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14.お兄ちゃん、ペケ男を知る

 



 翌朝。


 昨夜の喧嘩のせいだろう。

 顔や身体の至る所に大小の擦り傷があった。あちこちから焼けつくような痛みが走っている。

 やはり、路上で大技なんてかますものではない。


「……何があったの?」


 さすがの魔王もぎょっとしていた。

 微妙に頬が引き攣っているのも、いい気味である。

 正直に答えるわけにもいかないので、


「階段から落ちただけです」


 上手く誤魔化せたかは分からないが、それきり魔王もだんまりを決め込んだ。

 ちゃんと朝食も用意してるのだから文句はないはずだ。

 にしても、妹に会うという本懐が達成できなかったのが無念。

 今夜もう一度決行しよう。


 とりあえず、学校に向かうため家を出る。


「なんだ?」


 家を出てすぐ、何か黒い小さなものが視界を横切った気がする。

 そのまましばらく見つめてみるが、何か出てくる様子な動く気配もない。


「……気のせいか」


 小動物か何かだろうと決めつける。

 気に掛けても仕方ないので、大人しく学校へ向かうことにした。




 ◇




 通い慣れない通学路をテクテクと歩き、鳥水木中にご到着。

 眼前にそびえるのは、地域で一番の大木。


(おはよう)


 ――おはよう、メタセコイアくん。いつ見ても君は大きいね。今日も四階建て校舎よりも高い。


 胸に片手を当て、物言わぬ記念樹と心で挨拶を交わす。


(いずれ私は世界樹になるのだ)


 ――頑張って。


 天を突く頃には何年掛かることやら。それ以前に可能なのか。

 随分と大きな野望の持ち主だが、生きている内にお目に掛かれそうにはない。


 最後に会釈をして正面玄関へと向かった――わけだが。


「…………なんでやねん」


 昨日購買で買ったばかりの新品の上履きがいきなり消失している。

 何度開け閉めをしても姿を現す気配はない。

 誰かが間違えて履いて行ってるのだろうか。そうだとするとネームを入れてないから絶対に分からないぞ。

 二日目も安スリッパスタートの学校生活ということで初っ端から少し憂鬱になった。


「あれ? 今日もスリッパなんだ?」

「どうも誰か上履きを間違えてるみたいでね」


 クラスメイトのにこやか男子に答える。

 スリッパの何がそんなに面白いのか。面倒になったので口調もそのままだ。

 人間、気分は非常に重要な役割を担っているよ。


「――こっ、これは!」


 教室の戸をガラリと開けた瞬間、キュピーンとセブンセンシズが足先から頭頂部までを貫いた。

 一瞬にして全ての鬱を吹き飛ばす存在がそこにある。


「ま……間違いない……!」


 気配、匂い、存在感。

 間違えようがない。

 俺はその根源をフォーカスで辿った。


 キタ――――!


 視界の中央に拡大されるシルエット。

 窓辺の日差しを受けて薄茶に輝く、色素の薄い長い黒髪。

 笑う瞳は長いまつ毛に隠れ、頬はほんのりピンクに上気し、リップクリームを塗った唇は瑞々しい果実のようにぷるんとした弾力を感じさせる。

 そんな少女は、地域でも人気の高い鳥水木のセーラー服がこの世界で最もよく似合うであろう。


 震える手、足、唇。

 小さく小さく二文字を絞り出した。


「結……衣……」


 ピント以外の描写が全て切り離される。

 感動に打ち震え、気を抜けば涙が溢れ出てしまいそう。

 一歩。一歩。

 俺はゆっくりと窓際へ。結衣の元へと近付いていった。

 フォーカスから外れた机の角が俺の腿に直撃するが、痛みは一切感じない。

 ただただ俺は、俺を待つ運命の元へ足を運ぶのみ。


「結衣……」


 名前を呼ぶ。

 もはや眼前だ。

 声が聞こえたのだろう、こちらを振り返った。

 あぁ、なんて可愛い。さすがは俺の妹。世界で最も可愛いマイシスター。


 俺の手がゆっくりと妹の頭に伸びる。


 そうだ。

 このまま首の後ろに回して抱き寄せよう。それがいい。


 そんな俺の手が一瞬で真上に跳ね上がった。


「…………は?」


 何だ。一体何が起きた?

 後から来る痺れと強烈な痛み。

 反対の手で手首を無意識に抑える。

 妹が、結衣が脅えた目をしている。一体何が……?


「テメェ……」


 鋭い眼光に大きなバッテン。

 目が合ったのは例のペケ男だ。

 持ち上がっていた足がゆっくりと床に着く。

 その動作でようやく状況を飲み込んだ。

 この男が、俺の右手を蹴りあげたのだ。


 ――この俺と結衣の、感動の再開を邪魔したのか!


「許さん……」

「あ?」


 俺の心に明確な怒りが湧き上がった。


「絶対に許さんぞ、このペケ男!」

「あぁ!?」


 向こうも言葉尻に怒気を孕んでいる。

 一歩も引かない眼の付け合いだ。

 こちらの身長は150台、対し向こうは180強。

 上と下の目線が、数センチの間合いを保って火花を散らす。

 同時に振り上げられる拳。

 それが相手の顔面を狙って放たれる――一瞬のの直前。


「――けっ、喧嘩はダメだよ!」


「「――っ!」」


 結衣の声が二人の動きをビクリと制止させた。


 はっと意識が現実に引き戻される。

 そうだ、俺は妹の前で何をやっているんだ。

 弁明しようと横を振り向く、その刹那――


「んっ?」

「むっ?」


 むちゅっ。

 と唇に柔らかい何かが触れた。

 何ぞや? などと考えるまでもなく触れているものが何かを悟る。


「「………………」」


 言いたくはない。

 言えば現実を認めたことになる。

 だが、認めなければ行動を取ることができない。

 今、俺の口に触れているものについて。


 ――そう、ペケ男の唇だ。


 結衣は口を両手で抑え、顔を真っ赤にしている。

 その隣の女子も同様。というかクラス一同、顎が外れんばかりの勢いで脱帽状態だった。


「お、おま……おま……っ!」

「てっ、てっ……テんメェ……!」


 俺とペケ男の拳がブルブルと震え出した。

 これは怒りか、それとも恐怖か。それ以外の感情なのか。


「「俺の初めてを返せぇ――!!」」


 どかばきごすっ!

 とりあえず、二日目スタートは、朝礼前からペケ男との殴り合いに発展したのだった。




 ◇




 そして、またもや保健室へ。

 顔や腹には複数の痣がある。無論、背中にはない。背中の傷は恥だ。


 しかし、何だろう。二日目にして連続で保健室ってどういうことなの。

 これでせめて養護教諭が紫雲先生――公立病院の担当医のように生足ムチムチバインの女医さんならまだしも。


「おっさんは……白衣のおっさんはつらいだろ……」

「そ~いうのは普通口に出すもんじゃないでしょお~よお~」


 のへーというかぼへーといった雰囲気を持つ養護教諭。

 名前は田口とごくごくあり触れた普通のお名前。

 近眼も進んでいるようで、牛乳瓶のような分厚いレンズの眼鏡を愛用している。しかも、微妙に欠けていたり。

 教諭歴も長く、年相応に毛髪もバーコード間近に退化してきている。現代医学をもってしてもやはり毛根までは養護不可能なのか。

 まあ勤続年数が長いこともあり、卒業以前にもしばしばお世話になった先生だ。

 あまり思い出したくはないが、これでも昔はジャックナイフのような時期があり保健室(送り)の常連さんだったのである。


「我が黒歴史である。てへっ」

「いやいや、喧嘩のひとつやふたつは男の勲章だよお~?」


 ついつい口から出てしまったが、怪我の容態と勘違いをしたのだろう。およそ先生らしくない返答があった。

 男子生徒は少しくらい元気な方がいいと、少々の喧嘩なら目を瞑ってくれる。田口先生とはそんなお人柄だ。


「今の子たちはまだ可愛いもんだよ。二年前に卒業していった子たちはもっと酷かったからねえ~」

「へぇ」


 二年前というと、ちょうど自分が卒業した年だ。

 とても耳が痛い。まるで我がことのように。


「校内で暴れていたのが偏差値でも県内のワンツーの子だったからねぇ。学校側も怒るに怒れず手を焼いていたんだよお~」

「そ、そうなんですか……」


 輝かしい二年前の卒業生たちの栄光。というか悪名。

 あーあー聞こえないよー。(←両耳を手の平でトントン叩きながら)


「ま~今もひとりだけちょっと危ない子がいるんだけどね~」

「そうなんですか?」


 このぼへ~タイプが言うからには、それ相応の生徒なのだろう。

 できればあまり関わり合いにはなりたくない。特に妹とは。


「本当は心優しい子なんだけどね~。皆に勘違いをされるっていうか、わざわざされ易いよ~な行動を取っちゃうんだよね~」

「はっはっは。まるでどこぞ海士坂ヒロユキ先輩のようですね」

「……いや。あの子は真性の危険人物だったよ?」

「………………」

「もし知り合いなら、君も交友は考えようね?」


 おい。

 何故そこで口調が素に戻るんだ、この薄ハゲ。

 ガムテープの刑に処すぞ。


「ま~、友人と妹さんに恵まれたんだろうねえ~彼は~。今は真っ当な人生を歩んでるってお話だ」

「それはごもっとも」


 ミツヤと結衣がいなければ、今頃はダメ人間街道まっしぐらだった。

 それだけは断言できる。


「それで~、君は誰と喧嘩したんだい~? 先生の記憶じゃ、数馬くんはそういう生徒じゃなかったと思うんだけどなあ~」


 ですよね。

 たかが高校生三人に囲まれてお財布を差し出そうとする中学生男子だ。

 とても気弱な子である。


「相手の名前は分からないんですけど、同じクラスで額にバッテン傷のある生徒です」

「……………………」


 だから、何故そこで黙りこくるんだ。

 レンズが反射して表情がまるで読めないってばよ。


「……えっと、人違いじゃないのかい?」

「この学校には額にバッテンの生徒がそんなに居るんですか?」

「いや…………さすがに一人しか心当たりないかなあ……」


 そりゃそうだろうよ。あんなのが学校に何人も居てたまるか。

 どこの人斬りもしくは軍事財閥の一族だよ。


「でもねえ、その子。そんなことするよーな子じゃあないんだけどなあ~」

「今にも人殺しそうな眼つきしてますけど?」

「そういうことを言っちゃあいけないよお~。見かけで判断するのは、人として絶対にやっちゃあダメだ」

「……すいません。先生のおっしゃる通りです」


 正論。

 この先生は、生徒を偏見で判断しない。ある意味では生活指導や体育教師に見習って欲しいほど真っ直ぐな人物なのだ。


「うんうん。反省するのは良いことだよお~。じゃないと二年前の先輩みたいになっちゃうからねえ~? あっはっは」

「………………ぷち」


 ただし、一言余計。

 つい俺のバイブルブラックが発動しそうになってしまった。


「それで、そのバッテンの生徒はどういった感じなんですか?」

「う~ん……喧嘩をしたっていうのが本当なら、君には誤解のないように話しておいた方がいいかもしれないねえ~」

「誤解? 喧嘩というか殴り合ったのなら本当ですけど……」

「君がねえ~?」


 凄い疑わしい目線を投げ掛けられている。

 この目線はあれだ。中学生当時、「俺は悪くないんだ!」とおっさんに告げた時に向けられたあの目線に近しい。

 つまるところ、信用をされていない。


「だって、この学校の生徒じゃあ彼と喧嘩なんて成立しないもの」

「どういうことです?」

「だって高校生を一撃ノックアウトするような子だよお~? 成立しないでしょお~」

「……それは確かに」


 危なすぎるぞ。ペケ男。

 三人組じゃなくてアイツの方が暴行の常習犯だったのか。


「でも、彼にはきちんと理由があってやってるらねえ~」

「その理由とやらを聞いても?」

「うーん、うーん………………絶対に、本人には内緒だよ?」


 念を押す先生に俺は小さく首を縦に振った。


「彼ね。この学校の生徒を狙う高校生をこっそりとっちめてるんだよお」


 何とびっくり。

 それは増えてしまう瞬きを抑え切れない。


「だからね。君たちの先輩とは立場がちょおっと違うんだよねえ~……」

「………………おい」


 いつの日か、このおっさんの毛髪を毟ってやろう。

 おっさんが泣くまで、俺は、毟るのをやめない。




 ◇




「俺は、あのペケ男のことを見誤っていたようだ」


 帰宅後。

 俺は自室のプッシュアップバーを握りながら一人ごちていた。アブローラーにも挑戦してみたが、まだ早いようだ。立ちコロが一回もできない。

 田口先生の話が本当ならば、中学生を脅していた例の三人組に仕返しに行っていたことになる。


 それは、つまりだ。


「……この少年の恩人ではないか」


 結果的に俺が動かずとも、最終的にはクラス内で解決されていたということになる。

 むしろ、俺が行った平和的な試みでは改善されず、時に暴力はより強い暴力でしか解決できないこともあるのやもしれない。


「暴力は何も生み出さない――田口先生にもよく言われたが、少なくともアイツの暴力は俺に正の感情を産み付けたってわけか」


 アイツの暴力は、結果的には俺にはデメリットしか与えていない。

 何しろ、ただ殴られただけだ。

 最後には三人組から助けられた形にはなったものの、それとて俺がペケ男を助けに入ったからそうなったわけで。

 そもそもペケ男があの場にいなければ俺が間に入る必要もなかったのだ。


 そうだ。そうなのだ。


「むう……釈然としないぞ……」


 うがー、とゴロゴロとフローリングの上を転がってみるも思考の改善は見られない。

 一体何が気に入らないというのだ、俺は。

 こういう時は、心の女神――妹に相談してみよう。


「というわけなのだが、結衣」


 ――うん。お兄ちゃんは悪くないよ。

 ――お兄ちゃんは世界で一番かっこよくて、頭が良くて、強くて、優しいんだよ。


「……ありがとう」


 よし。元気が出てきた。まるで後光が射したようだ。

 やはり、俺は妹がいないとダメだな。反省。

 こうして心が穏やかになれば、何が不満だったのかすぐに思い当たるではないか。


「そうだ。俺は、俺の知らないところでペケ男と結衣がクラスメイトとして雑談をできるような親し気な間柄であることが気に入らなかったんだ……」


 いや待て。


 いくら何でも俺はそこまで心の狭い兄ではない。

 結衣にも結衣の生活があって、当然のように友達がいっぱいいて、そこには男友達もいて、実はボーイフレンドもいて、俺の知らないところで会話なんかもしてて、二人でカラオケなんかにも行ったりして……


「――よし。アイツを樹海に埋めよう」


 だから待て!


 我ながらどこか「よし」なのかまるで意味が分からないではないか。

 実の兄が犯罪で朝刊の紙面を飾ったら妹は泣くぞ。世間からも酷いバッシングだ。

 うむ。兄は耐えるぞ。辛いが耐えるぞ。そうだ、結衣が幸せなら俺は……


「……ゴロヂデヤル……ゴロヂデヤル……ゴロヂ……」


 ……はっ!


 いかん。危うく殺意に呑まれ赤い槍で串刺しにされるところだった。

 天井に向かって手をわきわき伸ばしている場合ではない。

 こうわきわきもにゅもにゅと。


 む? この手に掴む柔らかな感触はなんだろうか?


「………………」

「………………」


 おかしいな。

 目の錯覚が、眼前に赤色の悪魔が見える。


「………………」

「………………」


 うむ、赤色の悪魔だ。白の量産型ではない。少し安心した。

 そして、俺の気が確かならば、そのハンズオブグローリーは、豊かな双丘の片方を激しく揉みしだいているではないか。


 もにゅもにゅ。


 おぉ、どうしてこれは。中々の触感……。


「……あぁ。なんだ夢か」

「夢か――じゃあないでしょうが! また怪我増やして帰ってきて、人が珍しく心配してあげれば思い切り胸を揉み腐りやがって!」


 ズドン。


 そして、口からはキラキラのイリュージョン。

 俺の意識は、ロ●ギヌスの足によって刈り取られた。


 おやすみなさい。



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