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風の吹く公園

作者: 水形玲

某臨海公園を舞台にしてみました。

 苦しまずに死ねる方法があったら、どんなにかいいだろうに。

 実際には、睡眠薬自殺を図っても、大量に飲んだ睡眠薬は胃洗浄で流されてしまう。

 僕は臨海公園の海岸にいた。潮風。打ちつける波の音。ただひたすら、恋人のできるのを待っていた。三十五歳になるまで、ただの一つも恋などありはしなかった。しかし、そんなことを言う暇があったら、仕事の一つもすればいいのである。もしかしたら恋人ができなかったのは、仕事をしていないせいでお子様に見られたせいかもしれない。いや、待てよ? よく考えてみれば、僕には高校入学の頃から恋人がいなかった。学生時代にも恋人ができなかったことの説明がつかないではないか。

 まあいい。ワインでも飲もう。そう思ってリュックから取り出したのは、二百九十八円で売られていた赤ワインだった。庶民には嬉しい安価なワインだ。

 僕はワインのフタを開け、ラッパ飲みした。少しづつ血管に入っていくワイン。命の酒。酒は二十代の頃、僕の悩みを忘れさせてくれる必須アイテムだった。

 少しづつ、酒が回る。救われていく気持ちになる。こんな人生でも生きよう、と思えた。

 その時、彼女はやって来た。河口を挟んだ西の向こうの工場群と夕日を背にして。ドレスを着て、両手に白い手袋をしている。肩にはバッグがかかっている。

 近づいてきた彼女はこう言った。

「あの、初めまして。お一人ですか」

「はい」

 私は答えた。

「隣に座っていいですか」

「どうぞ」

 美人だった。少なくとも僕の顔よりは美しい。

「私はマリア・ルブランっていいます。あなたのお名前は」

「川村典宏です」

「よろしく」

「よろしく」

 マリアは僕の持っているワインに目を留めた。

「それ、私にもくれませんか」

「いいですよ。でも、間接キスになってしまうね」

「いいから」

 マリアは笑った。

 僕がワインのビンを渡すと、マリアもラッパ飲みをした。

「ああ、おいしい!」

 マリアは実においしそうにそう言うのだった。

「私、あなたが気に入りました。お近づきのしるしにこれをあげます」

 マリアは財布から緑色に光るコインを取り出し、典宏に渡した。

「緑色の金属なんて珍しいね」

 典宏は言った。

「私、遠くの青い恒星のそばの惑星に住んでるんですよ。その星では珍しくないんですよ」

 マリアは答えた。

 日が沈もうとしている。

「私、おばあちゃんに言われたんです。地球に行けば運命の人に出会えるって。だから地球に来たんです」

「そうなんだ。君みたいなきれいな人とだったら僕は喜んで結婚するよ」

「ありがとう!」

 マリアは涙を流して僕の手を取った。マリアにはマリアなりに今までの人生の苦労があったのかもしれない。

「何歳? 私、三十五歳」

「同い年だね」

「処女です」

「本当? 僕はずっと恋の相手は処女じゃなきゃ、って思ってたんです。僕も童貞ですよ」

「よかった。おばあちゃんも言ってた。運命の人は童貞だって。うちの星では童貞や処女を尊重するの」

「そうなんだ」

「あのね、泊まる所、ホテル、ちょっと気後れするの。おうちへ泊めてもらえる?」

「いいよ。何があっても保障はしないからね」

「うん。運命の人だもの」

 日が沈んだ。あたりは暗くなった。気のせいか、波が岸に打ちつける音も、夜の音のようになっていた。

「じゃあバスに乗ろう」

 僕は立ち上がり、マリアを連れてバス停まで歩いた。

 マリアの体が量感を持って私の心に迫ってきた。

 やってきたバスに僕たちは乗り込んだ。


 自分のアパートの最寄りのバス停で降りて、僕たちはスーパーに入った。

「シチューを作ろう」

 そう言った時も、僕は「存在することの痛み」を感じていた。僕はそれを言葉にして伝えた。僕は苦しいのだと。さっき「何があっても保障はしないからね」と言ったのをもう忘れて。

「そう。つらいね。私にはわからないけど、がんばろう。自分の部屋まで歩いて行ける?」

「うん。何とか」

「よし! がんばろう」

 僕たちはシチューミックスと鶏肉、セロリ、舞茸を買って帰った。

「痛い……心が痛いよ」

 僕はアパートの階段を上がった所にある自分の部屋の扉の前でそう言った。

「大丈夫? 私、心が痛いときに初体験を強制したりしないから」

「ありがとう。わかってくれてありがとう」

 僕はそう言って扉の鍵を開けた。

 部屋に入ると、マリアはあたりを見回した。

「いい部屋だね」

「うん」

「ねえ、多分そうだろうと思うんだけど、川村さんの心が痛いのって、うちの星で『青の病』って呼ばれてるものだと思う」

「それって治るの」

「治る人と治らない人がいるらしいよ」

「どんな病気」

「徐々に、徐々に世間から忘れ去られていくの。もう誰も覚えてくれている人がいないってくらいになると発病して、心が痛む病気なの」

「治し方は」

「これといって打つ手はなくって、治る人は偶然に治るって言われてる」

「そっか。治りたいな……」

「治ることを祈ってる」

「ありがとう」

「私が夕飯作ろうか」

「本当? そうしてくれると助かる」

「テレビでも見て休んでて」

「うん」

 僕はエプロンをしたマリアに母親の風格に似たものを感じ、安心した。


 青白い太陽のもとでの結婚式が行われた一週間後、僕と僕の母、そしてマリアの一家はその風の吹く公園に集っていた。何もかもが、すべて静かに落ち着き、苦しみ悩むことのない人生になっていくのを僕は感じた。

 マリアは次のように言った。

「あなたみたいな人と結婚できて、私は幸せ。でも親戚に病気の人がいることも忘れないであげてね」

(終)

お読みくださりありがとうございました。

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