Where
最後のモデルが出払うと〈集計中〉の看板が掲げられ待機となった。ライトは落ちて室内は薄暗くなり、賑やかだった空気の余韻が心の中で小さく木霊する。
アリナの容態が気がかりだった。
今も人格が入れ替わったままなのか元に戻っているのかわからない。
でもこれが本来のアリナのあるべき姿なのでは、と思う自分がいる。主導権を握っている今こそがアリナたちが望んでいる状態なのだ。俺がいちいち心配するのは野暮なこと。そう自分に言い聞かせて納得させる。
まず赤草先生との当初の約束は「口調・態度を改める」だ。
濁してはいるが基本人格を呼び起こして、主人格を沈めることを示唆している。
それは今達成されている。唯一の問題は持続されず、長くは続かないことだ。
「誰が優勝かな」
亜紀先輩が呟いた。
「そりゃ赤草先生でしょう。圧勝です」
「えぇー。あれただのコスプレじゃん。先生には申し訳ないけど」
言い返せねぇ。確かにあれはただのコスプレだ。
「私はアリナちゃんだと思うなぁ。まず素材がね」
「上位には食い込むでしょうね。赤草先生には負けますけど」
「推しすぎ」
しばらくすると〈集計中〉の看板が下り、再び通路をライトが照らした。
司会者も照らされていよいよ結果発表だ。観客もざわめきだして盛り上がりが息を吹き返そうとしている。
「お待たせしました! 結果が出ましたのでモデルの方は出てきてください!」
司会が元気いっぱいにそう言った。
エントリーしているモデルたちはぞろぞろと仕切りの向こうから出てきて横並びになった。アリナもいたが毒舌アリナではなかった。儚く、脆そうで包みたくなってしまうほどか弱いアリナだ。眉をひそめて落ち着き無く目を動かしている。
もしかしたらまたこれから二日間入れ替わり続けるのか?
俺は不安になった。
理性的な不安ではない。本能的に心の底から不安だったのだ。アリナが、毒舌のアリナが帰ってこないのかもしれないという可能性が。もう二度とあのしかめっ面を拝めないのかもしれない。
初めて胸の内で渦巻く矛盾の存在を自覚した。
「第3位の発表をします! エントリーナンバー9番! 後藤藍陽さん! おめでとうございます!」
3位の入賞者が前に出る。藍色のワンピースがとても似合っていた。入賞した本人は泣いていた。嬉しさと言うより「なんで1位じゃないの!」という悔しさでにじみ出た涙に見えた。結構ガチだ。体育祭で異常に本気を出す男みたいな感じだろうか。
こえーなぁ。
「第2位の発表です! エントリーナンバー13番! 緑川かなかさんです! おめでとうございます!」
なんだと。
あと一人じゃないか。アリナか赤草先生二択だぞ! どうすんだよ!
「アリナちゃんで決定ね」
「早計ですよ先輩。赤草先生がいます」
「最後まで諦めないわねえ……」
どん引きしてる亜紀先輩を無視して再び司会に注目する。司会は俺の目に気づき、若干怖がっていた。しょうがない。赤草先生赤草先生と念じているのだ。異常者と思われても納得できる。ごめんな、司会者さん。
「そ、それでは第1位を発表します」
よし、言え、言え!
緊張で貧乏揺すりが止まらなかった。
「エントリーナンバー……」
19! 19! 19!
「16番!」
は?
一の位の数字を読み間違えてるぞ、司会さん。オーケー、6と9は逆立ちするだけで数字が3つ減ったり増えたりするぐらい単純な形だから間違えてもしょうがない。訂正するなら今だぞ。
いや、待てよ。
6と9。これはアラビア数字だ。もし、漢数字で入賞者の番号が書かれていたら? 六と九。無理だ。
だとしても俺は希望を捨てない。アラビア数字で書いて、6と9を書き間違えたんだ。そのはずだ。
「日羽アリナさんです! おめでとうございます!」
神は死んだ。
アリナはおどおどしながら微笑んだ。苦笑いだが照れてるようである。
「えへへー。ありがとうございます」
ステージは拍手と音楽で華やかに彩られた。
男子たちは普段お目にかかれないアリナの可愛げのある振る舞いに萌えているようで雄叫びをあげている。スマホを構えて撮影している者もいる。まるで歴史のワンシーンを記録することに囚われた戦場カメラマンのように。ピューリッツァー賞間違いなしだ。
「亜紀先輩。一眼レフなんて持ってきていたんですか」
米陸軍狙撃手のように亜紀先輩は一眼レフを構えていた。流石にフラッシュはたいていないがシャッター音がクソでかくてうるせぇ。
「亜紀先輩シャッター音が……」
「シッ! 二度とない時間だよ!」
叱責をいただいたので俺は黙って見守ることにした。そんなに撮って何に使うんだと訊きたいけれどきっと愚問なのだろう。亜紀先輩の世界観と俺の世界観は大幅に違うのだ。
受賞者にはメダルが授与され、記念品らしき物をもらっていた。
遅れて気づいたが教師たちも結構見に来ていた。主に女性陣だ。ちらほらおっさん教師もいる。おっさん教師が撮影していたら俺は110番していたな。ちなみに俺が赤草先生にスマホを向けるのは許される。若気の至りということで許してください。パシャ。
ファッションショーが終わり、観客の我々は去ることになった。
モデルたちが手を振る中、俺は最後にアリナの姿を捉えた。
目が合った。
『あの人は……』
歓声で聞こえなかったが口の動きでわかった。
俺を知っている。彼女は保健室で出会ったことを覚えている。
彼女は俺にどんな話をするだろうか。
「いやあ面白かったですね」
「だねぇー。ありがとね! おかげでいいものが撮れました」
「オークションとかで売らないでくださいよ」
「しないしない。あれ、いつからアリナちゃんは彗くんのものになっちゃったのかな?」
「そういう意味じゃないです。亜紀先輩が犯罪者にならないようアドバイスをしてるんです」
「あはは。あっ、アリナちゃん出てきたよ」
仕切り側の教室のドアからアリナが出てきた。一瞬でわかる。毒舌アリナじゃないと。
彼女はまだ深紅のドレスを着ていた。深紅のマーメイドラインだ。
「アリナちゃん! アーリナちゃーん!」
亜紀先輩はスキップしながら近づいていった。
「あっ、亜紀せんぱい!」
アリナは目を輝かせて両手を広げて亜紀先輩を迎え入れる。二人は人の目を気にせず抱擁した。
俺には微笑ましい光景だった。アリナが人と触れ合うなど想像もできなかったからだ。
在るべき姿。
俺の心にその言葉が浮かぶ。そうあってほしいと願う光景だと心に思う。
けど俺はあの毒舌アリナに対して願っていた。
見る限りだとやはり高校で再会したようだ。亜紀先輩はアリナがいることは知っていたが話しかけていなかったようだ。つまり二重人格であることを知らない。
タイミングが良いというべきか。
俺が恐れていた毒舌アリナと亜紀先輩の接触は避けられた。
「アリナちゃん綺麗だったよ! 私、女だけど見惚れちゃった! ぐへへ」
「先輩、やめてください。恥ずかしいです……」
「ごめんごめん! ほら、彗くんも見てたんだぞぉ! 彗くんもこっち来て!」
俺は気が進まなかった。だって俺は彼女を知らない。姿はよく知るアリナだが今のアリナは未知の塊だ。
まるで記憶喪失になった人と接するような、どうしようもないやりきれない気持ちになる。俺の中に彼女はいるが、彼女の中に俺はいない。綺麗さっぱり他人だ。つまり過去がなかったことになっている。それほど悲しいことはないだろう。俺の記憶はひとりぼっちだ。
どんな顔をすればいいのかわからない。
親しげに話しかけるのもありだが絶対に苦笑いになるし、不自然になる。
他人行儀もおかしい。亜紀先輩が不審がるし、何より俺と今のアリナが気まずい。
立ち尽くす俺を見て亜紀先輩は首をかしげる。
一歩が踏み出せない。
怖かった。
心の片隅に、元のアリナに戻ってくれと必死に叫ぶ俺がいる。
演技であってくれと思うくらいだ。
しかし現実は優しい天使のようなアリナだ。あまりにも残酷だ。
「はやく来てよ、彗」
耳を疑った。
亜紀先輩の声じゃない。日羽アリナの声だ。
アリナが俺の名前を初めて呼んだ。
あなた、あんた、ミルワーム、豚の餌、地溝油、と俺を呼び、絶対に俺の名前には一ミリも触れなかったのに、こうも簡単に。
純粋に嬉しかった。名前を呼ばれるだけでこれだけ嬉しいなんてことは俺の人生になかった。
唯一、毒舌アリナではないことが胸を締めつけた。




