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10.お兄ちゃん本屋へ行く

 



 家庭内においてヒエラルキーの底辺だった自分が最底辺へと転落したとある日曜日の午後。

 さながら現実から逃避するように。有り体に言えば病院の帰り道とも言えるかもしれない。

 俺は買い物をする為、商店街へと繰り出していた。


「あれは、まさに現世に生きる鬼だった……」


 失態および過失は自分にあるとはいえ、弟が部屋に入っただけでバフリーズを撒き散らす家族が存在する事実に驚愕した。

 ちなみに、俺本体が浴びたのはバフリーズではなくキソチョールだったりする。

 もはや害虫扱いだ。

 日頃からあのような待遇を受けているとなれば、少年に同情の念を禁じ得ない。

 あの姉はいつか心から屈服させて足元にひれ伏させてやろう。返り討ちに遭わないためには、入念な準備が必要だ。

 もし聖戦に負けた場合、この小説はその時点でバッドエンドを迎えることになる。

 世界線的にはひとつの可能性事象としてあり得ても俺は本気で御免被るぞ。俺の心と身体は妹のものなのだ。


 ともあれだ。


 とりあえずは、服を調達する為に繁華街の衣類量販店へとやってきたのだが……。

 右手に目を向ける。

 握り締めている財布は少年の財布。長らく愛用しているのか、あちこちが傷んでいた。


「この金……使ってもいいのだろうか?」


 自分のものであって自分のものでない。他人のお金という事実に引け目を感じた。

 しかし、海士坂裕之の財布や通帳を手元に用意する手段がない以上はこれを使うしかないわけで。


「念の為、帳簿でもつけておいた方が無難か」


 後に何らかのトラブルが発生した時に役立つだろう、そう心に決める。

 覚悟を決めて少年の財布を確認すると、家庭が裕福なのか詳細は不明だが、中身はそれなりに潤っていた。

 今日いきなり買い物に困ることはなさそうだ。

 今後の収入に関してはさっぱり目処が立っていないが、幸い、少年の部屋には最新型のパソコンがマルチディスプレイで接続されている。

 口座問題さえ解決すれば、経済的に困ることはないだろう。


 そうして、適当に見繕った服に着替え、作り笑顔の女性店員に会釈をしてショップを後にする。

 道すがら、ショーウィンドウに映る自分を眺め見る。


 ――冴えない顔、中高年のような腹部。目線の高さは、小学生時代に遡る。


 完全に衣装負けしていたのだがこればかりはどうにもならない。

 成長を阻害しない程度の日々のウェイトトレーニングで補っていくしかないだろう。

 愚痴を零すのは、必要な努力を行った後だ。


「さて」


 このまま、家庭の必要品を調達しにホームセンターや百円ショップに行ってもよいのだが、さすがに少年の財布から出費を重ねるのは気が引けるが仕方がない。

 あとで、母親とも相談をした方がいいだろう。

 しかし、この冴えない少年はどちらの親に似たのだろうか。会うのが少し楽しみである。


 ――となると、だ。


 向かったのは書店。

 目的のコーナーは、参考書売り場だ。


「こっちも疎かにはできないしな」


 といっても中学受験の予習復習を行うわけではない。

 これでも、俺は白鳳鵬の学年トップだし……暫定ではあるが。おのれミツヤ。

 とりま、さすがに中三レベルの問題で躓くとは思い難い。

 高校受験当時はそれなりに苦労をしたが、そのおかげで今浮いた時間を少年の身体管理に費やせれば楽――なのだが、さもありなん。

 問題は、この少年の身体にいても高校生における俺の現実は容赦なく流れていくのだ。

 つまり、しっかりあっちの予習をしっかりしておかないと、いざ元の身体に戻った時にひとり取り残されてしまうという現実の世知辛さ。

 現代の浦島太郎なぞ端から御免である。


 そうして、目ぼしい参考書を篭に放り込んでいくと、かなりの量になってしまった。

 篭の持ち手が軋んでいる。

 反対の手の紙袋(中身は洋服)と合わせると相当な大荷物だ。

 これ以上の寄り道は厳しいだろう――など考えごとをしていると、


「むむっ?」


 ふと見たのは書店の一角、何やら挙動不審な少女が居る。

 きらびやかな私服の少女の年齢は……おそらくは少年と同じ頃だろうか。

 確信が持てないのは、少女がしている化粧のせいか。

 クラスでも一人二人はいそうな、人目を引く流行をちょっと進んでそうなタイプの女の子だった。

 高校にもいるが、向こうから絡んでくることはあっても自ら近付くことはあまりなく、お世辞にも慣れているとは言えない。

 少女は、周囲を確認すると、一瞬の間に本を上着の中へと忍ばせ、そのままトイレに入ってしまった。


「ほう。これはこれは……」


 様子を伺っていると、やがてトイレから出てきた少女は、先のポーカーフェイスではなく軽い表情へと変わっていた。

 腕で上着を押さえていない様子を見るに、先の本は鞄の中に移したと推測できるのだが……。

 その少女の足は、真っ直ぐ店の出口へと向かっている。

 店員が気付いている様子はなく、放っておいたら何事もなく店の外に出てしまうだろう。


 ――店員に伝えるべきか?


 仮にそうした場合、少女は間違いなく補導されるだろう。

 補導されれば家族はもちろん、中学にも連絡がいくはずだ。


「学校連絡か……」


 公立中学とはいえ、鳥水木中の風紀はそれなりに厳しい。

 一部に変り種の生徒こそいるものの、勉強にも力を入れており平均学力も高めである。

 もちろん、義務教育なので退学などの処罰はないが、そのレベルの犯罪となるとまず学校謹慎は逃れられないだろうし、事情が広まればクラスからも浮いてしまう恐れがあった。

 ここまでを0.5秒で思考したところで零す。


「うむ。割とどうでもいいな」


 問題は、そこではない。

 もし、このショップの店長、あるいは役職者がよくある変態だった場合だ――。


『なあ黙っていてやる代わりに……ぐふふ、分かってるよなぁ?』

『いっ、いやっ! やめてください! 近づかないで!』

『おおっとぉ? そういう態度取っちまうかぁ? 学校と親御さんに通報しちまってもいいのかなぁ? お嬢ちゃんよぉ?』

『ううっ。わ、分かりました……何でも言うこと聞きます。だから、周りには黙っていてください……!』

『そうそう。人間正直が一番だよねぇ? じゃあ……そいやぁ!』

『あぁっ、お母さんっ!』


 ……うーん。これは哀れだ。

 もし、妹に当て嵌めて考えた場合、俺はこの店長のサンドワームをブツ切りにした上で穴という穴から溶かした鉛を流し込んでしまうだろう。我ながら紳士だ。

 まあ妹が万引きなど、俺が存命している限りあり得ないがな。


「よし」


 そうして、色々と考慮した末に自ら泥を被ることにした。

 意を決して少女に声を掛ける。


「君、ちょっといいかな?」


 今まさに出ようとしていた少女だったが、真後から突然声を掛けられたことにより、ビクリと大きく肩を震わせた。

 少女の額には汗、恐る恐るといった様子でゆっくりと顔をこちらに向ける。


「…………って、なんだ。店員じゃないじゃんか」


 まるで緊張したのを損したとでも言うように、大きな吐息で安堵する少女。

 そのまま、何事もなかったかのように店を出ようとする。


「――って、待った待った!」

「な、何よ、うるさいわね!」


 引き止められた少女が怒り出す。

 理不尽なことこの上ないが、このまま入り口で言い合っていると付近の客の注視を浴びるだろう。

 そうなうと、いずれは店員にも気付かれてしまう。


「ここじゃ目立つから……ちょっと店の中に戻ってくれないかな?」

「はぁ? なんで戻らなきゃいけないのよ。意味わかんない」

「えーと……君の鞄の中にね――」


 こちらが告げる途中、キッ――と少女の眼つきが鋭くなった。


「見てたの? 女の子がトイレ行くシーンを? うわ、サイテー、気持ちわるっ……」

「………………」


 今、この少女は一体何を口にしたのか。


 サイテー……?

 きもちわる……?


「ま、まさかとは思うが、それは俺のことを言ってるのか……?」


 先とは逆転して、こちらの方が恐る恐るといった状態になる。


「は? なに、自覚してなかったの? このキモヲタのブタくん。ストーカーかっての。あ、もしかして図星だったりする? あはは、キッショ」


 さらに続く予想もしていない罵詈雑言。

 無意識に口をあんぐりと開けてしまった。


「ば…………ば…………」


 馬鹿な……。


 言葉にならないほどの衝撃を受けた。

 そんな台詞、いまだかつて言われたことはない。

 むしろ、自分と最も縁遠いとまで思っていた単語だ。

 あまりに受け入れなれない現実に、左右をキョロキョロを見回す。


「あんたよあんた。他に誰がいんのよ」

「な……ん……だと……?」


 自分を指差してみるが、それでも勘違いではないらしい。

 愉快そうにケラケラと笑う少女が微妙に愛らしくて憎らしい。間違いない、コイツは妹属性だ。


「お、俺が……キモヲタ……。ストーカー……」


 ――そんなはずはない! 


 全力で否定するも、今の俺の身体は少年だ。

 考えてみれば、行動如何によっては本気で妹のストーカーになり兼ねない。

 つまり、この少女の言い分も全く無縁と否定し切ることはできず、その現実を認識した結果、俺はダークなオーラを纏い、本気でその場にうな垂れた。


「ストーカー……結衣の……ストーカー……」


 ……いや、待てよ?


 よくよく考えると、俺はまだストーカー行為に及んだことは一度もない。

 つまり、未遂――いや、そもそも無実ではないか。

 よって、俺はまだストーカーではない。

 いや、まだというのもおかしいな。


 そもそも俺には……


「真実の愛がある」


 スポットライトが俺を中心に射した。

 論破だ。

 拳を握り締めて立ち上がると、向かいには既に誰もいなかった。

 付近を見回すが、周囲には遠巻きにこちらを不審がる客しか存在しない。


「し、しまった……!」


 ――なんと!


 これは、見事にしてやられたというべきか。

 店の外に出て、さらに周囲を見回しても少女の影は微塵も見当たらない。

 今から探しても完全に見失った後では追い付くこともできそうになかった。

 仮に、少女が付近の中学生ならば、少年や妹と同じ鳥水木に通っているはずだが……そもそも、地元でそんな悪行を働くものだろうか。


「君、ちょっとちょっと?」


 思考に耽っていると、そこでふと背後から声を掛けられた。


「はい?」


 本屋の店員だった。

 一体何事かと――よもや、先のやり取りの聴取でも受けるのかと適当な言い訳を考えていると、


「君ね、さすがにそれは大胆過ぎるよ?」

「大胆とは?」


 先ほど店内で本気でうな垂れていたことでも言っているのだろうか。

 確かに、人目を憚らなかった行動は失態ではあるが……。

 しかし、店員はポンポンとこちらの肩を叩いて店内――むしろ、事務所の方へ誘導しようとする。

 やはり、先の少女の聴取か、などと考えていると。


「そんな篭に一杯の参考書を持って店の外に出るなんて……いくら何でも思い切りが良すぎると思わない?」

「あっ……」


 指摘され、咄嗟のできごとだったので会計を済ませていないことに気が付くのであった。

 不幸中の幸いか、あまりにも大胆すぎた内容および篭の中身が参考書の山――ということで、うっかりした勤勉な学生と解釈されたのだろう。大事には至らなかった。




 ◇




 時刻は夕方、自宅のマンションに戻る。

 玄関の散らかった靴を並べながら、姉が帰宅している現実に少々気が重くなった。


【入ったらコロス(はぁと)】


 魔王の居室、あるいは暗黒儀式部屋。

 その生贄は弟。ヒキガエルの命よりも軽い。

 だってこの看板に明確な殺意が込められていたことは経験済みだもの。

 バ●タードソード一本欲しさに魔王城に単身で乗り込んだ勇者は、本当に勇者である。

 俺には到底真似できそうにないぞ。


「どうする。俺」


 一応、買い物ついでに姉への差し入れも用意してきたのだが、渡してもそのままゴミ箱行きなような気もする。

 しばらく迷った結果、その場を後にした。

 手洗いを済ませようと、洗面所の扉を開けると――


「………………」

「………………」


 タイミングが良かったのかそれとも悪かったのか。

 エンカウントしたのは件の魔王だった。

 その意外にも華奢で白い手は、下着のゴム部に掛けられている。ギリギリ半尻。セーフ。


「…………ただいま。えーと……これ差し入れなんだけど」


 俺の偉大な脳が消失した言語を穿り返しながら何とか抽出し、不思議とカタカタと震えるコンビニ袋を差し出していた。

 ちなみに中身は商店街にある洋菓子店のスイーツだが、好みが不明なので適当に見繕ったもの。


「………………」


 魔王は無言のまま。

 緩慢な動作で下着を持ち上げ、ゆっくりと手を離す。

 その美脚――うむ、魔王の癖に剣傷ひとつ付いていない――が上下に開いたかと思った次の瞬間、


「ぶべらっ――!?」


 雷鳴の如く繰り出された向う脛と壁の間。

 俺の顔面が挟まれていた。

 つまり、放たれた衝撃が逃げる場所がない。軽減0%。

 複数の格闘技の段位を習得したこの兄が全く反応できないほどに完成されたハイキック。


「………………」


 回る。世界が回る。

 遠ざかる意識の中、コンビニ袋を改めた魔王がしっかりとそれを回収していったのが唯一の収穫。

 あれで目の前で踏み潰されていたら、さしもの俺も心が砕けていただろう。



 兄道教訓――。


 新しい属性に目覚めないように心掛ける。



 ちなみに今回は何とか病院は回避できたようだ。

 防御力が少しアップしたのかもしれない。




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