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3.お兄ちゃんの学校での日常

 



「ああぁぁーーーテストが反ってくるぅぅぅーー!」

「平穏とは……っ! 束の間の安らぎだとでも言うのか……っ!!」

「聞け! 俺の…………歌をっ! きらっ☆彡」


 いきなり始まったクラスメイトたちの怨嗟(えんさ)が、教室内に木霊(こだま)する。

 中には既に現実から逃避している生徒もいるようだが。

 今や死屍累々とも言えるここは、俺が通う公立の高等学校――白鳳鵬(はくほうおおとり)の二年B組。


「いいですかぁぁぁチミたちぃぃぃ! テストというのはですね、今後、貴方という人間の人生という名の天秤の傾きを生涯に渡って決めつける――」

「説明が重いわ! 言いたいことが何となく伝わるだけに余計胸に痛い!」

「そうだそうだ! 頑張った生徒たちをもっと(ねぎら)え!」

「では…………腐ったミカンというのはですね……」

「おい――!? 労うはずが、突然のトーン下げから不穏な単語が飛び出してきたぞ――!?」


 若き亡者と化した生徒たちの魂の雄たけびを何事もなく聞き流しているのは、教壇にいる中年小太りの担任の男教師。

 そのパツパツスーツスタイルに全くそぐわないさらさらロングのブロンドを右手でかき上げる仕草は不思議と様になっていた。

 そんな教師は、生徒たちからは謎の親しみ(?)を込めて“金髪先生”と呼ばれている。

 他のクラスより際立って騒がしいが、こんな喧騒も嫌いではないというのが本音である。


 まぁ、このやり取り自体が他人事だという解釈も無きにしも(あら)ず。

 そんな折だ。


「時に――」


 遠巻きに眺めている俺に対し、たびたび後席から声が掛けてくる存在がある。

 ちょうど今もそうだ。

 振り返ると、目に入るのは下半縁のインテリ眼鏡を掛け、癖っ毛ながらもそれが反って人目を惹くという容姿を持つ男子学生。


「――どうだった?」


 いきなり話し掛けてきたと思いきや、主語や修飾語の類を一切省いていきなりエスパーな回答を要求してくるこの男――名前は、沢小三也(さわしょうみつや)という。

 最も親しい友人で、小学生以来――と、付き合いもかなり長い。

 また、校内テストにおいて立ちはだかる強大凶悪な壁というか、俺にっとて常に二年生の首位を競う相手でもある。

 ちなみに、そのことで切磋琢磨しているのは主にこちらだけで、ミツヤ個人にとって順位なんてものはどうでもいいらしい。


「どうって言われてもな」


 おそらくは求められたであろう回答を、苦渋を舐めつつも口にすることにした。


「あぁ……認めよう。満点ならお前の勝ちだ」


 今回はケアレスミスで一問外してしまっている。

 満点ならこちらの負け、配点次第では同じワンミスでも負ける可能性もある。

 ま、この天才に限ってそれはないか。


「む? なにを言っている?」

「……なんだ? お前も外したのか」

「だからなにを言っている?」

「…………は?」


 ミツヤから反ってきたのは、まるで見当違いの回答でも得たといったような様子だった。

 お互いに言いたいことが分からない――とでもいった具合に、しばし無言で見詰め合う。

 すると、お互いの顔の距離が少し近すぎたのだろうか、クラスの女子のひそひそ話が飛んできた。


(ね、ねぇ! あれ……やっぱりヒロユキ君とミツヤ君って……!)

(イケメン×イケメン……あぁ! 堪らないわ!)

(上手くいけば……はっ! 夢のスリーポイントがわたしにゴール――!?)

(ぉぃゴラ。抜け駆けは許さねーですわよ?)


 身内で騒いでいる女子を振り返ると、彼女らは何やら赤らめながらそそくさと視線を隠してしまった。

 片隅で、内ひとりが鉄拳制裁を受けているようにも見えたが……気にしたら負けだろう。

 ややあって、ミツヤに視線を戻すと、


「考査前に貸した“あれ”だ。終わったんだし、もう手を着けたんだろう? 責務として感想を一行以内で述べろ」

「……貸した“あれ”だと?」


 はて? あれとは如何に。

 自分は一体、ミツヤから何を借りたのだったか。

 テスト週間は、妹のことを除けば、それ以外はほぼ勉強に掛かりきりになる。

 俺は、ミツヤのようにずば抜けたIQを誇る“生まれながらの天才”ではないのだ。


「よもや忘れたとは言わせん。“幼妹とらぶらぶちゅっちゅ ~あぁーん、お兄ちゃん。そこは違うよぉ~”のコンプリートボックスだ!」

「――ぶほっ!!」


 高らかに、かつ絶妙に艶掛かったなミツヤのイントネーションに対し、盛大に(むせ)た俺は爪垢ほどの演技もしていない――つまり、全力で咽込(むせこ)んだ。

 次に現れた変化は、周囲から向けられる視線。

 それは、黒からセピア色に、さらには色素と一緒に感情までも失ったものとなる。

 俺は、ぎ、ぎ、ぎ、と首を機械的に一周させ、


「ミ、ミ、ミツヤくぅん…………?」


 わなわなと震える肩も握り締める右拳も、もちろんこちらの運動中枢を無視した上での独自の行動だ。


「い、今……俺の右手は真っ赤に燃えている……!」


 感じろ……っ! 湧き上がって迸るこの俺の熱くて黒くて焦げるような衝動を……っ!


「なるほど、素晴らしい一行感想だ。右手にもさぞ気合が入ったことだろう。お前が気に入ってくれて何よりだ」

「はっ――違う! 断じてそういう意味じゃない! ヤってない! 俺はヤってないからな――!?」

「……まぁ、実践したら犯罪ではあるな?」

「そうじゃない! 疑問形はやめるんだ、友よ! そこで蛍光灯を反射させて白くなった眼鏡のブリッジをくいっと持ち上げる動作はやめるんだ! 何か違うことをヤったみたいに思われるだろ――!? というか周りもひそひそ話しをやめてくれ! 頼むのでお願いしますのであります!」


 新たに絶叫メイトに加わったのは、結果としては学年首位のはずのとても優秀なはずの生徒だ。

 こうして、気付けば全科目の中間テストの返却も終わり、二年B組(にびー)は今日も平常に全てを終えていく。


 ……くっ、たまにはミっちゃんもミチミチ何か垂れてみろ。

 この変態以外は完璧超人め。




 ◇




 放課後――。



 学生会、書記としての仕事を終え、下駄箱へと向かった。

 衣替えを間近に、来月度の風紀の強化が議題となったわけだが、内容としては風紀委員からの承認を求められただけものだ。


 結果は、否決。


 その心は、学生会長の一存によるもので、あまり厳しく取りしまうと女子がスカートを短くできなくなってしまうからだ。

 ちなみに、学生会長はエロ親父化した男子生徒などではなく、紛れもない女子生徒だったりする。

 成績は三年のトップ、容姿は端麗で運動神経も優秀だが、唯一品行だけはやや難――といったところか。

 家柄も家柄だけに、品行方正と言えなくもないのだが……。

 こうして、容易なはずの議題が長引いたのは、単に風紀委員と学生会(主に会長)が衝突したせいである。


「タイムセール……ぎりぎりだな」


 時計盤を見ると、短針は既に円の南にある6をわずかに過ぎている。

 買い物自体は間に合うとしても、走ったところでお目当ての品は既に売り切れている可能性も否めない。


「くっ……何故、この世にはどこ○もドアがないんだ……!」


 残念だが、ここが二十二世紀ではないことが恨めしい。せめてタ〇コプターがあれば買い物も捗るのだが。

 そこで、ふと、開いた下駄箱から白い角封筒が落ちたことに気が付いた。


「……手紙?」


 表のあて先は“海士坂 裕之様”――間違いなく自分宛だ。


「差出人は……書いてないな」


 ひっくり返した裏面は真っ白だった。

 中の便箋やらに書かれているのかもしれないと思ったが……それならば大した用件ではないのだろう。

 ならば、今優先すべきはタイムセールの方だ。

 俺はすぐさま革靴へと履き替え、鞄を斜めに傾ける勢いですぐさま商店街へと走り去った。


 これもトレーニングの一環だと思えばどうということはない!



「あらぁ、お兄さん。走ってきたのかい? 凄い汗だねぇ」

「はぁ……はぁ…………えぇ。間に合ってよかったですよ」

「ふふふ。お兄さんは、主婦の鑑だねぇ」


 コロコロと笑うスーパーの奥方。

 妹が居れば卵がもうひとパック買えたのだが、まぁ仕方がない。

 部活が長引くと、妹の帰りは自分よりも遅くなるのだ。

 そうして、エコバッグを通学鞄とは反対の手に下げ、店を後にする。


「おや。ヒロくん、買い物かい?」

「はい、荒木さん。今日はなんとかセールに間に合いましたよ」

「そうかいそうかい。ならそのダイエットに失敗したお財布で……今日のオススメはどうだい? ヒロくんは魚も捌けるから一尾丸まるのがいいだろう? 安くしとくよ!」

「マダイとサワラ……ですか。それなら、サワラを二匹ください。あいにく予算はこれだけしかないのですが……」

「はっはっは、いいよいいよ。ヒロくんは大事なお得意さんだしな! 毎度あり!」


 にっかと笑う鮮魚店の主人の軽快なトークでしっかりと買い物をさせられてしまったが悪い取引ではなかった。きっと妹も旬の魚に舌鼓を打つだろう。


「おんやぁ、ヒロ坊か。まぁまぁ……ヒロ坊と結婚する女の子は幸せだのぅ」

「そんなことないですよ、臼井さん。自分なんてまだまだ未熟ものです。もっと皆さんを見習わないと」


 通りすがった近所のお婆ちゃんとしばしば歓談しながらも、アーケード街を抜ける。

 必要なものは買い終えたはずだが……何か忘れているような……。


「あ……しまった。食品ばかりに目がいって、弁当用の分け皿を買うのを忘れていたな」


 もう一度商店街に戻ろうか、思案する。


「……まぁ、一日くらい無くても大丈夫か」


 次は気を付けよう。

 手は掛かるが、妹の分はいっそキャラ弁にしてしまうのも有りかもしれない。医者型のトナカイなんてどうだろうか。

 色々と思案しつつ、自宅への帰路を歩んでいると……。


「?」


 なんだ?

 何やら遠くから物音が聞こえた気がする。

 方角的には……こっちは、妹が通う中学の方向だろうか。


「ふむ……。ここで気になったのも何かの縁……か」


 携帯を開くと、妹から『部活で少し遅くなります』との連絡があった。

 このまま迎えに行くのもたまにはいいか――と、そちらの方向に足を向けることにした。


 そうして、歩き慣れない道――自宅からの通学路とは異なる為だ――をいくらか進んでいると、路地の方からはっきりと物音が聞こえてくるようになった。

 物音というよりは、喧騒といった方が適切か。

 覗く形で路地を進み、様子を伺うと……奥に居たのは、男が四人か。

 うち三人が残りの一人を囲んでいる形だった。


「ほら。さっさと差すもん出しちまった方が色々と楽だぜ?」


 囲んでいる男のひとりが片手を前に出し、そう告げる。

 傍らの二人もその光景をニヤニヤと眺めていた。

 向かいの男……かなり背は低いそちらは、鞄を両手で抱きしめて身を竦ませている。


 なるほど――と。


 ひとり心の中で首を縦に振った。

 そうして俺は、男たちの方へと歩み寄った。


「事情はおおまかに掴めた。それで、“何”を出せばいいんだ?」


 こちらに気付いていなかったのだろう男たちは、声掛けを唐突に感じたのだろう――ぎょっとしてこちらを振り向くと、


「て、テメェ……なんだ! 邪魔すんのか!」


 その勢いのまま、いきなりこちらの胸倉を捕んできた。


「邪魔も何も……こっちはただ質問しているだけだ。……って、お前らその制服……」


 状況のみに目が行って気にしていなかったが、男たちが着ているのは白地の詰襟の学生服だ。

 俺が着ているものと同じ、それは白鳳鵬をモチーフにしたデザイン。

 襟章の数字は“Ⅰ”、つまりはうちの一年生ということになるが……。


「……あっ」


 ぼやけたように呟く向かいの男。

 どうやら相手の三人もこちらの制服に気が付いたようだ。

 自分の襟元にあるのは“Ⅱ”のエンブレム。

 薄暗いとはいえ、街灯を反射するそれに気が付かないことはないだろう。


「はぁ…………お前ら、そんな目立つ格好で何をやってるんだか……」


 黒の詰襟ならまだしも、白の詰襟なんて近辺には白鳳鵬しかない。

 見る人が見れば、一発で学校に連絡がいくだろう。


「い、いえ、あの、これはっすね……?」

「……ほら。今なら見逃してやるからさっさと行け。ただし、次はないぞ?」

「はっ、はい! ありがとうございます!」


 しっしっ、とでもいうように手の甲を男たちに向けてひらひらと振る。

 そうして、そそくさと取り巻きを連れて逃げていく三人。


(おい、いくら上級生ったってこっちは三人だろ? 黙らせちまえばよかったんじゃねーか?)

(ば、馬鹿っ! あの人、二年の“海士坂先輩”だぞ! 敵に回したら、もうあの学校で生きていけねーよ!)

(げっ……! ってことは、あの完璧妹超人(シスボーグ)か――!?)


 去り際にぶつぶつと言う様子から、遺憾ながらどうも自分のことを知っているらしい。

 しかし、一体どういう風に彼らに伝わっているのか、甚だ疑問ではあるが……。

 まぁ、これで平穏に収まるならそれに越したことはないか。


「……平気か?」


 囲まれていた方の小柄な男子を見る。

 平凡な黒い詰襟の制服の胸元に(あつら)えられているのは名札。

 つまりは中学生だ。

 ここいらにある中学なら、妹が通う鳥水木中学だろう。


 あいつら……寄りによって中学生からたかってたのか……。


 人知れず、ぶつぶつと零してしまったのは、耐え切れないものを感じたせいだろうか。

 全くもって救いようの無い連中だ。

 学生会を経由して、厳罰に処すことは可能だが……その怒りの矛先がこの中学生に向かうことだけは避けたい。

 ひとまずは、様子を伺う方が無難か。


「…………」


 対する、おびえた様子の中学生からの返答はない。

 無理もない。

 中学生でなくても、高校生三人に単身絡まれれば恐怖を感じるだろう。

 自分のような余程の例外を除けば。

 見た限り、失礼ながら不健康そうな顔色を覗けば、少年に外傷はなさそうだった。

 それならば、変にこの少年のプライドに触らない方が良いかと、静かにその場を後にすることにする。


「白鳳鵬二年、海士坂裕之だ。何かあればすぐに声を掛けてくれ」


 そう残して背中を向けると、ぽつりと小さく呟く声が耳に届いた。


「海士……坂……?」


 路地を出た後も、身を隠してしばらく様子を伺っていたが、すぐに少年が出てくることはなかった。

 やや気にはなったが、再度携帯を見ると、どうも悶着を起こしている間に妹が帰宅を済ませてしまったようだ。

 いかん、あまり遅れると、部活で消費した妹が空腹に(さいな)まれてしまう。

 決して、いや、断じて妹はフードファイターのような大食い系女子ではないが、今は大事な成長期の真っ只中だ。

 すぐに夕飯の支度に取り掛からなくてはならない。

 またもや俺は、自宅へ向けて走る羽目となった。


「ふっ、ふっ、ふっ…………ん? ――しっ、しまったあぁぁぁっ!」


 ガシャガシャと揺れるのは、右手に下げられたエコバッグ。

 その半透明な袋が映し出すのは、同じく透明なはずの卵パック。


 ――それが、黄色く滲んでいた。


「や、厄日だ……」


 割れたから捨てるなど言語道断。懸命に産んでくれたニワトリに申し訳が立たない。

 夕飯――いや、明日のマイ弁当は卵料理尽くしになるのだろう。

 俺は重い胸に溜まった空気を吐き出すのであった。



 兄道心得――。


 妹に大量のコレステロールを与えてはならない。



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