4.待ち人お兄ちゃん
青い空に白い雲。
泳いでいるのは、人工の白い鳥。
待ち人の元へと飛んで行く。
……ふふふ、我ながら詩的じゃないか。兄ポエム。
新たな黒歴史を築き兼ねないので、ここいらで自重しようと思う。
さて、ここはどこでしょう。
正解は――高校の屋上です!
「ふう…………いい加減、退屈になってきたな」
周囲には誰もいない。
解放された屋上というのは、生徒にとっては格好のスポットにもなりそうなものだが、理由は単純。
ここには、一般性とにとってあまり関わりになりたくない連中も出入りしているからだ。
何故そんな場所に居るのかというと、
「ここに来れば少しはすっきりするかと思ったが……」
指に挟んでいるのは、白い封筒――下駄箱に入っていた手紙だ。
書かれていたのは『放課後、屋上で待つ』という簡素な一言。
差出人もなく、おそらくは、ここで待っていれば会えるもの。
受け取り手の関心を引く方法としては悪くない。
「…………無駄足だったな」
別に騙された、からかわれた――とかそういう意味ではない。
この手紙を受け取ったのは昨日のこと。
時間の指定がないのは、すなわち、昨日の指定だった可能性が高い。
「もしかしたら、今日も来ているかと思ったが……」
俺があの手紙を絶対に昨日中に読むという保証はなかったはずだ。
つまり、広い視野で考えると、翌日も待っている可能性が高いと考えられる。
しかし、決して当てが外れたわけではなく……
「さすがにこの時間はなかったな」
そう、今は昼休みの時間だ。
後ろめたい気持ちも相まって、少し勇み足を踏んだのかもしれない。
これならば、放課後にもう一度出直した方が良さそうだ。
そうして、五限目に備えてそろそろ教室に戻ろうかと昇降口へ向かうと――
「――あっ」
目が合ったのは、白の学生服――つまり、男子生徒だ。
Ⅰの学年章を着けた三人が、こちらを見てそそくさと立ち去ろうとする様子は何やら不自然に映る。
「…………ん? ちょっと待て」
「ぎくっ――!」
背を向けた男たちが、肩を持ち上げて立ち竦む。
おそるおそるといった様子でこちらをゆっくりと振り向くと……
「……やっぱり、昨日の連中か」
「ひぃぃぃ……っ! す、すんません、どうか! どうか改造だけはしないでください! 俺は、血の繋がっていない女の子が好きなんです!」
歯ならぬ目を食いしばり、両手を合わせ懇願してくる。
そして、さり気に全力で俺の存在意義を否定しやがったではないか。
「ほう……?」
「いっ、妹と改造はダメなんすよぉぉぉぉ!」
というか、どこのマッドサイエンティストだ俺は。
そういうのは、よほどミツヤの方がしっくりくるだろう。あいつなら白衣や謎の試験管などよく似合いそうだ。
しかし、妹が居るというのであれば、この男も立派な兄。弟持ちの兄とは一味も二味も違う。
特別に許容してやろう。
「まさか、俺を屋上に呼び出したの……お前らじゃないよな?」
「はっはっは、そんなまさか! そんな秘密結社に自分から乗り込むような真似、どこの馬鹿がするってんで……!」
アメリカンジョークのようにオーバーな両手リアクションを行う男たち。
息もぴったりなその様子が、こちらの一枚の鱗を逆撫でする。
「へえ?」
「――やりました! 自分らがやりました!」
大切なものが人質に取られた容疑者といったモノクロコントラストが濃い真顔になって自白する男。
お前は刑事ドラマの三文芝居役者か。
「……いや、お前らじゃないのは知ってるからいいんだ」
「えぇぇぇっ――!? なんか『俺が黒と言ったら黒だ!』――みたいな空気作っといて!」
「それは中々に名案だな?」
ここで、ふぅ、と表情を暗くし俺は声のトーンを下げた。
「実は、昨日の少年…………俺の親戚なんだ」
「はははー、そんなガキでも分かるような嘘……」
ペシペシと、空気の机を手のひらで打つ男。
「……!(ギロリ)」
「サー! イエスサー! 親族でありまサー!」
びしっ、と背筋を伸ばす三人組。
しかし、こんな愉快なお笑いトリオがあんな恐喝紛いなことをしでかすというのだから……世の中というのは分からないものだ。
「そろそろ……戻ってもいいでしょうか?」などと言う男に目配せをすると、そこでふと手に持っているものに気が付いた。
あれは……まさか?
「おい、その手に持ってるヤツ……」
「べ、別にアンパンなんて入ってないっすよ……?」
「反応が何時の時代のヤンキーだ。いいから寄越せ」
奪ったのは、校内の自販機から得たのだろうスチール製の空き缶だ。
揺れる感触はあるが中身は軽く、わずかな液体しか入ってないことがすぐに分かる。
そんな中身の入っていない空き缶を屋上へ持ち込む理由は……
ペキョリ――。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」
それを目の前で見せびらかしながら、二本指で挟み潰してやった。
これで、もうこの空き缶は“用を為さない”だろう。
兄道心得――。
兄とは、妹を守れるピンチ力も身に付けなくてはならない。
「ほら後処理しとけ。それと――な?」
「……は、はいっ!」
間を置いて一言。
さて、何を言ったものか。
注意したところで、この手合いがすぐさま受け入れることなんてないだろう。
「……そのまま教室戻ったらすぐにバレるぞ? 戻るまえに保健室に寄ってくといい。あそこの先生はそういうの融通利くから、ファブリーズか……適当なアルコールくらいは貸してくれるはずだ」
あの女性擁護教諭も元ヤンらしいからな。
理解はあるし、その手の協力はしてくれるだろうが……まぁ、もっと酷い目に遭う可能性もあるが自業自得だ。
こくこくこくこくと、振り子のおもちゃのように何度も頷いて階段を降りていく男を見届け、自分も教室へ戻ることにした。
◇
結局、放課後も屋上に待ち人が来ることはなかった。
この場合、どちらかというと自分が待ち人にあたるはずなのだが、立場が逆転してしまっている気がする。
今日は学生会もなく、運動部からの応援要請――手が空いた時にたまに助っ人をしている――もない。
買い物も大半は昨日に済ませてあるし、他にやることと言えば家事と自習くらいか。
もう少し待つか迷ったが、あまり時間を無為に過ごすのも宜しくはない。
帰路を辿ることにした。
そうして校門を潜り、路地へと抜けると、背後から小さな視線を感じた。
移動しても一定の距離を空けてついてきているようだが、気配が消せていないところを見るに尾行の初心者だな。
兄たるもの、妹のストーカーには常々留意するべし――だ。
本職のプロだろうが、妹のストーカーに堕ちた時点で、俺に見つかる未来は確定している。
「さて、今日の夕食は何にするか……」
俺は、尾行に気がついていないフリをしながら、あえて人気の無い道を選んで進んでいき、隠れる場所のない小さな空き地に出たところで後ろへ振り返る。
「……そろそろ出てきたらどうだ?」
びくっ、と肩を震わせながら姿を覗かせているのは小さな影。
どうやら、思っていた連中ではなかったらしい。
「君は……昨日の?」
「…………」
昨日は、薄暗い上に顔を下げていたためはっきりと見えなかったが、裏路地で取り囲まれていた中学の少年に間違いなさそうだ。
思い当たることといえば……ひとつか。
あれでは、灸の据え方が足りなかったか。
「何かあったんだな? 言ってみるといい」
「…………」
少年は無言だった。
しばらく待ってもその様子が変わることはなく、これはどうしたものかと困っていると、いよいよになって少年が堅い口を開いた。
「海士……坂……さん……」
「うん? そうだ、よく覚えていたな」
一回で人の名前を覚えられるのは、悪いことではない。
むしろ、人付き合いを行う上ではとても大事なことだと思う。
人物評、ちょいとアップだ。
「貴方は………………持ってる……」
「…………持ってる?」
「貴方は…………すべてを…………僕が持ってないものを……」
「…………?」
あの連中のことではないのか?
少年の言いたいことがよく理解できない。
だから、はっきりと聞き返した。
「どういう意味だ?」
「……顔も……その身体も…………人望…………ゆ……も……」
何を言っているのかは相変わらずよく分からないが、何を言いたいのかは何となく理解できた。
「つまり、君はだ。俺は何でも備えてるとでも言いたいのか?」
「そう…………です……」
こういう切り替えしができるのは、最近ではほぼなくなったものの、こういったやっかみが初めてではないからだ。
ゆえに、俺の続ける言葉もある意味では言い慣れたものだった。
「否定はしないが、そう見えるものも何の苦労もせずに得たわけじゃない。日々の努力の賜物だ」
「…………っ!」
これを言うと、大抵の相手は同じような反応をする。
「そんなはずがない!」――と。
もっと上手い言い回しができないわけでもないが、自分の努力を全否定されるのは面白くないので言わないわけにもいかない。
予想していたように、少年の眼つきが変わった。
よほどの琴線に触れたのだろうか、昨日、高校生に絡まれて怯えていた少年と同じ人物とは思えないくらいの形相だった。
「その……顔も……身体も……生まれつきじゃなくて……努力で得たっていうのか…………!」
「それは…………」
ここまで直球のケースはなかなかに珍しい。
確かに、身体こそは日々の鍛錬が実を結んでいるのもあるが、顔はどうだろうか?
身長に関しても、努力でどうなるのかは不明だが……食に関して言えば好き嫌いなどはした試しがないし、そもそも栄養バランスは全て自身で管理して調理をしている。
そちらについては、文句をいうならせめて“それを全て実践した上”で言って欲しい程度の気持ちはある。
しかし、顔については……決定力に欠けるな。
「すまん。顔は生まれつきかもしれない」
「は…………っ…………はぁ……」
俺が認めたせいか、それとも謝罪したせいなのか、少年はわずかに落ち着きを取り戻したようだった。
「恵まれた人は……生まれた時から何でも持ってるんだ…………僕だって……」
「………………」
少年の言葉を止めることなく、俺はただ無言で耳を傾けた。
「僕だって…………貴方のように生まれていれば……こんな惨めな生活も……思いも……しなくて済んだのに…………」
「それは違う」
聞きとがめた台詞に、しまったと思いつつも、ついついきっぱりと横槍を刺してしまう。
だが、言わねばならない。
「そんなものは心構えひとつだ。何かひとつ、自身に誇りを持てばどうとでもなる」
「そんなもの……だって……? それは……貴方みたいに何もかもを持ってる人だから……言えるんです……!」
恨みがましい視線を真っ向からぶつけられる。
「違う。俺が生まれ持ったのは……いや、生まれた時にはなかったが、物心ついた時にあった矜持は、今も過去もその“ひとつ”だけだ」
「矜持……? ……それは?」
聞き返す少年に対し、一拍の間を置いてこう返した。
「妹だ」
恨みがましい少年の目と口が、ぽかーんと丸くなったかと思うと、やがて何かを納得したように自分を取り戻した。
「はは…………なるほど。それだって…………貴方のようなケースは……稀有なんですよ……それを含めて……貴方は、何もかもを生まれた時から持っていたんです……!」
確かに、言われてみると妹の出生に関しては自身の努力ではどうにもならない存在だ。
親に懇願するしかない。
娘ならば、未来の努力次第では何となると思うが。
……む? 何だ?
これはもしかして、俺が言い負けたのか?
――いや、俺は生まれ持ったものを少年に提示しただけだから間違ってはいないな、うむ。
「――待て。結果的には、少年の結論に誘導されているな。俺は」
「…………?」
俺にとっては妹が全てで、つまりそれが生まれ持ったものなら、俺は生まれた時――というと奇妙だが、全てを生まれ持ったと結論付けられても過言ではない。
それを否定したら、俺のアイデンティティが根源から覆されるような気がする。
「なるほど、分かった。すまない、少年の言う通りだった。俺は生まれた時から全てを持っていたようだ」
「………………」
少年のおかげで新たな悟りを開いてしまった。
“妹”がいる時点で、俺は全てを生まれ持っていたのだ。
いや、生まれた時に当然妹はいかなったから後天性か? まぁいい。
……素直に認めたのに、少年が先より怒り心頭に見えるのは何故だろう。
こちらに向けられた眼光からは、あの不良高校生たちならたじろぎそうなくらいの重圧をひしひしと感じる。
ここは、仮にも俺を言い負かした少年が「フフン、ざまを見よ」とふんぞり返るシーンではないのか。
「じゃあ……心構えひとつ……って言ったのは……やっぱり嘘……とでも言うつもりですか……?」
「それはない」
今度もきっぱりと答えた。
「スタート地点に個人差があるのは認めるが、走れる距離は当人の努力次第だ」
「断言……するんですね……」
「あぁ、断言しよう」
軽く握った拳で、心臓の上を叩いて少年に告げた。
「なら……証明してみせてくださいよ……僕に……」
「証明?」
「えぇ……」
そうして、少年の顔がいままでにないくらい不気味に歪んだ。
それは果たして笑顔と呼んでいいのか分からないくらいに、言いようのない感情を含んだものだった。
◇
証明しろと突きつけられたものの、その方法についてはどうすればいいのか全く考えもつかなかった。
こうして、今の自分がいることが何よりの証明だと思わなくはないのだが、これで少年を納得させるのは厳しいだろう。
一番、納得させられる方法があるとすれば……
「少年自身が立ち直ること……か」
そんなことを、机に向かいながら漠然と考えていた。
しかし、ノートに向かうシャープペンシルは、淀みなく書き進んでいく。
翌日――。
意気揚々と、少年に持って行った鍛錬プラン(地獄の入隊編)は、余儀なく却下される運びとなった。
夜を徹して練り上げた自信作だっただけに、俺の心労は計り知れない。
ノートを無駄にすると費やした時間まで無駄にしてしまうので、この際――と、ブログに書き写したら予想外の層から反響を呼んでしまった。
あまり仲良くしたくない同性のお兄さん――中には性別も疑わしき方々から、大量のフレンド申請が届いたので、そっと閉じることにした。
兄道教訓――。
あまり易請け合いをするものではない。
……のかもしれない。