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8.お兄ちゃん、新しい人生を歩む

 



 目が点になるという慣用句があるが、まさか身をもって体言することになろうとは思いもしなかった。

 もちろん、実際に目が点になるなんて現象は起こり得ないのだが、あまりに目を見開きすぎて白目の面積が増えたであろうことは自分でも容易に想像ができた。

 しかし、そうして覗き込んだ鏡に映るのは、見慣れたある自分のポカーン顔ではなく、予想に反した他人の素っ頓狂な顔で――。


「少……年……?」


 ぺたぺたと顔を触っているつもりが、感触として伝えるのはぷにぷにの方が適切だろうか。

 ちょと脂っこいが、グミのような弾力。

 しかし、断じてイケメンとは言い難い平坦で平凡な顔。

 長い前髪に、加え肌の手入れがなっていない。そばかすはともかく、荒れ放題だ。


 先生に聞いたところ、この少年の名前は“数馬亮(かずまりょう)”というらしい。

 印象に反して、意外にも男らしく格好の良い名前だった。

 現在15歳の中学三年、まさかの妹の同級生とは恐れ入る。

 検査ついでに身体測定を行ったところ、身長は160cm、体重は65kg。

 身長センチマイナス体重キロが95とは、中学生ながらも自らの二の腕と腹回りにある種の貫禄を感じてしまう。ビール腹の中年かと。

 これで童顔でなければ、中学ならぬ中年議員といったところだ。

 これを空中で受け止めたとなれば、バウンド時にも相当の負荷が掛かったことは想像に難くない。

 口から互いの魂がはみ出てエクトプラズムチェンジしたところで何ら不思議は…………いや、あるだろ。


「いや、しかし……これは、デチューンにも程があるぞ……」


 なんど触っても、ぷにぷにという表現以外の触感が思い浮かばない。

 今の心境を例えるなら、そう――とある真っ赤な偉い軍人が、いざ専用のハンガーに向かったらそこに鎮座していたのは何と茶色いアッ○イでした――とでも説明すればいいのか。マジでクビだ、その手違い部下は。せめて大佐が乗るのであればポストのように赤く塗装するべきだ、ア〇ガイでも。

 いや、それだと、赤い人は赤い人のままなのでこの件には該当しないか?

 何せ、どちらかといえば今や俺がアッ○イで乗られる立場なんだし。

 って何を言っているんだ俺は。混乱ここに極まれり。


「体型的には大佐と言うよりカツくんよね」

「後生です、それは言わないでください」


 と、心理学者も真っ青な絶妙間で突っ込みを入れてきたのは病院の先生だ。

 あなたはどこ連邦の悪魔ですか、白衣だけに。


「ともあれ――」


 色々と紆余曲折はあったが、先生の方針はこうだ。


『当人以外において、この件に関しては内密にすること』


 お互いが全ての事情を公開した上で、例えば俺がこの身体で“海士坂裕之”として過ごす――という選択肢もあった。

 この場合、先生曰く、医学的にも科学的にも説明ができないので、結局のところごまかさなければいけない部分に全くごまかしが効かないという難点がある。

 何せ、今の自分の痛覚や五感は間違いなく“この身体”に存在するのに対し、知識や記憶や経験は“元の身体”に準拠しているのだ。


 じゃあ、脳というのは一体何の為にある? というのが、先生の話。


 ……確かに、説明ができない。


 結果として、「マスコミやどこぞの国の諜報員の餌食になっても責任は持てないわよ」――なんて言われてしまえば、俺はもうお手上げだ。

 奇抜で数奇な運命を辿った薄幸の高校生として全国メディアに取り上げられ、そうして嗅ぎ付けた闇の機関に攫われてピンク色をしたプルンプルンで綺麗な脳みそに刺激的な電極をいっぱいプレゼントされることであろう。しぎゃぴーの悲鳴では済まされない。


 無論、俺はそれを望むほどマゾではない。


 親族は……かろうじて、かろうじてだ。

 納得させられたとしても、周囲の人間がどこまでそれを暗了してくれるだろう。

 例えば、自分がこのマイナーチェンジモデルで高校に通うわけだ。

 ミツヤはまだいい、担任や教師も病院から説明が行けば何とかなると仮定する。


 だが、クラスメイトは?

 先輩や後輩は?


 全国ネットでも報道されない限り、接点のない人間からすれば『何で中学生が飛び級で編入してるんだよ』レベルである。


 それならば、まだいい。

 逆のパターンを考慮してみよう。

 俺の知らないところで、俺の身体が“中学校”に通っているわけである。

 妹と一緒に、だ。


 分かるだろうか?

 近所のおばちゃんたちから「あら、仲がいいのね」とか過保護で済む領域を遥かに超越している。

 もはや、痛いで済む話ではない。


 ――待てよ。


 これはもしや、逆の発想――すなわち、一部に事情を話し、内部では俺、外部では少年として生活する……。

 すると、俺は少年の身体で妹と一緒に学校へ通う――なんてムフフな夢のひと時が得られるのではないか?

 やもすれば、神が与えたご褒美なのではないか?

 そうだ、そうに違いない。


「あの、先生――」

「却下。ほら、脱線しない」

「すいません」


 実は、エスパーなんじゃなかろうな? この人。


 そんなこんなで、俺は今日から“数馬亮”として、少年は“海士坂裕之”として、事情を伏せた上で過ごすことになった。

 親族や学校には、記憶障害――といった形で説明を行うらしい。

 つまり、不都合があれば忘れたフリをしろ――ということだ。

 分かりやすいと言えば分かりやすい。


 自分の病室――ええい、説明がややこしいな。

 自分の身体の病室も覗きには行ったのだが、俺の身体の方がダメージが大きかったらしく、まだ昏睡状態だった。

 それでも、脳波は安定していて大きな怪我もないというのは幸いだ。

 あれだけのことをして、お互い五体満足……ではあるよな? ――で帰還できたのは行幸だ。

 目が覚めたら、語りつくせないくらいに話し合いたいことが山ほどある。



 そうして、俺は何も知らない少年の母親に連れられて自宅へ――

 行ってみると例のマンションだったわけだが、そこへと戻り、


 そして……




 ◇




「ようやく長い回想を終える――というわけだ」


 自分で振り返ってみても現実味の乏しい体験談なのだが、今、視界を埋める部屋はまさに腐海――これが何よりの真実だ。

 居並ぶ視線の数々は、どれもが妹が纏えば完膚無きまでに似合うであろうといったホビーがフルスロットルなフィギュアたち。

 属性的にはとある友人の部屋と大差ないのだが、クオリティーでは友人に軍配が上がる。

 何せ自己塗装だからな、アイツは。


「…………」


 つーっと、人差し指で近くの棚を撫でる。

 そうして得るのは、指紋がまるで確認できなくなるまでの年季の入った埃。

 潔癖症なアイツとは大違い。

 そんなに大切なものならもっとしっかり管理しろと言いたいくらいだが……。


「非常に不本意だが……いつまでこの部屋で過ごす羽目になるか分からないしな」


 グルりと惨状を見回す。

 それでけで眩暈がしてきそうだった。


 とりあえず、初日は部屋の掃除から始めることにした。

 ここにきて家事スキル全開である。


 明らかにゴミ――例えば、いつ開封したのか分からないお菓子とか。

 詰みあがったジュースの空き缶とかペットボトルとか。

 パリパリに渇き丸められた謎ティッシュとか。


 そういったものはどんどん捨てる。

 捨てないものも、念入りにクロスで埃や脂を払う。

 雑誌はサイズ別に束ねていく。


 漫画なんて……バラバラではないか、許せんな。

 というか、ベッドに下に秘蔵本とか定番にも程があるだろう。

 しかもこれ、何時の雑誌だ? 五年前の月刊誌……だと?

 ゴミだゴミ! 中学生にはまだ早い!

 あー、くそっ、収納場所が全く足りんぞ!


 百均やホームセンターに行って、色々と取り揃える必要がありそうだ。


「………………」


 そして着替えるべく、クローゼットの前で立ちすくむ。


 ……全くもってろくな服がない。


 これも調達しないとダメなのか。

 いきなり前途多難である。


 頭を抱えながら移動すると、居間の様子もキッチンの様子も洗面台の様子も、趣味の産物こそなけれどこの家の方針は割と統一されているようだった。

 冷蔵庫の様子も似たり寄ったりだ。


「しかし……これが神――いや、妹が俺に課した試練だと思えば……」


 そう……。

 この地獄から這い上がってこそ、俺はもう一度あの楽園(エデン)へ帰還することができる。

 気合を入れる為、俺はスウェットズボンのポケットへと手を伸ばした。


「…………む?」


 出てきたのは、くたびれた小さい紙。

 広げてみると、それはコンビニコーヒー無料券だった。


「…………しっ、しまった! これは俺のスウェットではない――!?」


 奮起したのも束の間、いきなり全財産ボッシュートだ。

 がらーんごろーん、と古教会の鐘が頭の中で荘厳に鳴り響く中、俺は突きつけられた現実によって奈落へと叩き落されるのであった。


 我を失った男が刹那に思いついた名案によって、危うく隣町で不審者として補導されかかったのはここだけのお話。




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