014
陣の外で絶えず響いていた戦闘音と怒号が止んだ。
全滅したか、とちらと考えた立待水仙は、右――陣の入り口に向けていた視線を正面へと戻した。
視線の先には、最低限の拘束が施された女性が、きっちりと正座をしていた。
「貴女の用心棒――楓、とか言いましたか…。頑張ってますね」
話しかけた声には耳を貸さず、女性は陣の入り口を見つめ、「楓…!」と一言呟いた。
無駄な事を、と思いながらも、自分はこうは出来なかった、と考えた水仙は、二、三回頭を振ってその考えを頭から追い出した。
「まさか本当に追ってくるとは…。つくづく貴女の護衛は頭が悪いようだ」
揶揄する言葉をはきながらも、心は勝手に見上げた忠誠心だ、と賞賛する。なまじ自分が「そう」では無かった分、賞賛の度合いも大きかった。
「そんな事はありません。楓は、自らの身を厭わず、わたしを助けに来てくれた……」
女性――藍鉄葵の声を聞きながらも、水仙の意識は陣の外へと向いていた。
一つ、足音が近付いてくる。
「楓は、必ず来ます。来て、わたしを助けてくれます!」
語気を強め、自分の護衛に対しての信頼を叫んだ葵の声に反応するように、いや、反応したのだろう。陣を囲っている布が、大きく縦に引き裂かれた。
「当然です。……葵様、助けに参りました」
陣を切り裂き、一万の軍勢を単身で突破し、遂に総大将の元まで辿り着いた朽葉楓はしかし、力強い
言葉とは裏腹に、満身創痍といった状況だった。
元々白かった着物は鮮血で真っ赤に染まり、所々が切り裂かれている。刀傷から今も血を垂らし続ける様子は、かがり火に照らされ、ひどく痛ましい様子を見せながらも、凄惨な迫力を水仙に与えた。
炎だけが照らす薄暗闇の中、爛々と輝く目が闘志をたたえ、水仙を射抜く。
途中で拾ったのか、短刀を両手に携え仁王立ちするその姿は、修羅と形容しても何らおかしくない威
圧感だった。
「よくもまあ、ここまで来れた物だ。ぼろぼろじゃあないか」と投げかけた言葉を無視し、二本の短刀を水仙にまっすぐ向けた楓は、腹の奥で燃えたぎる「熱」を、睨む視線に乗せて構えた。
言葉は要らない、来るなら来い。喉笛を引きちぎってやる。
そう言った意志を感じ取った水仙は、背中から二本の忍者刀を引き抜く。
鞘を投げ捨て、二本を地面と垂直に構えた水仙は、突っ込んでくる楓の剣に自分の剣をぶつけた。
「私を倒すか! いいだろう、だがその後はどうする?」
自分でも知らないうちに口から飛び出した言葉は、水仙の意識では止められず、次々と言葉をはき出していた。
「彼女は大罪人の娘だ! 私で追っ手が終わりなはずがない! 必ず次が来るぞ、その時はどうする!」
叫びながらも、手は互いに必殺の一撃を繰り出し続ける。弾かれ、逸らされ、目まぐるしく振り回さ
れる四本の刀を意識の中央に据えながらも、水仙の口は止まらなかった。
「諦めろ! 終わりなんだよ、貴様も私も!」
「お前も…?」
至近距離で斬り合う楓の顔が不信に歪む。水仙は、脈動する「熱」のような物に突き動かされるよう
に叫び続けた。
「どうしてそうまでして主君に尽くす! 何故だ!」
水仙には、それがわからなかった。たとえ主君とはいえ、それは一時的な物のはず。なのに、なぜこ
こまでやり続けるのか。
「私はっ! 葵様に、仕える身だ!」
叫び返しながら、楓が力任せに右の短刀を振り下ろす。
「一時的なものだろう、所詮それは!」
振り下ろされた短刀を防ごうとし、左手の忍者刀を掲げるが、それは渾身の振り下ろしではじき飛ばされた。
宙を舞う忍者刀を横目に、右で応戦しようと横に薙いだが、それは楓の左短刀に防がれた。
振り下ろし、そのまま振り上げられた短刀が胸を裂く。その感触を感じながら、水仙は後ろに跳んだ。
楓は肩で息をしながら、あたりに、元々ある切り傷からしみ出した血を振り乱し、叫んだ。
「たとえ仮初めの関係だったとしても! 何故全力を尽くさない理由がある! 私にはない! 葵様の為に、私はこの手を使う!」
「そんな理屈…!」と呟いて、水仙は再び飛びかかろうと足に力を込めた。
しかし、思うように足に力が入らない。膝が微細に震え、力が入るのを阻害しているのだ、と理解し
た水仙は、自分の思考にぎょっとした。
気圧されている。この私が。
その事実が体中を駆けめぐり、水仙は獣のような叫び声を上げた。
そんな事はない。自分は負けない。
今度こそ足に力を入れ、楓へと吶喊する。叫びながら、袈裟懸けに忍者刀を振り下ろす。
その忍者刀は、防御に突き出された楓の左短刀を弾き落とし、そのままひだり肩から袈裟懸けに斬り
つけた。
もう一撃入れ、とどめをさそうとした水仙は、その時、一瞬動きが止まった。
見てしまったのだ。楓の眼を。
斬りつけられてなお、激情を宿したその眼は、奥に野分でも秘めているかのようだった。
自分には、こういう眼は出来ない。
ほんの一瞬だったが、ちらと水仙は考えた。考えてしまった。
その隙を見逃すことなく、楓は右の短刀を水仙の胸に突き立てた。
突き立てた手にも、眼にも、一切の曇りはない。ああ、これは無理だ、と水仙は悟った。
同じような状況で、主を見捨てた自分と、諦めなかった楓。勝敗を分けたのはそこだろう、と考えな
がら、水仙はゆっくりと身体の力を抜いていった。
びくん、と跳ね上がる身体を見、一歩、二歩と後ろに下がった楓は、そこでようやくためていた息を
吐き出した。
縛られたまま、陣の片隅でじっと勝敗を見守っていた葵に駆け寄り、短刀で手足を縛っていた縄を切る。
手首をさすりながら立ち上がった葵に、楓は「お怪我は?」と問いかけた。
「いえ、ありません。……それより、よく、来てくれました」
「そんな、私はただ…」
頭を下げる葵に恐縮しながら、楓の足から力が抜け、地面に膝をついてしまった。
「葵様。少し、休みます…」
やっとの事で絞り出したその言葉だけを呟くと、疲労と出血で重たいまぶたを、楓は閉じた。