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9.お兄ちゃん vs 魔王様

 



 退院が週末であったことが幸いした。

 日中を少年の部屋の掃除に当て、綺麗になったところでようやく腰を落ち着けることができた。


「エクセレント」


 理路整然と並んだフィギュア、そして漫画と薄い本の数々。

 何故か本棚には教科書や参考書、辞典といった類の書物はおろか、文芸誌の一冊も見当たらない。

 痛んだ雑誌、空き箱の山々等、ゴミは問答無用で処分してやった。もちろん分別済だ。

 壁紙が見えないほどに張り巡らされたポスターやタペストリーども。そして、とっくに年号の切れたキャラクターもののカレンダー。こいつらも燃やしてやりたいところではあったが、一応は別人の所有物。今回は勘弁してやろう。剥がした裏から秘密の園が出てきても対応に困る。


「だが、一部は買い替えが必要か……」


 痛んだ絨毯とカーテン、布団シーツなども引っぺがしてゴミに出してやった。

 男染みのついた床具など使う気にもならないしな。カーテンも日が当たり過ぎてボロボロ、洗っただけ劣化が進むだろう。

 少しでも広く見せるため、ブラインドでも購入するか。ついでに観葉植物も見て来なければ。


 ということで、まずやらなければならないことがある。


「金策だ」


 財布はもちろん、カード類も全て向こうのヒロユキが持っている。

 ここで無い物ねだりをしても仕方がない。


「不幸中の幸いといえば……ふふ。これは中々の代物よ」


 机の上に置かれているのはフルタワーPC。開けるまでもなく自作ものだろう。

 モニタもIPSのシネスコサイズときた。

 当然のようにネット回線も引いてあり、机の裏には光のTAが設置されているではないか。

 まさに混沌に咲く一輪の花。


「ふふ、ネット環境があれば金策などどうとでもなる」


 とりあえず、あっちのヒロユキの資産運用はキープしておかねばなるまい。放置している間に赤字破産されては事だ。

 入出金は出来ずとも、パスワードとIDがあればこちらからでも管理は可能。将来的には、結衣のために用いる資金、継続して増やしておいて損はない。

 メインバンクは海外、あの少年では引き出すことはおろか存在に気付くこともなかろう。それが唯一安堵できるポイントだ。


 さて。

 では、当面の金策についてだが……


「口座がないとどうにもならんな」


 新規開設しようにも未成年。保護者の承認が必要だ。

 うちの親父のように世界経済を股に掛ける大物であればあっさり許可――というより、小学生の段階から家計を一任されていたからな。

 てっきり、世の小学生は皆口座を持っているのが一般的だとばかり思っていたのだが。真実を知った時は、ちょっとしたショックを受けたものだ。


 それは置いといて。


 口座の開設……う~む、中々手強いぞ。

 偽造パスポートを用意してダミー口座を作る程度造作も無いが、後々裏から手が回って差し押さえはキツイ。増やすだけ増やしてアレは、精神的にも堪える。

 となれば、やはり少年の保護者に掛け合うしかないのだが……。

 両親とも健在という点については、あの女医から聞かされてはいる。

 しかし、両親とまったく面識はなく、人物像すら分からない。上手く口八丁で丸め込むことは可能だろうか。


「……今はあえて危険な橋を渡る必要はないか」


 ヒロユキの資産に心配がなくなった以上、当面の資金については火急と呼ぶべきものではない。

 もちろん必要は必要なのだが、その時期が来てからでも構わないだろう。


 その前にやらなければならないのは、


「…………この家の家事だな」


 一体どれほどずぼらな家族が暮らしているのか。

 廊下からリビング、トイレに洗面所、そしてバスルームに至るまで。

 一目見て眩暈が起きるほどに、カオスと化している。

 特に、台所に至っては、魔界の瘴気が発生しているほどだ。


「今日は、ここから先に手を付けるとしよう」


 明日は日曜。何とかなるだろう。

 そして、俺の新しい朝が始まる。




 ◇




 おはようございます。


 皆さんは、もし新しい家族を迎えたらどう感じるでしょうか?

 例えば、新しい家族を迎える側の立場なら、いくらかの緊張はあれど心持は比較的穏やかでしょう。


 では、新しく家族に加わる人はどうでしょうか?


 快く迎えてくれる場合も、稀にそうでない場合もあるかもしれません。

 しかしながら、ほとんどのケースでは、少なからずひとりは味方がいるものです。

 いない時は、すっぱり実家に帰りましょう。


 …………しかし、悲しきかな。自分にとってはここが実家なのです。


「まさに……試練……」


 少年マンションの自宅、うな垂れる俺は両手を床に着きながら絶望を禁じ得なかった。

 他人であるのに自宅という矛盾。

 本人であるのに新しい家族という矛盾。

 表面上の家族構成は変わってないのに、新しい家族を迎えるという矛盾。


 ――しかし、それは今は置いておこう。


 表向き、俺は記憶喪失ということになっている。

 そう、病み上がりの俺が一日を費やして掃除した家が……たった一晩で腐海化の道を歩んでいたのだ。


 原因は突き詰める必要もない。

 この家に住む俺以外の者全員だ。


 少年の家族構成は至って単純だった。

 両親と姉がひとり。

 シンプルな核家族である。

 父はごくごく普通のサラリーマンだが単身赴任、母は看護師で交代制勤務。

 家事の当番などなく、家の管理もおざなりである。

 こういう場合、普通は姉が家長となって何らおかしくはないと思うのだが……。


「ごくり……」


 俺は、問題の主の住む、部屋の扉の前に立ち尽くしている。

 マンション備え付けのままの簡素な扉。

 そこには、俺に緊張を迸らせる文字が記されたプレートが据えられていた。


【入ったらコロス(はぁと)】


 これが血文字で描かれていたらまさにホラーなのだが、フォントは可愛いピンクの丸ゴシック調。それがさらなる恐怖を引き立てる。

 そして、文字の後についているのは何故かハートマーク。一体、これにはどういう意味が込められているのだろうか?

 当人に問い質してみるのが一番手っ取り早そうだが、問題がある。


「ここに記された内容。一体誰に向けられたものなのか……」


 父親?


 まぁ、思春期お年頃な娘なら有り得なくは無い。

 しかし、産みの親で育ての親で、一家の大黒柱だろう? 内心ならばともかく、それを形として残せるレベルなのだろうか。


 では、母親? 


 同性でそこまで毛嫌いすることもあるのだろうか?

 看護師ならば、家事以外は社会的にもまっとうな人物だと思うのだが……というか思いたい。お願いします。


「ふっ……もはや考えるまでもないか」


 受け止めたくはなかったが、おそらくこのメッセージは少年宛て。つまり、俺に対する書置きなのだろう。

 美しき姉弟。我が家とは逆の立場とはいえ、よもやこのような家族が現実に存在するとは。

 前向きに考えれば、あくまで予測。もしかしたら、ただのお茶目お姉さんかもしれない。


「相手が妹ならば、俺の独壇場だ――しかし」


 姉というのは初めて目にする生き物だ。

 その生態は全く想定できない。モーニングは一杯のマグマから始まると言われても、俺は信じてしまうだろう。

 それは少々言い過ぎたかもしれないが、予想では、甲斐甲斐しく弟をお風呂なんかに入れてやってたりする状況もあるのでは……


『ほぉら。後ろ、洗っちゃうぞ』

『あぁっ、お姉ちゃん……背中に何か当たってるよぉ』

『ふふっ。こうすれば、お姉ちゃんもキレイになって一石二鳥でしょ?』

『さ、さすがお姉ちゃん……じゃあ僕も!』

『あ、コぉラ。前向いたらダメだって!』

『えへへ……』


 ……ふむ。

 我が家基準で考えればこの程度はおかしくなかろう。

 何せ、どう間違えればそうなるのか、明らかに流水、そして照明が点いている風呂場に毎度乱入してくるような妹だからな。可愛いから許すが。


 となればだ。


「大穴で、やはりこのメッセージは俺――少年宛ではないのかもしれん」


 顎に親指をかけて首を捻る。

 ネットで、姉に関する情報を集めたいところではあるが、時間が惜しい。

 ドアノブへとゆっくり手を伸ばす。そして、指先が金属部に触れる頃、


「――はっ!」


 頭に“一般常識”という四字熟語が過ったのだ。


 ――そうだ、ノック。ノックは必要なのか?


 無論、他人であれば絶対に省略の許されない最低限度必要な礼節。

 しかし、家族――否、我が家では、兄と妹の関係において入室に許可を求めた経験などない。

 ふと寝顔が見たくなった時は、妹を起こさないように細心の注意を払いつつ気配をアサシンクラスで完全に殺し切るのは当たり前。迷惑を掛けるなど言語道断。

 むしろ、朝起きたら妹が自分の隣で寝ていることすらある。前夜に心霊絡みの番組を見た時などは特に顕著だ。

 俺の鍛え上げられた索敵スキルも、妹に関してはマイナスレベルでノーマーク。ドントウォーリー。


「ふっ……決めたぞ」


 深呼吸をし、そして、俺は勢いよくドアノブを回す。いざ参らん!


 ガチンっ!


「――っ!?」


 ガチン、ガチン。

 ノブはびくともしない。

 これは……


「まさか、鍵が掛かっているだと……?」


 ど、どういうセキュリティレベルだ。

 まさか、この家には頻繁に泥棒でも侵入したりするのか?

 くっ――それだと家全体の鍵を交換する必要があるぞ……いや、警備システムの導入が必要じゃあないのか。

 ムセコか? それともソルアックか? トート――待て、落ち着け、俺。あれは便器メーカーだ。

 とにかく、この件に関しては独断で実行することはできない、両親に相談する必要がある。


 ともあれ、俺はこの警備システムを無効化する必要が出てきたわけだ。

 某登山家は言っていた。

 そこに鍵があるから人は開けたくなるんだと。

 何という名言か。


「我は影……真なる我……」


 懐から取り出した眼鏡(少年のもの)を装着し、ブリッジをクイッと持ち上げる。ピカッとレンズが反射し、外部から瞳を完全に隠してしまう。

 妹には決して見せられない、ダークサイドお兄ちゃんだ。

 (ゆい)が笑ってくれるならー、僕は悪にでもなるー。いつまでも。


 一旦眼鏡を外し、フロントから伸びるテンプルのラバー部分を無理矢理取り外した。

 そうして現れるのは、少し曲がった細い金属パーツ。


「フッ。この程度の鍵を開けることなど、世界の優れた兄にとっては造作もないことよ」


 万が一、妹がどこか――お風呂でも密室でも謎の研究機関でもいい。謂れの無い場所に、閉じ込められた状況への備えだ。

 右手をくりりっ、と動かすと、すぐにカチン――という渇いた音が耳に届く。


「ミッションコンプリート」


 ネイティブに。

 有事に備えあれば憂いなし。妹の為ならば電子ロックだろうと解錠できる自分にとって片刻みキーなど朝飯前。


「では、拝謁賜るとしようか」


 抵抗を失ったドアノブを回し、内部へと足を踏み入れる。

 ごくりと鳴る喉は、やはり姉という希少生物に対し緊張を伴っているせいだろう。

 何せ、生態すら未知の存在。入念にデータ採取をして、新たな辞書録を創作する必要がある。


「……って、何も見えん」


 遮光カーテンなのか、部屋の内部は真っ暗。人間、暗順応は苦手なのである。

 妹絡みの事案であればグラスパーアイの出番だが、そこまでMPを浪費する必要もない。そもそもこの身体で発動できるのだろうか。

 喉を鳴らしつつ無難に手探りで壁スイッチを見つけ、蛍光灯を点ける。


「…………なんだ。不在ではないか」


 ここでベッドで既に就寝態勢を取っていたならば笑い草である。

 しかし、呼吸音が聞こえないことはドアの外で確認済み。相手がこちら以上の能力者でない限りは出し抜かれやしないだろう。

 それが分かっていても緊張が走ってしまったのは、まだまだ未熟な証拠か。


「では、データ採取だ」


 よくよく考えれば、健全な若者、ましてや女性が休日自室に篭もっているのも不自然だ。

 ぐるりと見回した部屋は、意外にもこれまでの部屋の様子とは打って変わって整然としている。

 少年の部屋と比べると、天と地ほどの差があった。


「趣味らしい趣味は……見当たらないな。おや?」


 目が行ったのは、机に置かれたフォトフレームだった。

 本来の機能を消すべく、飾ってある写真が見えないように下へと伏せられている。

 それが、反って関心を惹いた。


「伏せてあるものを見るのはマナー違反だとは思うが……さて?」


 本当に見られたくないものならば、見えない場所に隠しておくだろう。

 もし、ここで自分を含む家族の写真が飾られていれば、あのメッセージもただの誇張表現なのだと安心もできる。

 今後、どの程度世話になる関係か目処も立っていないので、心の中で謝罪をしながら情報の把握を優先した。

 起きろぉ、ゴマ!


「……理解不能」


 当然ながらフォトフレームには用途がある。写真を収めるという用途が。

 そこに飾られていたのは、“海士坂裕之”の写真。

 紛れもなく自分だった。少年ではない方の自分だ。


「何故、ここにこんなものが……」


 写真の自分は、明後日の方を向いている。

 撮影は後方、映されている場所にも心当たりがあった。


「学校の屋上か」


 謎は深まるばかり。限界領域で首を傾げたい。

 おそらくの盗撮写真。見るのはこれで人生二度目となる。

 一度目は妹の部屋。しかも、割と妙な表情の写真。言えばいくらでも撮影許可するというのに不思議だ。

 だがしかし、ここは結衣の部屋ではない。


「まさか、この部屋の持ち主が俺を狙ったヒットマンだとでもいうのか……?」


 もし、そうだとしたら例の少年にも注意を促しておいた方が良さそうだ。

 実は、君の姉はヒットマンなんだ――と。単に雇われているだけの可能性もあるがな。

 外資関係を探れば、心当たりがあり過ぎて困る。


「というか、ここはその少年の姉の部屋ではないか。まさか、グルということはないと思うが」


 思いたいのだが、そう考えるとこれまで起こった全ての物事にも辻褄(つじつま)が合う。気がする。

 状況を整理しよう。


 ――姉が屋上に呼び出した俺を隠し撮りする。

 ――弟がその人物と接触し、現場へと呼び出す。

 ――そして、弟の殺人現場を仕立て上げた。


「…………なんてことだ」


 運よく一命を取り留めたから良かったものの、この場所に留まり続けるのは危険だ。

 どうやら俺は結果的にネギを背負って黒幕の下へとやって来てしまった可能性がある。

 脳内アラートはビカビカ鳴り響く。

 今すぐにでもここを立ち去らねばならない!


「くっ……先に痕跡を消さないと!」


 軽率に写真立てに触れたことを後悔する。

 ハンカチでそれを丁寧に拭いながら、部屋の四方を探り、隠しカメラの有無を確認する。

 見える場所にはなさそうだが、棚の中はどうだ? タンスは――!?


 オープン――クリア!

 オープン――クリア!

 オープン――クリア!

 オープン――……


 バタン。


 そこで、別の物音が家のどこかから静かに響いた。


 くっ! もう少しでオールグリーンだというのに、方角そして座標的に――玄関!


 間違いない、家族の誰かが帰ってきたのだ。

 父か。それとも母か。それとも――


「……いかん!」


 最後は、最悪の可能性だ。もはや痕跡どころではない。

 あちこち開いた引き出しを戻し、撤退を最優先と切り替える。

 しかし、無情にもパタパタとスリッパの足音が階段を登ってくる。


 馬鹿な、先に洗面所で手洗いとうがいをするのではないのかっ!


 そして、間近から扉を開く音が鼓膜を揺らした。


「…………あんた、そこで何やってんの?」


 人は……その気になればここまで冷たい声を放つことができるのだ。

 まさに零下。ケルビン表記で言えばゼロ、セルシウス表記ならばマイナス273.15度。

 地上最強の生命体、クマムシくんですら耐えられない温度だ。


「……はっ……はっ……」


 何とか浅い呼吸を繰り返し、ゆっくりと入口を見やった。

 立っていたのは、恐怖の化身――“魔王”だ。

 俺はかつて、これほどの悪寒を覚えたことはない。

 顔は影が差し黒一色、縛り上げられた薄茶色の長髪が妖刀のように揺らいでいる。

 このままでは斬刑に処されてしまうことは請け合い。

 あまりの重圧に、俺の身体が引き出しに手を掛けた状態で固定されていた。


「そこ…………あたしの下着入れって分かっててやってるのよね?」

「した……ぎ……?」


 ギギギ……と、機械的に手元の先へ視線を向けると、そこにはカラフルな数々の小さな布地が収まっていた。

 パニックを通り越した頭は、反って冷静さと落ち着きを取り戻している。

 脳をフル回転させるが、もはや、言い逃れの利く状況ではない。


「話せば長くなるが、これは……誤解だ」

「へぇ、誤解?」

「あぁ、俺は妹のものにしか――いや、それは性的な意味ではなく、純粋に妹にしか興味がない。どうか……信じて欲しい」


 誠心誠意を込め、真摯に告げた。

 それはもう、マリア像を見上げる神父のように。

 だが、現実は無情だ。


「………………死ねよ。このチャバネゴキブリ」


 惨劇の幕は、開いた瞬間に降りたのだった。アイム十七分割。




 ◇




「あら、また入院?」

「不名誉の……負傷です」



 兄道教訓――。


 姉は兄より強い。




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