003
所変わって、台所。
あの後、女性は白の道着から藍色の着流しに着替え、道場に隣接する民家の台所で包丁を振るっていた。
文化包丁ではない。
日本刀に形が似ている、細長い刺身包丁である。
どうやらこの女性、何処までも刀を使いたいらしい。
その証拠に、藍の着流しは角帯で締められ、左腰には、黒塗りの鞘に収められた脇指しが存在感を放っている。
この太平の世、そこまで警戒することも無いだろうが、彼女の中で「常在戦場」の文字が消えることは無さそうだ。
まあ、単に刃物が好きなだけかもしれないが。
その時、徐に女性がまな板の上にあった紅鮭を上に放り投げた。
ぴたり、と女性が刺身包丁を両手で掴み、正眼に構える。
紅鮭が宙を舞う。
ひゅひゅん。 ぼとっ。
二度、空気を裂く音がした後、紅鮭がまな板に落ちた。
…四つになって。
嗚呼、哀れな紅鮭。
紅鮭は宙にいる間に十字に切られたのだった。
「ふむ」
満足。
そう言った感情を滲ませながら、女性が頷く。
どうやら、紅鮭を四つに斬った事は、女性を満足させる程の出来だったらしい。
つい、と女性の視線がまな板の横に据えられている穴に移る。
その穴に、背後に積まれていた藁や薪を入れ、穴の入り口近くに置かれている黒曜石の大きな固まりの前に立つ。
包丁の峰の部分を下にして持つと、その黒曜石の固まりに向かって勢いよく、しかし手加減された速度で振り下ろした。
がちん!
峰と黒曜石とがぶつかって、火花が飛び散る。
穴の中の藁へと飛んでいった火花が、藁を熱する。
そのうち藁から煙が出始め、女性が竹の筒で息を吹き込む。
十秒もしないうちに穴の中から火が出始めた。
それを見届けると、女性は穴に金網を掛け、先ほど四分割された紅鮭を二きれのせた。
さほど時間が経たないうちに、香ばしい匂いが立ち上ってきた。
女性は、細長い竹の板を持ち出し、金網ごと穴から持ち上げた。
油が焼けている音を出している紅鮭を皿に置くと、まだ火を抱えている穴の隣にある釜戸の蓋を開ける。
中には、ちょうど一人が一食分で食べる量の白米が湯気を上げていた。
しゃもじを持ち、茶碗に艶のある米を盛りつける女性。
茶碗と、二枚の紅鮭がのった皿をお盆に乗せると、台所から出てちゃぶ台だけが置かれている殺風景な居間へと向かう。
ちゃぶ台にお盆を置き、正座して手を合わせる。
「いただきま――」
「失礼します。道場の主はいらっしゃいますか?」
いざ食事を始めよう、といった時、戸口から若い女性の声が聞こえてきた。
どうやら。
紅鮭を食べるのは、もう少し後になるらしい。
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