007 第????話 私たちを照らす世界へ
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「寂しかった?」
桜庭千穂という女子大生にそう訊かれた。
「いや。一瞬だったから何も感じなかった」
「知ってる? 人間って絶対寂しがる生き物なんだって。どうしてかわかる?」
「他人がいるからだ。寂しいという感情は孤独から起因する。つまり世界に一人だけで誰にも会わなければ孤独という概念は生じず、必然的に寂しい気持ちにもならない。だがそれは現実的では――」
「ぶぶー。正解は『いつも愛を求めてるからぁ!』でした~。やっぱり変な人だね、彗くんって」
「そうよ。彼ほどの変人は見たことがないわ」
人がわざわざ人間の真理について教えてやろうと久々に恥を忍んで語ったというのに。
なぜかアリナは俺を大学へと呼んだ。
部外者が勝手に門を通過していいのか不安だったので一応訊いたが「恋人を迎えに来たって言えば何とかなるわ」と非常に難易度の高い解決法を提示された。俺がそう言ったところで不審者扱いされて終わるとも言ったが「その時は電話してちょうだい。そいつデリートするから」と今度は身が震えることをおっしゃった。
なので俺は犠牲者を出さぬために勉学に燃える大学生をイメージして伊達めがねをつけて行った。
何食わぬ顔で通れば意外と平気なもので、疑われることはなかった。通り過ぎる大学生たちは、まさか俺が昏睡状態に陥った元銀河系最強の帰宅部だったとは思いもしなかっただろう。
中庭のような開けた広場で待ち合わせだった。俺はアリナから送られてきた画像と照らし合わせながら歩いた。そうして到着するとアリナと見知らぬ女子大生がベンチに座っていた。
「ハロー、全国の美しきお嬢様たち」
「あら、ようやく来たわね――ってその眼鏡何なのよ。あなた視力良い方よね。確か両目1.5で眼球の直径と睫毛の本数は――」
「本人も知らないような生体情報なんで知ってんの? 怖いですよ」
「冗談よ。でも眼鏡バージョンのあなたも好き」
ドキッとくることを不意に言ってくるので心臓に悪い。別に嫌ってわけじゃない。人がいないときは小生も「アリナすこだよ」とちゃんと言っている。ストレートに言いたい気持ちもあるが俺は照れすぎると自爆する体質なので気持ちを抑制しているのだ。これ以上、火災で消防の皆さんにご迷惑はかけられない。
だからあの日の夜、アリナに伝えたあの言葉は奇跡と言えた。アナウンサーになれるレベルですよ。
「あ、君が噂の眠る王子様……」
ボソッと呟いたのはアリナの隣にいた女子大生だった。
何だかアリナの雰囲気に似ていた。毛先をはねさせた髪型、小柄な身体とぱっと見た外見は似ていないように見えるが、その表情が昔のアリナを思い出させる。あの静かに黙り込んだアリナだ。
「紹介するわ。私の友人、桜庭千穂よ」
「よろしくねー、彗くん」
千穂は小さくお辞儀してそう言った。
「どうも。榊木彗だ」
「場所を移しましょうか。食堂にでも行きましょう」
「食堂って、俺が利用しても大丈夫なのか?」
「えぇ」
「ならいいが」
という経緯で食堂に来た。
そして千穂から「寂しかった?」と質問されたのだ。どうやら俺の過去はアリナから聞いていたようで、以前から直接本人に会ってどんな人物か知りたかったらしい。質問攻めの嵐だった。
「――だいたい彗のことわかったよ。結論。変人だね!」
「よくわかってるじゃないか」
「でも誠実そうでよかったよ。アリナを落とした人がクズでチャラチャラしたやつだったら殺してたかも」
「お母様、お父様。僕を人格者に育ててくれてありがとう。今日は生き延びられそうです」
ほのぼのとした食堂内が危うく殺害現場になりかけた。やはり千穂はアリナに少し似ている。
食事しながらふと疑問に思った。なぜ俺はここにいるんだ。用件の一つも聞いていないじゃないか。
「それで。なんで俺を呼んだんだ?」
パスタをくるくる巻いているアリナに問いかける。
「鈍感キャラはやめなさい。嫌われるわよ」
「いやマジでわからないんだが」
「でも鈍感だからこそヒロインが引き立つのよね。振り向いてもらおうと必死な姿は可愛いものね」
「大丈夫だ。アリナのプリティゲージは常にMAXだ」
「やだもう……ポッ」
このやりとりを見て千穂はニヤニヤしていた。嗚呼、恥ずかしい。でもこうでもしないとアリナさんは機嫌を損ねてしまうのだ。
「千穂に紹介するためよ。それだけ」
「そういうことか。偶然居合わせたわけではないんだな。でもなんで俺なんかを?」
「高校時代、あなたが私を助けようとしてくれた努力がちゃんと実を結んだってことを伝えたかったの。あなたのおかげでたくさんの人と知り合ったわ。千穂はとても大事な友人だから紹介したくて……」
声のトーンが下がっていき、仕舞いには照れてパスタをまた食べ始めた。
そうか。当たり前のように見えるアリナと千穂の光景は、アリナにとって普遍ではなかったのだ。いつも不満そうに孤独に咲いていたあの毒舌薔薇が懐かしくなった。
「本当はもっと早めに紹介したかったのよ? でも……その……」
「純情キャラやめなさい。あざといぞ」
「雰囲気を台無しにしないで。あんたのことだから千穂のことを好きになると思ったのよ」
「ほえ? なんだそれ」
「だって……もう別にいいでしょ。私とあなたの気持ちがわかるまでは、って決めていたのよ。これは私の弱さ。許してちょうだい」
隣の千穂さんが「えぇっ!?」と反応した。
「人のカレシを奪おうだなんて考えないよ、私」
「まだそういう関係じゃなかったから怖かったの。相手が相手だから慎重に包囲して攻め落とそうと考えていたのよ。千穂は気にしなくていいわ」
軽く侮辱されているようだが。
「千穂くん。気にしなくていいんだ。お隣のお嬢さんは嫉妬深いからね。妹の話をするだけで『他の女の話しないで』と言うくらいヤバイんだ」
「アリナこわっ」
「怖くないわよ。私、愛する彼女に酷いことを言う人には特別な躾が必要だと思うの」
「わぁぼくこわいなぁ」
食事を終えると次は大学から出て街に行くことになった。どうやら午前中で大学は終わっているらしく午後はフリーらしい。高認のために勉強中の身でもあるのに俺の女王様は問答無用だった。
三人で歩いているとゲームセンターが目に入った。
「あっ、プリクラ撮ろうよ!」
「いいわね」
プリクラってあれか、あのやべぇ撮影機のヤツか。俺は写真が苦手なので逃避することを決めた。
「よし、二人で行ってこい。俺は外で見張りしてる」
「えー、せっかく友達になったんだから記念に撮ろうよー」
「ダメだ。君たちの幸せを壊そうとするヤツが現れたときに誰が対処するんだ。俺しかいないだろう?」
「ねぇアリナ。彗くんっていつもこんな感じなの?」
「えぇ。でも今回はしょうがないわね」
アリナは俺を気遣ってくれたようで千穂を連れていってくれた。流石にピンク一色で女子高生だらけの空間に突入する勇気はない。あんなの冤罪の宝庫だろ。あそこで空気吸っただけで逮捕必至だろ。
待っている間、俺は考え事をしていた。
これから俺とアリナはどうなっていくのだろう。
来年度末でアリナは大学を卒業して就職する。俺は高認に合格した後、どうなるのだろうか。こんな状況で俺はアリナを幸せにできるのだろうか。一つ心配し始めれば底無しに気分がずぶずぶと沈んでいく。
アリナのパートナーとして相応しくなるには、と最近は悩んでいる。そもそも相応しいとは何なのかよくわからない。地位、学歴、財力、信用、知能、容姿、人格と挙げるときりが無い。俺はどこまで彼女の基準を満たせているのだろう。
「どうしたの?」
気付かぬうちに千穂が隣にいた。
「千穂か。アリナは?」
「おトイレ」
「そうか。撮ってきたのか?」
「うん! ほら見てー」
「ゥワオ! 美術館に展示できますYO!」
機械の力によって可愛さマシマシになった二人を見てつくづく俺も行かなくてよかったと安堵した。可愛くなった榊木彗は人の心臓を止めてしまう。可愛すぎて死ぬのだ。人の命を救ったと言っても過言ではない。
「いつプロポーズするの?」
「え? はい? 今の何語?」
「日本語だけど」
「すまん、イルカの超音波しか理解できない思考に切り替えてたんだ。もう一回言ってくれ」
「いつプロポーズするの?」
「あへぇ~意味がわからない」
なぜそんなことを言うのだ。そのカタカナ英語はかなり敏感な話題だと思うがお構いなしのようだった。アリナの前では絶対禁句だ。
俺は馬鹿になることにした。トマトが一つ、トマトが二つ、と口ずさみながら目を閉じて思考を放棄した。本来ならば全裸になって駆け巡る行為が、もっとも人が会話を試みる意欲を無くさせる方法なのだが今回は穏便に馬鹿になることにした。
しかしスルースキルの高い千穂はそのまま続けた。
「アリナってね、結構寂しがり屋なの。彗が眠ってる間、いつも遠い目をしてて儚げだった。彗の話を私にするときは少し微笑んだりしたけれどやっぱり寂しそうだったよ」
「……知らないところで俺の話をされていたとは。なんか変な気分だ」
「彗も寂しそうに見えたんだ。というか不安なのかな? いまもすごく思い詰めているように見えたよ」
「図星です。俺の境遇になればわかるさ。不安しかない」
「大丈夫だよ。傍にいて声を聞けるだけで幸せだから」
「だといいんだが……」
「ステータスとか気にしてもしょうがないよ? もちろんお金とか顔とかで決める人もいるけどアリナは違うから。じゃあさ、アリナが何かで失敗して社会的に落ちていったら彗は見捨てるの?」
「見捨てない」
「うん、それでいい。いまアリナはすごく幸せなんだからね? 傍にいて声を聞けるだけで幸せって私は言ったけどアリナにはそれすら叶わぬ夢だったんだよ。自分の人生が狂うかもしれないのに、目覚めるかわからないのに。それでもずっと待てるくらい彗を想ってる。アリナは君のステータスはどうでもいいの。ただただ『榊木彗』だけを見てるんだから自信もって!」
千穂にとってアリナは本当に大切な友人なのだろう。じゃなかったらここまで真剣に話してはくれない。
確かにアリナが俺に中々会わせなかった理由がわかる。この子、良い子すぎ。アリナと出会っていなかったらどうなっていたかわからない。
しかしそんな世界は存在しなかった。アリナ以外あり得ないのだ。
「あら、あらあらあら」
おトイレを済ましたアリナが目を大きく見開き、早足で近づいてきた。
「あらあら、やっぱりあなた、あらあら」
「語彙力低下してますよ」
「アリナ嫉妬深すぎ~」
ホントその通りですよ、千穂さん。
もういっそのこと共依存になったらいいのではなかろうか。そうなったときは世界中の異性にさよならしなくてはならない。さようなら、宇銀。いつまでも最高の妹でいてくれ。
アリナと千穂と歩き回った後、千穂はアルバイトがあるからということで解散になった。ちなみに居酒屋でバイトしているらしい。連絡先を訊いてくる大学生とおっさんはこの世から消えろ、と愚痴っていた。働くって大変だなぁと他人事のように思った。俺もいずれ社会人になるのに。
アリナもアパートに帰るとのことで途中まで一緒に帰ることになった。こうして自然と恋人繋ぎをしているがまさかこんな関係になるなんて高校時代の俺は想像すらしなかった。もしタイムスリップして昔の俺に一声かけられるならこう言おう。
『お前、よくやったよ』
加えて『くじけるなよ』とも伝えよう。お前は好きな人の悲しい過去を知り、好きな人に忘れられ、やがて生死を彷徨うことになる。しかし、どうか諦めないでくれ。強い意志と信念だけは捨てないでくれ。
「アリナ」
「うん?」
「頑張るよ。アリナのために努力する」
割と真剣に伝えたつもりだったが彼女はふふっと微笑んで優しく肩を押してきた。
「ダメよ」
「えっ」
「私のために頑張ったらあなたは私の望む人になっちゃうわ」
「何か違うのか……?」
「私は榊木彗がいいの。『私のために生きる榊木彗』じゃなくて『私と生きる榊木彗』でいいのよ。私は承認欲求が嫌いなの。他人が望む人物像になろうとしちゃダメ。責任なんて取ってくれないわよ?」
「固いなぁ。好きだからこそ尽くしたいんじゃないか、人って」
「えっ、ちょっと待ってもう一回言いなさい」
「……? 好きだからこそ尽くしたいんじゃないか……?」
「あぁ……むりぃ……」
アリナは紅潮した頬を見せまいとスキップして誤魔化した。振り返った彼女はとても純粋な微笑みを浮かべていた。やっぱりその表情が一番好きだ。彼女の笑顔を見るために戻ってきたんだとさえ思える。きっとそうに違いない。病気を冗談で済ましたのではなく、愛のために病気を克服したのだ。
独身貴族と謳っていたやつが何を言っているんだと昔の俺ならあざ笑っていただろう。しかし大人になってわかった。
愛することも悪くない。
時間の流れは加速する。
体感時間はますます早くなっていく。小学生の一年と二十代の一年が同じ長さには思えないくらい、肉体と精神の成長は俺たちにほどよい錯覚を与える。
多分、恒常性の問題だ。
身長も体重も知識も全部が急激に変化する過程にある十代はすべてが濃い。刺激的で新鮮な毎日だ。しかし成長することをやめた俺たちにはこれから同じような年を何度も死ぬまで繰りかえす。時間に慣れるのだ。
この一定に進む秒針は、何かを感じているのだろうか。今日は時間が遅いな、とか早いなとか。そんな人間味のある時計があったら是非お願いしたいことがある。止まるときは彼女と一緒にしてほしい。
「いまのあなた、あの時みたい」
「いつ?」
「あなたの親友を水族館で追ったときよ。あの日、あなたはタキシードで来たじゃない?」
「そういえばそうだったな。そういう君は文化祭のときみたいだ」
「ファッションショーね。緊張したのを覚えてる。まだ実家にあるからいつか披露するわ」
「素敵な赤のマーメイドラインだった。そしていまは純白のドレス。本当に綺麗だ」
「泣きそうになっちゃうじゃない。まだ始まってもいないのに」
「――行こうか」
「行きましょう」
新たな時間が動き始める。二人が作った時間だ。
とてもゆっくりと流れる時間の中でその瞬間を待っているのだろう。浮かぶ世界で何を想い、何を望み、何を見ているのか。言葉を交える日を楽しみにしている。
今できることと言えば彼女を気遣うことだけ。自分の無力さと不甲斐なさが腹立たしい。一番大変な思いをしているのは彼女なのに。
「私、この子のために物語を書こうと思うの。私たちの物語よ」
「いいね。きっといつか読んでくれる」
「あなたも書くのよ」
「俺も?」
「当たり前じゃない。『私たち』の物語よ?」
ノックは突然やってきた。
俺たちに会うためのノックだ。
俺はひたすら励まし祈った。奪うくらいなら俺の命を奪ってくれ、と。彼女の声がこわくて俺は泣きそうだった。また引き離される気がして頭がおかしくなりそうだった。
「泣きすぎよ。この子も泣いちゃうでしょ?」
「よかった……本当によかった……」
「ほら、名前を呼んであげて?」
観測されなければ存在しない。時間もまたそうだ。俺は眠っていたときの時間を感覚していない。俺にとっては存在しなかった。
物語もそうだ。感じてもらわないと意味がない。何かを伝えるために存在しているのだから。
「パパって変な人だったんだね」
「今でもだ」
「それ誇るところ? あと下着! いっしょに入れないでよ~」
「寂しく台所で洗うとしよう」
「台所が汚れるからヤメテ」
「へい」
人は二度、へその緒を切られる。
一度目は地に足をつけるため。
二度目は一人で空を飛ぶためだ。
独り立ちした娘に俺は時計をプレゼントした。妻から貰った大切な時計だった。どんなお守りよりも娘を守ってくれるはずだ。だから手渡した。
「たまに帰ってくるね。そんときは連絡する〜」
「いつでも帰ってこい。あと雑誌に載ったら全部言ってくれ。買い占める」
「え〜。ファッション誌の前でうろちょろしてるパパは想像したくないなぁ〜」
「お母さんが買うから大丈夫よ。お父さんは家でお留守番」
「ママなら安心!」
悔いはなかった。幸せだった。
もう見えないが感じることはできた。ずっと握ってきた手だから。みずみずしさはもうないが今も昔もぬくもりだけは変わらない。
もう秒針の音もよく聞こえない。でも幸福に満たされた時間が流れているのはちゃんとわかっていた。
「ありがとう」
「こちらこそ」
また、会いましょう――。
彼女の声が聞こえた気がした。
勿論、会いに行くと答えた。そして静かに宇宙へ旅立った。
あの夕暮れに君がいることを願っている。




