だねー。喫茶店とか寄れればいいんだけど」
「鶴くん。なんで俺たちを呼んだんだね」
「えー、だってアリナが『彗様に会いたい!』って言うからぁー」
「は?」
案の定アリナは俺を睨んだ。違うだろ、隣のギャルを睨むんだよ。なんで俺が悪いんだよ。おい、 宇銀。鶴の言葉を信じるな。嘘に決まってんだろ。顔を赤らめるな。口元を隠して乙女のフリをするな。
「鶴。私そんなこと言ったかしら」
「覚えてにゃい」
「あら残念。ちょっとそこのあんた。耳をちぎりなさい。償いなさい」
「なんで俺が罰を受けるんだよ……」
新年早々物騒すぎる。
話を持ち直し、四人でどこへ行くかまた話し始めた。しばらくちょうどいい店がないか歩きながら探したがやはり正月は人が多い。どこもかしこも人、人、人。鶴とアリナは下駄を履いているのでそろそろ辛かなってきているはずだ。休憩させたいのは山々だがベンチも満席状態。
その時、俺は身も凍る言葉を耳に入れた。
「うーん。じゃあウチに来ませんか?」
そう。天然おバカ宇銀ちゃんの提案だ。俺の中で一瞬、時が停止した。傍を過ぎて行く人々が、人が感覚できる最小単位の時間の中で止まった気がした。
「えっ、いいの?」
よくねえ。
「はい! 近いですし。駅一つ挟むだけです。ウェルカム状態です!」
違います。榊木家は鎖国的です。英単語を使わないでください。というかこいつらが家に上がったら両親がぎっくり腰になってしまう。
悔しいがアリナは本当に美少女だ。そのまばゆい少女を俺が連れて来たという事実が、両親にとって事件になるのだ。きっとこう思うだろう。「どこから誘拐してきた」と。権力的に俺は最底辺に位置するのでそう疑われても不思議ではないのだ。
「ご迷惑にならないなら、甘えちゃおっかな? どうする、アリナ」
「ご両親にご迷惑がかからないのであれば、私は問題ないわ」
大有りだ馬鹿野郎。俺が死ぬほど気まずいわ。彼女らが帰った後を想像すると恐ろしい。親に彼女らとの関係を執拗に訊かれることだろう。いわゆる尋問だ。
それに俺の部屋とか侵入しそうで普通にこれが一番怖い。ヤバいものとか置きっ放しにしてなかったか? 考えるんだ榊木彗! 昼のお雑煮で得たカロリーを全消費しろ! 今朝の自室を思い出せ! いかがわしいものとかを検索しろ!
畜生、何も思い出せない。布団を引き剥がされ、妹に引きずられていく哀れな男の姿しか記憶にない。まるで斬首台に連行される男のようだ。
危険が多すぎるので榊木家訪問は阻止しなければならない。そうだ、来させなければ問題ないじゃないか。始まらなければいいんだ。
「待て。榊木家は危険だ」
「どうして?」
「幽霊が出る。事故物件だ」
「えっ、そうなの!?」
怯む鶴。ちょろいな。
「初耳なんだけど」
「知らないだけだ。黙ってなさい」
宇銀が口出しする。妹が最大の障害物になるのはわかっていた。だが仲間が最大の敵になる展開みたいな少年漫画要素いらないから今はやめてください。
「それとウチは狭い。みんなドラえもんみたいに押し入れで寝てる」
「一軒家じゃん。しかも家族全員ベッドだし個人の部屋あるし」
駄目だ。策は尽きた。
他に地雷原、クラスター爆弾の標的、地盤がゼラチンレベルと恐怖を煽る選択肢は残っているがこいつらは騙されないだろう。せいぜい小学三年生までだ。
「じゃあウチに帰りましょう! 案内します!」
宇銀はスキップで駆け出し、改札口へと向かった。鶴もカランカランと下駄を鳴らしてついていった。
宇銀に敵わないのは遺伝子に刻まれた絶対法則なのだろう。俺は肩を落として、彼女らの後を追った。
歩調を合わせてアリナが傍に寄ってきた。相変わらず姿勢が美しい。
「迷惑なら行かないわ」
「気にしなくていい。手遅れだ」
「真剣なのだけど」
「え?」
アリナはずいっと顔を寄せて、高鳴る下駄を止めた。目がとても綺麗だった。
「本当に迷惑になってしまうのなら私は遠慮させてもらうわ」
「どうしたいきなり。やけに真面目なトーンだな」
「別に。ご両親やあんたに迷惑かけたくないだけよ」
「腐った牛乳でも飲んだか? 常識人に見えるんだが」
「人格者だもの」
「ほー。美人で人格者。そりゃ最高だ」
「ふん」
毅然としてはいるが足取りが重いようだ。
「ほら、向こうであいつらが待ってるぞ」
「本当に……迷惑ならいいのよ……?」
「今更だ。もうあいつら改札の向こう側だぞ」
そう言ったが反応は薄かった。いつもの調子じゃない彼女に何かあったんだと俺は感じ取った。おそらく自宅に行くこととは別件だろう。
こうも遠慮がちになるのは明らかにおかしい。
「ねぇ……二人でどこかへ行ってみない?」
それの意味することは俺にはわからなかった。
時として人の発する言葉たちは、背中に違う意味を隠している。暗喩にもならない小さなサイン。まさにそのサインがアリナの声に吹き込まれていた。
「ごめんだ。後日、誘拐犯として交番に突き出されるのがオチだからな」
あえてボケた。
なぜか怖かった。この感情を例えるなら『告白の予兆』が的確だと思う。
ある異性から放課後にとある場所に来てくれないかとお願いされたとき。
手紙を渡されたとき。
やけに距離が近いとき。
見つめられているとき。
視線を合わせてくれないとき。
その先に訪れる運命は得難い幸福だとわかってても避けてしまう複雑な気持ちに似ている。ガッカリされるのはわかっていてもそうしてしまう不思議な人間の心理が恨めしかった。
「そんなことしないわ」
「またまたご冗談を……えっ?」
一秒に満たない一コマ。身体が鉛になった。
下駄が響いた音で俺は我を取り戻した。アリナが駆け出した。カランと音を立て、ちょっと先を行ったところで翻った。
「な・ん・て・ね。下心が丸見えよ。切腹しなさい」
意地悪な微笑みで彼女はいった。
すぐにくるりとまた背を向け、改札口を通過していった。冗談のつもりだろうが百戦錬磨のジョーカーの俺には聞き苦して見苦しかった。俺でなくとも彼女は強がっていると誰もが気付くだろう。
あの一コマ、アリナは弱々しく眉をひそめて笑っていた。見ていられない作り笑いでとても痛々しい。一瞬ではあったが、俺は彼女が懇願しているとわかった。「助けてほしい」と心の叫びが聞こえた気がした。
もはやお互い遠慮する仲じゃないはずなのに一歩下がってかしこまる彼女を俺は理解できなかった。