ストーカー少年
てっきりアリナは俺を罵倒し始めたのかと思った。だが冷静に考えて文脈的におかしい。アリナにストーカーをする理由もないし、そんなことしたら殺されるとわかっているからだ。
そしてそのアリナの言葉にいち早く反応したのは背を向けてグラウンドに戻ろうとしている野球部部長の中津日滝だった。彼は固まってこちらをぎこちなく振り返る。
「あなたよ、あなた。名前忘れちゃったけど。もうストーカーとか流石にないわよね?」
日滝は冷や汗を垂らして黙る。もしかしたら普通の汗かも。
「ストーカーさん、野球部の部長になったのね。偉いわ。私じゃなくて球をストーカーしてた方が性に合ってるんだから最初からそうしなさいよ、ストーカー」
「いや、あれは……」
「なに? 違うっていうの?」
「そうだ……」
「私の帰り道を追ってきたり、やたら図書室に出没したり、しまいには家付近まで来たり。ストーカーじゃないなら何なのよ」
俺を含めその場に居合わせた野球部員は野次馬のようにチラチラとこちらを伺っていた。監督は何かを察したらしく「お前らは練習しとけ!」と言い放った。俺、アリナ、日滝以外は散っていった。
「別に好意を向けること自体は悪いことではないわ」
すっげー本心じゃなさそうな口調だ。
「でも人の嫌がることを続けることは悪よ。いくら自分の中で愛の表現と謳っても、それを感じ取るのはあなたではなく、他人よ。最近は無くなったけど、つぎ私を追うようなことがあったら教師たちに話題提供として報告するわ」
何となく中津日滝が日羽アリナをストーキングしていたという関係が読み取れた。みるみるうちに日滝が青ざめて縮こまるのが気の毒だったが悪いことは悪い。
同時にアリナも苦労してんだなと思った。俺はそんな心配ないが、か弱い女子高生がストーカーに狙われてると解ったら不安で仕方がないだろう。アリナがか弱いかは議論の余地がありそうだがそれは別として迷惑であることに変わりはない。
「解った?」
「……ああ」
「そ」
はい決め台詞頂きました、得意の「そ」。
アリナは日滝に背を向け、歩き出した。後悔の念と焦りで顔を曇らせている日滝に「頑張れよ」と俺は声をかけた。そのくらいしか言えなかった。当事者でもない、まして前から知っている仲でもないから。
俺は監督に一礼して、立ち去った。最後に見たのは監督が日滝を連れて何処かに行く一景だった。
アリナに追いつくと彼女からすぐ口を開いた。
「次は?」
「陸上部だ」
「そ」
「いいか、キレるなよ?」
「キレてないわよ」
「お前、ストーキングされてたのか?」
「そうね。つい1ヶ月くらい前は頻繁に。手足縛って川に流してやろうかと思ってたけどそんな力無かったから無視してた。部長になって忙しくなったからかしら。ここ1ヶ月はあまり無かったわ。でもあったにはあったわ」
「執着心が瞬間接着剤並みだ……」
「おおよそ、あんたと私が付き合ってるみたいなクソくだらない噂が立ったから気になって私の周りをまたウロウロしだしたんでしょうけど」
「アリナさん、クソは汚いです」
「うるさいわね。さっさと陸上部行くわよ」
彼女は珍しく、本当に珍しく走った。
俺は彼女が走ってるところなんて見たことがなかった。テニス部の手伝い、体育館でのこと、色々な場面でアリナの傍にいたが彼女はいつもゆっくりしていた。その彼女が結んだ髪を解いて、美しいフォームで駆け出したのだ。揺らめく髪が夕陽で反射して輝いている。俺にはその姿がとても優雅で美しいものとして映った。自由でただ一つの美しさが独善的に世界の一部に居座っている。
そんな彼女に俺は少し憧れた。




