円環するプロ意識
部活対抗リレーは二回に分けられている。
出場チームが多いことによる処置で、俺たち帰宅部は一回目に割り振られた。
帰宅部、柔道部、サッカー部、コンピュータ部、バドミントン部、アメフト部、バレー部、バスケ部と随分とカタカナの多い部活が揃った。正直言うと、陸上部がいなくて助かった。栄治が六人とか反則だろ。
残念ながら二回目組との勝負はないのでこの八チームの中で一位を決めることになる。
「ねぇねぇほら映って映って!」
凛音が自撮り棒を振り回して俺と栄治にそういった。まさお、鷹蔵、アリナの三人は偶数組で反対側にいるためこの場にはいない。
「お前それ持って走るのか?」
「うん。私自撮り棒だーいすき。ほらほら映って!」
彼女もSNSに画像をアップして優越感に身を震わせるタイプなのだろう。素敵なご飯、素敵な景色、素敵なパートナーを撮ってネットの海に解き放つわけだ。(彼女に素敵なパートナーはいないが)
そういうお洒落に疎い俺がそのサービスを利用し始めてもきっと誰もフォローしてくれないだろう。俺はトマトの栽培記録しか載せないからだ。
「みんなでまた撮ろうねー!」
撮影し終えたときにふとアリナが気の毒だなぁと思った。覚醒中のまさおと鷹蔵と一緒なので気まずいだろう。一体どんな会話をするのだろう。多分無言だな。
始まる前に一度声をかけに言ってやろうかと思ったがもう時間はなかった。
いよいよ戦いの火蓋が切られようしている。普段活動を共にしない俺たちが今、一列に並んだ。
我が第一走者のプロゲーマー・エイジは内側から二番目だ。彼は手にマウスを持っていた。「このマウスで日本一を取ったことがある」と彼は誇らしげにいっていた。元陸上部の彼ならやってくれるだろう。
気になったのはコンピュータ部だ。背中にデスクトップパソコンを背負っている。既に膝に手をついて疲労をあらわにしている。これは所謂ネタ枠だ。会場を笑いに包むための演出で必ずどこかがやる。俺たち帰宅部もそのネタを逆手にとって勝つつもりだ。
ほかの部は全員運動部なのでそれぞれ道着やユニフォームを着ている。観客全員が帰宅部とコンピュータ部はネタだと思っているだろう。しかし誰よりも俺たちはガチなのである。
『位置について』
審判の声がマイクを通してグラウンドに響いた。同時にプロゲーマー・エイジはマウスを俺に投げた。え、持って走らないのかよ。だが彼の顔はかつてないほどマジだった。黒縁メガネをくいっと上げ、息をゆっくり吐く。小さくジャンプして調子を整える。
FPS症候群の彼はどこへいってしまったのだろうか。常に銃を構える格好で歩き、曲がり角は顔を一瞬出してクリアリングしてから前進していた彼が、身体を微動だにせずスタートを待っている。
「どうしちゃったの栄治……」
凛音が心配そうに傍で呟いた。いや、あれが人間のあるべき姿だからね。やっと人間に戻れたんだからね。
彼は言っていた。
『俺が最初にぶっちぎる。現役の陸上には劣るけど素人にはまだ負けない』
手榴弾のピンを抜く動作をしながら彼はそう明言していた。かなりのどや顔だったので相当自信があるのだろう。
『よーい』
審判がスターターピストルを真上に上げた。
静寂。
パンッ、と乾いた発砲音とともに選手たちが一斉に走り出した。
栄治のスタートは完璧だった。まるで発砲のタイミングがわかっていたかのように音とほぼ同時に駆けた。制服というアドバンテージゼロの服装とは思えぬ走りで栄治は駆け抜け、先頭を維持したままコーナーに差し掛かった。その背後にサッカー部とバスケ部が張り付き、追い抜こうと躍起になっている。
コーナーの観客が霞むほど砂煙が立ち上る。地を蹴る音がこっちに聞こえてくるほど全力だ。
「おらぁあああ! もっと走れや!!!」
ハートブレイク・リオンが自撮り棒を振り回しながらおっさんボイスで声を荒げる。だからモテないんじゃないのか?
コンピュータ部といえばぶっちぎりの最下位でジョギング並みの速度で頑張っている。まだコーナーにも入っていないようだった。
トップを維持したまま最後の直線に出た。サッカー部との距離は2メートルほどだ。それでも距離を詰められぬよう栄治は機関車みたいに足を回す。
先頭を勝ち抜き、助走ゾーンへと迫る。観客たちの視線は彼を追い、助走ゾーンでバトンパスを待っている人物へと集中する。そしてどよめきが起こった。
バーサーカー・マサオ。
レーンの幅では収まりきらない肩幅を持つ彼は他選手にとって脅威でしかなかった。さらにマンゴーで覚醒した彼は般若のような恐ろしい表情で他選手を睨む。両腕にはぶっとい血管が浮き出ており、制服は今にもはち切れそうだった。つくづく敵じゃなくてよかったと思う。
バーサーカー・マサオは駆けた。助走ゾーンで加速し、牛の太もものような左腕を後方に回した。栄治は必死に歯を食いしばって全力で走る。練習時より格段にまさおのスピードが向上しているためギリギリでバトンパスができないでいるのだ。
「まさお! 人間に戻れバカー!!!! うち死んじゃうからー!!!」
凛音は悲痛に叫ぶ。そう、まさおからバトンを受け取るのは凛音なのだ。
そしてテイクオーバーゾーンぎりぎりのところでようやくバトンパスに成功した。全力を出し切った栄治はレーンから外れるとぶっ倒れて大の字になった。お疲れさん。彼は息絶え絶えながら右腕を高く上げてサムズアップした。『やってやったぜ』と。
「うわぁぁぁああああああ!!!!」
まさおは叫ぶ。まさおは装甲車のように走る。背後をぴったりとつけるサッカー部員は我々の狙い通り追い抜けないでいた。半狂乱のまさおは人間兵器でしかない。接触は命取りだ。
『僕、小心者なんです……』
そう嘆いていた彼がまるで嘘のようだった。
彼が踏みしめた土は抉れて宙に舞った。迫撃砲が着弾したかのように地面は踊り狂った。エプロンがめくれ上がり、顔を覆われても彼は走った。
そして彼は何ゆえに叫ぶのか。心の中で何と戦っているのか。それは彼にしかわからない。
コーナーが終わる切れ目付近でサッカー部が一気に詰めた。さすが毎日走っているだけのことはある。直線コースに入るともう僅差だった。
一方そのころレーンに入った凛音は騒いでいた。
「あんた! なんであのとき私のこと振ったの!? マヂで許せないんだけど!? えェッ!? なんだって!? 好きな子がいたからァア!? ハァァアア!?」
あれは作戦である。自分のことを地雷女子だと自覚している彼女は『告白したことのある男子がいたら即席で修羅場を作る』と以前から誇らしげに言っていた。簡単に言えば動揺させることを目的としているわけだ。しかもちょうどよくサッカー部員がその対象だった。
「なにぃッ!? 私のこと、もてあそんでたっていうの!? あんなこともしてェ!? ハァァァアアアアアアアアアア!? まぢで〇〇〇(※放送できません)ぶったぎるよ!?」
完全なるはったりだが結構効いているようである。気の毒としか言いようがないがこれも我々の勝利のためだ。つくづく凛音の敵じゃなくてよかったと思う。
修羅場真っ最中だが凛音は弁解するサッカー部を無視して駆けだした。そして重戦車がやってきた。
「むり~!!! こわい~!!」
自撮り棒で自分を撮りながら彼女はバーサーカー・マサオから逃げる。血眼でまさおはバトンを突き出し、逃げる凛音を追いかける。構図的にバッファローに襲われる人間だった。
心配だったが彼女はテイクオーバーゾーンに迫っていることに気づくと咄嗟に自撮り棒をぶん投げてバトンを受け取った。
「まかせなさい!」
そう言って元チア部の清純少女は走った。
まさおは力尽きて四つん這いのまま停止した。完全に燃料切れで呼吸するのがやっとのようである。
「よかったぞ、まさお。圧倒的だった」
「ぞぉぉぉおおーーーーぞぉー、あ、ありがっ、ぞぶッ、ありがとう、ごっぶぶぶッ! ご、ごございます――」
かなり変わった呼吸音をしながら彼はそういった。人はリミッターを外すとあのような音を出せるようになるらしい。




