そして波木白奈は一歩を踏み出す
元職員室、つまり元薔薇園を白奈は指定した。
元薔薇園へと向かう俺の足取りはとても重く、何度も立ち止まってはUターンした。この不審な動きは白バイ隊員の検挙対象だろう。
(薔薇園を選んだ理由がわからない)
二人きりになれる場所なんていくらでもあるのにあえて薔薇園を選んだのはアリナに関係しているからだと思う。アリナが何かを吹き込んだわけではないとわかっているし、人の恋路に茶々を入れるようなやつではないと知っている。
だから俺とアリナだけの空間だった薔薇園を選んだのは、白奈のアリナに対する挑戦を示唆していると俺は推測した。挑戦とまではいかないかもしれないが俺へのなんらかの意思表示であることには間違いない。自惚れていると指をさされても否定はできない。だがそれ以外思いつかなかった。
久しぶりに売店に立ち寄った。
今日も運動部女子部員たちが戦争をしている。主にパンコーナー。俺が目当てのパンは今、彼女らが作った女体壁の向こう側だ。以前特攻した時に鶴に痴漢扱いされたような覚えがある。確かその時初めて鶴と言葉を交わしたのだった。
そんな回想に浸りながらみるみるうちに減っていくパンたち。まるで内臓を貪るライオンだ。もはやこの一角は肋骨だけになりつつある。
いい加減ジャムおじさんはここに転職してくれないものか。即売会を開いてくれ。
「君、放課後によく見かけるけど、これ欲しい?」
手元に差し出されたパン。俺はなぞるように腕から肩へと視線を移動させ、声の主を見た。うーむ、知らん女子生徒だ。背は平均で、細い手首から細身であることがわかる。明るい栗色のショートボブなので一見、元気溌剌少女かと思わせるが眠たげな半開きの目が判断を狂わせる。笑ったら可愛いだろう。しかし当の本人は心ここに在らずのような感じだ。
「どうもこりゃご親切に。おいくらですかね?」
「七万」
「アッハァ! 天文学的数字ィ!」
首を傾げて多少の反応を示すが口角は一切上がっていない。ダメだ。俺と相性が合わないタイプだ。つまり、ジョークが効果ない。
「その、なぜ俺に? すっげー申し訳ないですがあなたのことを俺は知らないんですよね……何処かでお会いしました?」
「会ってないよ。ただよく見るなーと思っただけ」
「というとあなたもパンを争う戦士の一人……だと?」
「盗人の方かも」
「というと?」
「勝ち取った人がレジに向かった瞬間、奪ってる」
「うお……なんてギルティなパンなんだ……」
俺は丁重にお断りした。本人は「ちゃんとお金は払ってるよ」と明言したが清らかな心を持つ俺は、それが不浄なものへと成り下がっていると認識してしまったので、手を上げて受取拒否をした。
するとずいずいっと蛇のように近づいてきた。距離数十センチの至近距離。君はパーソナルスペースが無いのか?
「ああー。君が彗くんね」
「イエス。榊木彗であります。どうして俺を?」
「奇遇だね」
「何がです?」
「可愛い後輩の想い人と思い掛けず、偶然、ばったり、期せずして遭遇するなんてね」
「???」
可愛い後輩? 誰のことを指してるんだ? というかそろそろ時間がやばい。きっと白奈はもう薔薇園にいる。待たせちゃ悪いと思ったが売店に来たのは立派な矛盾行動である。
「白奈ちゃんだよ。波木白奈ちゃん。君と同学年のはずだけど」
「ッ!?」
「私、三年生だし。彗くん?」
「先輩でしたか……わからんもんですねぇ」
「動揺してるね。これから何があるのかな?」
「これから地球を救いにいくんです。直径500メートルの隕石が数時間後に落下す――」
「はいはい、白奈ちゃんの言う通り変わった人だね。そうかぁ。白奈ちゃん遂に心を決めたんだね」
「ちょっと待ってください。文脈が荒ぶっていて先輩の立ち位置が把握できないのですが……もしや神?」
謎の先輩は大きくあくびを一つもらした。本当に眠そうだ。
「ごめんごめん。眠くてね。まぁいいや。私は梢。鹿沢口梢」
「よろしくお願いします。か、カザワグチ先輩?」
「珍しい名前よね。漢字はググって」
「わかりました。ではこれで――」
俺は自然な流れを作って一歩下がり、その場を去ろうとした。しかし引き止めるようにカザワグチ先輩は会話を止めない。
「君は白奈ちゃんをどうオモってる?」
「どうと言われましても……可愛げのあるやつだと思いますよ」
「それだけ?」
「はい。可愛いやつだと思ってますよ」
「そんなんだ。君は好きな子とかいないの?」
「ちょ、えっ!? いきなり飛躍しますね!?」
「どうなのよん」
「いやあ……いないですよ」
「あ、そっち系? ごめん、無頓着で――」
「女 の 子 大 好 き で す 。 B L を 眺 め る 女 子 の 顔 を し な い で く だ さ い」
「ごめんて。私は理想だと思うけどね」
「だから僕はホモちゃいます」
「白奈ちゃんと彗くんのカップル」
グサッと突き刺さる。
カザワグチ先輩は俺と白奈をくっつけたいのか? 眠たげな表情からは伺えない後輩愛が燃え上がっているようだ。
「わははは。いいかもしれませんなぁ。わははは」
「じゃあ付き合う?」
「カザワグチ先輩。何か白奈から聞いてるんですか?」
「んまあ一通り。ふわあ眠い」
ということは白奈が俺を呼び出したことも少なからず存じ上げているだろうな。
「なら俺は行きますよ。事情は把握しているんでしょう?」
「ふわあ。うん」
「でしたら話は終わりです。用があるんで失礼します」
俺は今度こそ背を向け、足を進めた。
「ねーえ! アリナちゃん好きなーーーーの?」
「ンギャー! いきなりなんですか!!!!」
背後から轟いた衝撃的な言葉に反応せざるを得なかった。
「そうなんでしょー?」
「なんでそうなるんですかッ!」
「私が言った意味を考えてね〜。ふわあ。じゃあね」
カザワグチ先輩はひらひらと片手につまんだパンを揺らしながら消えていった。
「新手の曲者だ……アリナレベルかもしれない……」
俺は小走りで階段を駆け上り、かつてよく行き来していた廊下を進む。その間、俺は何も考えなかった。突如エンカウントした謎の上級生カザワグチ先輩のせいだ。俺の死角で渦巻く人間関係が気になってモヤモヤした。
元職員室。
名前を失った職員室。
俺は手をかけ、ドアを開けた。
たくさんあった花はアリナが取り払い、俺たちがここにいた残滓たる整頓された長机や椅子がここを去ったあの日と同じ配置のまま恒常性を保っていた。
アリナが座っていた位置に白奈がちょこんと肩を強張らせて座っていた。俺を見るなり、目に焦りを浮かべ、ぎこちなく立ち上がった。
「やっ――あ、彗。来てくれたんだ……」
「約束だからな」
切れる会話。ムズムズとこそばゆい心地になる。
「……」
「……」
俺はアリナがいた時のように真正面の席に座った。白奈は浅く俯き、意を決したようにほのかに赤く染まった顔を上げ、
「あのっ……私、彗が……好きです……」




