すべてはうまくいく
イヴやクリスマスに街に出て恋人と出歩く、というイベントは起こるわけもなく太陽が登って沈むごく普通の日としてそれぞれ終わった。悲しいか? 悲しくないぞ。俺が望んだ世界だ。
俺とは真逆に、宇銀は冷えた気温の中ちょこちょこ外出しているようだ。哀れみ程度にお菓子を買ってきてくれる。俺は有難く頂いてお菓子を消費する機械として日々を過ごしている。
例年通り宇銀の手作りケーキは美味かった。母と宇銀は一緒にケーキ作りをし、俺と父はリビングで各々の飲み物を手にテレビを視聴した。
遺伝子的に俺の口調や性格は誰から受け継いだものなのだろうか。父は寡黙だし、母はおっとりだ。しかしながら俺と宇銀は道化師のごとく喧しい。特に俺だな。宇銀はまだマシではあるが兆候が見え隠れしているので最近心配である。
よし、俺と宇銀は突然変異ということにしよう。
時々あいつがどうしてるかなんて考える。
秋からアリナと行動を共にするようになって彼女を沢山知ったが休日何をしているかはわからん。そもそも他人の休日の過ごし方などどうでもいいのだがアリナの過ごし方はちょっと気になった。やつの趣味である読書だろうか。今どきの女子高生のようにスマホいじりだろうか。真面目に宿題をやっているのだろうか。
アリナのことを考え始めると止まらなくなる。それほど俺の中で彼女の存在が大きく膨らんでいるらしい。バレたらいい玩具にされそうだ。
彼女がどう過ごしているかは明日になればわかる。明日、二十七日は鶴が計画した集まりの日だからだ。焼肉食べ放題の店で決まり、高校生にも優しい値段だったため助かった。
炬燵に入り、雑煮で腹を温める。
(ニートになりたいッ!)
切実に願った。働かなくていいほどの貯蓄があれば可能だろう。流石に親のスネをかじるニートにはならないがやはり労働は避けたい。ある人は労働している時が輝いていると褒める。ふざけんな。お前がどう思うかじゃなくて俺がどう思ってるかだ。なるべく休んで好きなことしたいに決まってるだろ。
「兄ちゃん足ぶつけないで。砕くよ」
「リモコンを下ろせ。落ち着け」
毎年恒例の炬燵の中で繰り広げられる陣地合戦だ。
体躯が一回り大きい俺の両足は宇銀にとって相当邪魔な障害らしく、少し俺が動くと彼女の細い足にぶつかる。悪意があるわけではない。むしろ気を使っている方だ。しかし思いは届かず宇銀の敵対心はますます高まっている。
「足伸ばすの禁止ね」
「胡座をかけってことか?」
「体育座りならいいよ」
「俺が体育座りしたら膝が炬燵から出てしまうんですが」
「足先暖まるからいいじゃん」
「せめて下半身全体を……」
「砕くよ?」
「わかったからリモコン下ろせ。つか砕くって何をだよ」
「頭蓋骨及び頚椎」
「そこは可愛らしく『あたまとくび』って言えよ。怖ーよ」
「うるさいなぁ兄ちゃんは。じゃあ私に接触しないように全力出してね」
休戦協定が締結されたので俺は再び雑煮に手をかけた。年にこの時期にしか食えない雑煮だ。ネジが取れかけている妹と相手をしている場合じゃない。
「友だちと遊びに行かないのか?」
「一応私たち受験生だから。みんな勉強してるよ」
「そうだったな。最後の中学生活だってのになかなか会えないのが残念だよな。受験さえ終われば開放されるが」
「うん。推薦組としては応援することしかできないから言葉にも気をつけないといけないんだよね。下手なこと口走ったらプレッシャーにもなるし悪影響にもなるかもしれないし。だから集まるなんて無理〜」
宇銀はミカンの皮を俺の顔面に投げつけた。戯れたいのだろうか。というか意味ある?
ビダッと顔面に柑橘の香りと共にぶつかったが咄嗟に顔面を皮もろとも手で押さえ、雑煮へのホールインワンは防げた。
「……ま、もう少し待つんだな!」
皮を投げ返す。しかし反射的に宇銀はお盆を盾にガードした。
「それはそうと。兄ちゃん明日脱獄するんだっけ?」
「いや外出だから。囚人じゃないから」
「ごめん、出所だったね」
「いや外出だから。刑期とか最初からないから」
「アリナさんとデートなんでしょ? お化粧するの?」
「デートする仲じゃないから。俺が化粧したら五分に一回は職務質問されるから」
「だよね。やっぱ化粧じゃなくてフォトショップの方がいいよね」
「デジタル化されてないから。正真正銘リアルだから」
雑煮を食べ終えて俺は台所へ食器を洗いに行った。宇銀から逃げるためである。彼女の揶揄を回避することは至難のワザなのだ。逃げるが勝ちである。
そのまま自室へと戻りスマホを開くと真琴からメッセージが届いていた。
『明日待ち合わせして行こうぜ』
流歌と行きなさい、と俺は送った。恋人がいるというのになぜこんな男と行こうと思うのか。理解できん。
暫く放心していると鶴とのやり取りを思い出した。真琴&流歌のデートエリアにラブホを薦めた件だ。まさか本当に行ったんじゃないだろうな? しかしあのアホならマジで信じかねない。流歌の性格なら断れないだろうからますますヤバイ。クッソォ、おじさん殺意湧いてきちゃったぞぉ。
『友だちと一緒に行く約束を先にしてたんだって〜』
それなら仕方がないな。
ついでに本当に行ったのか確かめてみるか。
「クリスマスは流歌と過ごしたのか?」送信。
数十秒後にすぐ返信が来た。
『うん! 大成功かな? 鶴にお礼言っとくよ!』
何が大成功なんだよ。これアウトでしょ。報道規制入るレベルでしょ。
「生物学的にか?」送信。
少し遅れて返信が来た。
『多分?』
あ〜。赤飯だなこりゃ。
適当に「ウェイウェイ」と返信して切り上げた。
次は鶴にメッセージを飛ばした。
「真琴マジで行ったっぽいぞ」
と送った。するとすぐ返信が来た。流石に早すぎるだろ。流行りの人工知能か? それとも今時の女子高生って視界の片隅に情報表示とかされる拡張現実をインストールしたSFに生きてるのか?
『やったね♡』
学年最高峰の脳味噌よ、どうしたんだ。俺の知る二渡鶴は誰よりも冴えていて呂律が回っていて、非の打ち所がない女子高生だぞ。どこへ行っちまったんだ鶴さん。
「流歌の体調が変わりないことを願っておこう」送信。
『え? なんで?」返信。
「いや、ラブホ……」送信。
『うわ、最低。アリナに言っておこ』返信。
「待て、張本人だろ!」送信。
『本当に言うわけないじゃん。プレゼント作戦を提案しただけだよ。最低最低最低最低最低最低最低最低最低最低』返信。
俺はそっと机上にスマホを置いた。
「ふぅ」
立て続けにバイブレーションしているが無視することにした。きっと「最低」の一言を大量に送っているのだろう。
まあ本当に言うわけないよな。そして行くわけもないよな。冷静に考えたらジョークだってわかるよな。
屈辱的で圧倒的な敗北感が俺を襲った。
「ヴァアアアアアアアア!!」
俺は叫んだ。痛みを紛らわすために。
俺は叫んだ。恥を忘却するために。
俺は叫んだ。フランス革命の市民たちのように。
ア! サ・イラ、サ・イラ、サ、イラ!
全てはうまく行く、と叫びながら。
「うるさい」
ノックもせず宇銀はドアを開け、俺の顔面にミカンをクリーンヒットさせた。これがトマトだったら破裂して俺は血塗れになっていただろう。勿体無いから口周りを舐め回してから顔を拭くだろう。
「ヴァアアア!」
ヤケクソだ。とことん叫んでやる。
すると宇銀は俺のクローゼットを開けた。ゆっくり手を伸ばすと次々ハンガーごと服を落とし始めた。
淡々と端から一つ一つ外しては落とし、クローゼットの下は服でもみくちゃとなった。次に本棚に移動してこれもまた一つ一つ指をかけて引き抜いて俺の愛書たちは回転しながら弧を描き、床に落ちていった。
やべえ、宇銀ちゃん怒ってるよ。無表情だけどめっちゃキレてるよ。無許可で宇銀の部屋に入った時の報復で家具全てを逆さまにされた事件の二の舞だよこれ。
俺は土下座を発動した。「ご迷惑おかけしてすみませんでした!」と最大の謝罪の意を込めて。しかし宇銀は感情を失ったように本を引き抜き、次は蛍光灯を外し始めた。
「明日何かお土産買ってくるから許してくれッ!」
この言葉で宇銀はピタリと指を止めた。
「やったあ! 期待してるよ」
微笑みを浮かべ我に返る榊木宇銀JC三年。何事もなかったかのように鼻歌を流しながら部屋を出ていった。
散乱する服と本。外された蛍光灯。
怒鳴ったり暴力に走らないだけマシかもしれないが地味に嫌な仕打ちだ。
「片付けるか……」
明日という日を安心して迎えるために今日は静かに過ごそう。




