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2.兄道回想始まり

 


「よし……一丁あがりだ」


 最後の盛り付けを終えて、弁当箱の蓋を閉める。

 もちろん、ゴハンの熱気は十分に取った後だ。

 おかずの用意も、大抵は前日に済ませてあるので、朝の手間はそれほどではない。


『続いて、ウェザーニュースです。本日は、北海道から九州にかけて広い範囲で晴れ。絶好のお出かけ日和と……』


 点けておいたテレビから、今日の天気予報が聞こえてくる。

 ほぼ全域に渡って晴れるなら、雨の心配はなさそうだ。

 向かうのは、脱衣所に据えられた洗濯機。

 起きる時間に洗濯が終了するようにセットされたドラムドアを開き、中の衣類を取り出す。

 取り出したそれらは、色素の薄いものばかり。

 次は、色素の強い洗濯物を詰め込んで、帰宅時間に合わせてセットする。


「染みが心配だったが……うむ、綺麗に落ちているな」


 ハンカチを広げつつ、うんうんと頷いた。

 染みの原因は、夕べのトマトソースだ。


「しかし、結衣のやつ、ティッシュがあるのに即座にハンカチで拭うとは……」


 ちなみに、拭われたのは自分の口元なので、いそいそと染み抜き作業に移ったものの自分が文句を言える立場にはない。


「……マズいな。思ったよりも時間が押している。さっさと干してしまおう」


 白物は、一部シャツを除き、タオルやインナー、下着類が大半だ。

 パンパン、と皺を伸ばすように軽く広げていく。


「…………」


 そこで順々と行っていた手がピタリと止まった。

 手にしているのは、白い三角地の布――いわゆるパンティと呼ばれる着衣。

 無論、マイブーメランおパンツというオチではない。

 誰のものかと言えば、それは見慣れた結衣のもの。


「見慣れた……か。あまり良くはないな」


 妹は中学三年生。

 無邪気に昼寝を……じゃなかった、それはいい。あれは我が魂に訴えかける名歌だ。断じて男の子は可哀想なメカニズムなどではない。


 話を戻そう。

 そう、妹も本来であれば思春期真っ盛りな年頃の女の子。

 下着など日々変わって然るべき存在。それなりに買い与えていたつもりではあった。

 しかし、それが見慣れたとなれば、随分とこの下着を長く愛用しているということになるのではないか。

 あくまでつもりはつもり。男と女とでは必要数が異なるに違いない。

 何せ男が下着を汚す日など、夢の中に妹が出て来た時以外にはあり得ない。


「いかんな……」


 結衣が俺に気を遣っているのだろうか。

 一度、きちんと言っておいた方が良いかもしれない。

 図らずも兄妹二人暮らしとなってしまっているが、生活費は余裕があり余るほどに両親の双方から送られてきている。

 その上、いざという時の為の個人的貯蓄(結衣専用口座)もそれなりの額にはなっていた。

 うむ、今週のデイトレも中々に好調だ。この分ならばまた妹口座が増加するに違いない。ふははは。

 そうだ。

 下着に限らず、女子たるもの着衣にはもっと気を配るべきだ。兄として。


 そうして、妹の下着を広げたまましげしげと眺めていると、


「おはよう。お兄ちゃん!」


 脱衣所の扉の先、目が合ったのは当人こと妹の結衣だ。

 既に着替えは済ませているらしく、格好は地元中学のセーラー服。


「おはよう、結衣……あぁ、すまない。洗面台か」


 脱衣所は洗面所も兼ねている。

 場所を空けねば、妹が使えないというわけだ。

 即座に明け渡すため、広げていたパンツを篭に移し、他の衣類と併せて両手に下げる。

 こちらの作業は、サンルームに移動してからでも問題はないからだ。

 何せ女の子の身だしなみに要する時間は、男子の比ではない。

 兄は迅速に去るべし。


「あ、あの……お兄ちゃん……?」


 立ち去ろうとした背中に声が掛けられる。

 篭を壁紙に擦らないよう気を付けつつ、後ろを振り向くと、


「その……さっきの――」

「結衣」


 口ごもる妹を、名前を呼んできっぱりと遮った。

 考えてみれば、ちょうど良いタイミングだ。


「今度、アイオンモールに行かないか? 色々と買いたいものがある。良かったら手伝って欲しいんだが」

「え……あ。う、うん! 分かった!」


 そうして小脇に挟んだことで空いた右手で、頭をポンポンと撫でてやる。

 こうするとふやけたような顔になるのが可愛い俺の妹だ。


 ……何か疑問でもあろうか。


 兄妹間において、兄が妹のパンツを洗濯していて何らおかしいところなどあるはずがない。



 そう、兄道心得――。


 兄は、常に妹に気を配るべし。



 ――と。


「その……お兄ちゃん?」

「なんだ?」


 先ほどの続きだろうか。

 若干、もじもじした様子で言葉を続けてくる我が妹。


「前にも…………そんな感じでわたしのパンツ被ろうとしてたことがあった……よね?」


 なん……だと……?


 妹の発言に我が耳を、鼓膜を、三半規管を疑っ――いや、ここで平衡感覚が揺らいでいるのは正常か。置いておこう。

 そして、兄は兄である自身を疑ってはいけない。常に自身に自信を持つべきだ。


「………………かの有名な軍師、HK諸葛亮は言った」


 俺の(ぜつ)が、現状を打破する最適解を形作る為に滑らかに動き始める。


「あれは映画メディアの狡猾な罠だ――と」


 く、苦しいか――!?

 だが、しかし、全てがまったくの嘘という訳でもない!


 そう……あれは今から二年ほど遡った時のことだ……。(遠い目)

 受験に疲れた俺は、ついつい目にしたサイトの面白そうなキャッチコピーと予告に魅せられ……そして、神々しいまでの現物を眼前にした。

 結衣ならば万が一見つかっても冗談で済むだろう――なんて甘い考えからついつい俺はその誘惑という名の魔の手屈し……。


 フッ。俺は妹の味方だが、どうやら下着は俺の味方ではないらしい。


 ――だが、恐れることはない。


 何故なら俺は、結衣の“兄”だからだ!


「……思えば、あの頃は俺も若かった。笑ってくれ。一時とはいえ、思春期という酸い感情に惑わされたこの兄を」


 顎に指を乗せて決めてはみたものの、手には例の聖布がそのままだった。

 慌ててスウェットズボンのポケットへと仕舞い込む。


「そう……かな? こっそり眺めてたら、今日はもしかしたら~と思ってちょっと期待してたんだけど……」

「ほ、ほう……残念ながら、その期待が叶うことはなさそうだ」


 きっぱりと断言した俺だが、さすがにこの反応は予想の斜め上だった。

 誰より近しい妹とはいえ、俺にもまだまだ知らないところもあるらしい。


 ――しかし、あえて言おう。


 やましい感情など断じて、これっぽっちも、微塵の欠片もミトコンドリアも、ましてや素粒子のサイズほどもないのだと――!!


 …………いや、それはさすがに言い過ぎか?


 そもそも、だ。

 そんな邪念を抱いていたら、だ――おちおち洗濯なんてしていられないだろう。

 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦。

 よし、落ち着いた。


「じゃあ、今度。お兄ちゃんが被りたくなるようなすっごいヤツ用意するね!」

「……………………あいや待つよろし?」


 一瞬だが、言うべき言葉を失った。

 予想という名の異次元障壁を、大型ハドロン衝突型加速器の出力で突破された気分だ。

 その“今度”というのは、もしや、ショッピングモールツアーでさらには俺に選ばせるつもりじゃあるまいな?

 良心全快の微笑みで両拳をぐっと握りながらなんという台詞を口走ってるんだお(まい)は。


「沽券の為に一応だ。一応、言っておくが……何を! 買っても! 俺は被らない!」


 そ、そこで「無念だ……」とでもいうようなまるで本懐を成し遂げなかった戦国武者のような表情をするか――!?

 お前は、どこまで俺に鈴木○平を期待しているのか!

 だが、この状況か、俺が妹に掛けられる温かい言葉など存在しない。

 氷のようなこの兄を許してくれ!


「……す、すまないが、俺は朝食の支度と洗濯物を干してこなければならない」

「あっ。うん……邪魔してごめんね?」

「大丈夫だ、問題ない」


 今後の妹のアンダーな装備に少々不安は生じたが、それはまた別だ。

 こうして。晴れやかに妹の頭を撫でた後、俺は逃げるようにサンルームへと駆け込むのであった。

 やがて告げる電子アラーム音に、二人は揃って登校する。

 俺は高校、妹は中学へ。



 兄道教訓――。


 壁に妹の目あり、障子に妹の耳あり。



 これも平常運行の日々なり。




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