12.お兄ちゃん中学校へ行くその2
「それじゃあ、先週のテストを返却するぞ」
教壇の教師が告げる。
教室内がわずかにざわついた。
ここで分かれるのは、自信がある者とそうで無い者。
落ち着いた表情、あるいは静かに口元を緩ませているヤツは勉強組。
「え~、自信ないよ~」なんて言っているヤツも要注意。
この世の終わりのような顔をしている連中よりはマシか。
そして、意外にも平然としている隣のペケ男。
「じゃあ、点数順に呼んでいくから取りに来い」
中々の鬼畜ぷりじゃないか。
さすがに公開まではしないようだが、点数の良いヤツ悪いヤツが丸わかり。
だが、受けたのは自分でなく少年なので文字通り他人ごとだ。
……ふむ。
そういえば、正式なクラスメイトでないにしろ、いつまでこのクラスで過ごすのかは定かでない。
ここいらで少しチェックしておくのも悪くはないな。
そうして、順々に名前が呼ばれ、返却をされていった。
――10人。
――20人。
まだ返ってこない。
――25人。
――26人。
――27人。
まだ呼ばれない。
おぉ、意外に頭いいのかこの少年。
正直、見くびっていた。
――28人。
そして、
「数馬」
「はい」
事前に心構えをしていたので、少年の名で呼ばれてもきちんと反応することができた。
これが不意打ちであれば完全スルーもあり得る。
席を立ち、教壇前まで答案を受け取りにいく。
しかし、2/30位か。自分ではないのに、またミツヤに負けたようで悔しい。いずれ返上せねばなるまい。
「もっと勉強しておけよ」
「はい」
1位を目指せと言うか。中々に話の分かる教師だ。
確か国語担当だったな。直接習ったことはないが見覚えはある。
その場で答案を確認する。
…………ホワイ?
そこに記されている数字――つまるところは点数。
二重の縦棒の横に赤字で大きく“∞”と書かれていた。
「インフィニティ?」
「馬鹿。8点だ」
「ばっ……」
馬鹿? この教師、今生徒に対し馬鹿と言わなかったか?
教育委員会に告訴するぞ。
だが、そんな思考も吹き飛ぶくらいの衝撃を俺の頭脳を襲った。
後方から届くのは、クスクスという笑い声だ。
「8点……この俺が8点だと……?」
「少しは勉強しろ」
「くっ……!」
自分のことではないのに、まるで自分のことのように悔しい。
当然か。何せ今は当事者なのだ。これではまさに自分が赤点を取ったようではないか。
今すぐ大声で「ちくしょおぉぉぉぉぉぉ!」とグランドを一蹴してやりたいくらいの無念に責められている。
お前ら、笑いたいならせめて堂々と笑え!
こうして、週明けの初日は中間考査の返却ラッシュだった。
時期的に先週がテストだったのだろう。となると普通の流れとも言える。
問題は、そのどれもこれもが赤点ということだ。
五教科の合計点数は驚きの52点。
合計点数が俺の偏差値より低いとはどういう理屈だろうか。
こうして、次の土曜日は俺の追試が確定した。
猶予的に鬼畜、だが問題は変わらないらしく意外と親切設計。
ちなにみ30位――最下位はというと存在しない。
理由は不明だが、どうにもペケ男はテストを受けていないようで返却すらされていなかった。
そりゃあ余裕をかましていられるわけだよ。
◇
いよいよ本日ラストのチャイムが鳴る。
長く辛い一日だった。色々な意味で。俺のガラスのプライドは粉々である。
あの後は当たらず障らずみたいなクラスメイトの対応を受け、何とか登校初日の終業を無事に終えることができた。
腫れ物扱いだったのは隣人とテストのせいだろう。
その隣人に教科書を借りようにも持っていないことはリサーチ済。何せ鞄らしき物すらなく、手ぶらなのだ。何しに学校に来ているやら。
それと前席は結局欠席した。孤島の浮島、まさに四面楚歌。
隣のクラスまで借りに行ってみたのだが断られる始末。戦況は孤立したままだった。できれば妹枠で援軍を要請したい。
「では、俺は帰る。また明日」
一応は隣人。唯一の隣人。左は窓だし。帰りの挨拶くらいはしておいてやろう。
「………………」
もちろんのこと無言だ。割と切ない。
それらしく「あばよ」くらい言ったらどうなのだ、このペケ男め。
十字疵をマッキーで黒塗りにしてしまうぞ。
持ってきた参考書を鞄に詰め直し、いざ帰宅。
しかし、呼び止められる。
「……先生が呼んでるよ」
入口の女子Aだ。命名は今。
左がAで右がBということにしておく。名前を知らないしな。
とはいえ、伝達ご苦労である。
「ありがとう」
爽やかに礼を言っておこう。
ここでいつもならば女生徒が顔を赤らめるものだが、目を逸らされるのもそれはそれで新鮮だ。ハートが痛い。
「あの……身体、大丈夫だった?」
目を逸らしながらも、おどおどと尋ねられる。
今朝の一件だろう、心配してくれているのは正直に嬉しい。君の株が上がったよ。
「問題ない。あまり役には立たなかったが脂肪がたっぷりある」
「そ、そう」
女子Aの反応に困らせてしまった。
防御だけでなくジョークにすら役に立たない脂肪だ。
時間は掛かりそうだが、いずれは全て筋線維に鍛え直そう。
ということで職員室へゴー。
……むしろ、呼ぶのが遅くないかとも思う。
◇
「今日は大変だったらしいな」
開口一番に教師が言った。
三年二組の担任の八代先生。卒業後の赴任らしく当時に覚えはない。
短く刈り込まれた髪に無精髭。その他大きな特徴はない。
担当は体育。よって体育の無い日の接点はホームルームのみだが、臨時の職員会議があったそうだ。
理由には察しがついた。
「大変です」
登校直後のミドルキック。
休み時間に保健室に寄ったら思っていた以上の痣になっていた。軟弱なボディである。
今日の入浴は控えて低音シャワーだけに留めておこう。
「頭の方は大丈夫なのか?」
「その言い方はどうかと」
まるで頭の出来が悪いみたいな言い方ではないか。
これでも全国統一テストで名前が乗る程度の偏差値はあるのだぞ。
「わ、悪い……そういう意味じゃないんだ。その、先日は病院の世話になったと聞いてな。心配したんだぞ」
そのように取って付けたような笑顔で言われても嬉しくも何ともない。
俺の生徒にもしものことがあったら、俺の経歴に傷が付く――そう言わんばかりの態度だ。
なるほど、会議の議題はそっちの件か。
ただ、それについてならば問題は多々ある。
何せ、俺の身体じゃないのだこのプニボディは。
「検査結果では問題はありませんでした。学業に勤しみます」
それを口にするわけにもいかず、ありきたりに無難な返答をしておく。
そういえば、この教師はどこまで知っているのだろう。
「その、部活については?」
「部活? あぁ、そういえば記憶障害があるんだったな」
病院側あるいは保護者からの連絡だろう。
さすがにその程度は知っているらしい。
「検討中、つまりは無所属だ」
「なるほど」
三年生にもなって検討中はない。平たく言うと帰宅部ではないか。
家事に金策に鍛練、そして勉強。部活動のリミットが残り二ヶ月とはいえ有り難くもある。
「こういうのも何だが……今からでも部活に入らないか?」
今は五月の下旬。
夏休み前には三年の部活は強豪やスポーツ推薦組を除けば終了だ。
こんな時期に来て入部なんてそうそう聞く話ではない。
「今さら? どれはどうしてですか?」
「就職するにも内申は必要だろう」
そのひと言で担任の事情を察した。
あの成績かつ帰宅部では、内申に書けることがないのだろう。
例えば「とても思いやりのある生徒です」とだけ書かれれば、あぁ他に書くことがないんだろうなぁと解釈されて終わり。
特に就職に関して帰宅部は非常に評価低い。
自分の人生ではないが、ここはひとつ考慮してみよう。
「考えておきます」
「お。いつもよりも前向きな返答だな!」
教師の顔がぱっと明るくなった。
「そうですか?」
「あぁ。顔つきもどこか違う。前は目も合わせようとしてくれなかったんだが……うんうん、良い傾向だ!」
不躾な前言は撤回しよう。
この教師は教師でそれなりに少年のことを様子を観察していたようだ。
保身だと考えていた浅慮が恥ずかしい。
「じゃあ、先生の出世のためにも頼むぞ?」
「…………はい」
やはり、その前言も撤回だ。
裏表がない点だけは評価しておこう。
部活も鍛練ついでだと考えれば良いか。
せっかくだし部室棟を覗いて行くとしよう。
◇
ここは鳥水木中学の部室棟。
その名の通り、主に文科系の部室をメインに建てられた校舎である。
教室棟と比べると規模は小さく、本校舎とは一階の渡り廊下で繋がるのみ。
従って移動の不便な二階、三階はマイナーな部活が多く、また運動部は問答無用で一階を与えられている優遇ぷり。
出入りを考えれば当然か。
「と、やって来たまではいいんだが……」
果たして、こんな時期になって受け入れてくれる部活などあるのか。
最後の大会を迎える運動部は躍起になっており、今さら三年の新入部員など門前払い。
つまり、鍛練ついでという作戦はいきなり頓挫した。
もし入部できるならば文科系の方だろう。
二階から上を回るしかない。
茶道部、華道部、将棋部、美術部、ブラスバンド部、調理部、鉄道部、写真部、科学研究部、人間観察部、天文部、漫研、造形部……。
案内図を見る。
一部妙な部活も混ざっているようだが、大きなところでは二年前と変わりない。それもそうか。
やはり身体を鍛えられそうな文化部などはなさそうだ。
心得で考えれば、将棋、芸術、ブラスバンド、調理、写真、天文辺りは特に問題なし。
だが、写真部は除外だ。妹以外の被写体などは要らぬ。調理に関しても同様で、人間観察についても当て嵌めて良い。
となれば、未知の分野に踏み込んだ方がプラスになるだろう。
茶道。
華道。
鉄道。
科学。
漫研。
造形。
……最後の造形ってなんだ?
他は分かるが、これだけはイメージが湧かないぞ?
美術部が別にあるのだから、創作とは異なるのだろう。
よし、決めた。ここにしよう。
「頼もう」
【造形部】と書かれた室名札を確認し、扉を開く。
締め切られたカーテン、室内の明かりは蛍光灯のみ。
そして、ツンと鼻を突く特有の臭気。
これは――――友人の部屋で嗅いだことがある。
「「「…………(ジロリ)」」」
首だけが横に動き、一斉に視線が向けられた。鳥肌が立ちそうな光景だ。
「ど、どうも……」
いきなり先手を打たれた気分だ。初対面で負けた。インパクトで。
暗い。ひと言で表せば、全員の表情が底なし沼のように暗い。
紫外線? なにそれ? と言わんばかりに青白い顔が居並び、その誰もかもが眼鏡着用。
向かい合わせの白いデスクに座り、その上で必死に何かを削り、磨いている。デスクライトの角度のせいか、部員の顔には深い影が差していた。
「君は……一馬くんじゃないか」
どうやら既知の仲のようである。
率先して動いたのは、上座の男子。おそらくは部長。
坊ちゃん狩りに角眼鏡という典型スタイルだ。
「そうか。君も新たな技術を学びたくなったんだね……?」
ポン、と向かい合わせに肩を叩かれる。
部長の暗い笑顔が返って恐怖を感じる。
「自己流では限界があるよね? フフフ、ようやく君も分かってくれたか……」
眼鏡の奥の表情が読み取れない。
だが、分かる。静かに歓喜しているぞ、この男は。
「歓迎しよう。我が“造形部”へ――否」
自慢げに広げられた右腕。
その後ろに並べられた棚――ガラスケースには、見慣れた異形が立ち並んでいた。
美少女、美少女、美少女、エイリアン、美少女、美少女、美少女、変身ヒーロー、美少女、美少女、妖怪、美少女、ロボット、美少女……etc
「ようこそ、“2.5次元同好会”へ!」
高らかにそう告げられた。
兄道川柳――。
部活動 それ自体に 忌憚は無し
あぁ、ファンファーレが聞こえる……。
ミツヤよ。俺も道を誤ったのかもしれぬ……。
こちらではお久しぶりです。
少々ギャグ方面にシフトをしつつ、旧話から展開をコメディ寄りにすることにしました。